本当にやってる架空のお店

 架空ストアとゆーお店があるのです。長野まゆみ作品に出てきそうなきらきらした小物がいっぱいのトップページなのですが、こちら本(同人誌)も扱っているお店でして『ゆる本』が置いてあったりします。
 オフセットはいいよね、流通に乗せられるから(在庫抱えると大変だけど)。
 単行本や文庫はもっといいよね、流通に乗せられるし手に取りやすいから(印刷費が洒落にならないけれど)。

 括弧内の現実はさらっと流して頂くとして、私が寄稿している『ゆる本』、『7文字でつながる連作長短編を書こう!2015』を含む雲上回廊の販売ページはこちらです。

 このうち、私が書いているのは、
 『ゆる本vol.19』
 『7文字でつながる連作長短編を書こう!2015』
 『ゆる本vol.30』
 『ゆる本vol.31』
 になります。

 ……………あれ? 
 『ゆる本vol.19』ってコピー誌じゃなかったっけ?(まあいいか)。

 この『ゆる本』に関しては、vol,19とvol.30、31ではかなり作風が違います。特にこの19は、当時とある筋に対するフラストレーションをぶつけた掌編ミクロ・ディストピアSFになので、30、31だけではなくこれまで書いた作品の中でも異質な部類に入ります。
 ……携帯電話で読むのに向いているかもなどといまさらながら思っています。

 私はvol19以降しばらく欠席して30から新たに連作オムニバス短編を寄稿しはじめたのですが──32はタイミングが合わず欠席してます、ごめんなさい──、同じくこの30から添田健一さんの連載『鳥占いし少女』がはじまります。
 『ゆる本』は基本的に各地の文学フリマに合わせて発刊されるため、「連載を追っかけるのは至難の業」なのですが、架空ストアのお陰で遠い空の下にいる方にもお届けできるようになりました。
 まさしく、空に架すお店ですね。

 雲上回廊の作品群について少し触れておくと、『山吹色外典』と『反理想郷にさよならを』には校正で関わっています。
 この二作品は見事に対照的な短編集でして、『山吹色外典』は比較的読みやすく多彩な作品が揃っていて、『反理想郷にさよならを』は誌面が黒いと感じるほど濃密でややダークネスな作品が多めです(あとちょっとエロいです)。

 比較的人気が高いのが『世界再生の書物と一つの楽園』らしいのですが、御覧の通り『山吹色外典』、『異界再訪の扉と十三の不思議』と同じく表紙は、コミックガム・ウェブで『龍宮町は海の底』を連載中の漫画家・宵町めめさんが描いてます。
 これらは雲上回廊主催・秋山真琴くんの単著です。
 他にもあるのですが、まずピックアップするとこの辺りかなと思ったので、看板代わりに出してみました。
 秋山真琴作品に挑戦するならまずこの辺がお薦めです。

 添田健一さんは、雲上回廊(雲上文庫)では主催者と並んで単著が多く、『墨妖』、『そえぶし』、『迷迭香』などがそうです。一見してわかるように中国武侠小説(国内なら武田泰淳北方謙三、国外というか本場では金庸など)の流れを汲む作品が多いです。
 簡単言えば、中華風ファンタジーです。
 最近の作品だと、酒見賢一の『後宮小説』が一時書店を賑わせていましたね。
 大雑把に「どんな感じ?」と問われたら「こんな感じ」と返す一例として引き合いに出してみました。

 そんなわけで、ラインナップが充実してきたので紹介してみました。

 あ、架空ストアで思い出したので、こちらも紹介しておきます。
 ダンボールの街「第N無人居住区」を制作されている燈さんの作品もあります。N区の雰囲気を知るには同名の写真集がいちばんなのですが、お手軽なのは『オレンジを買いに』という短い漫画でしょうか。
 実物が欲しいという方は、瓶詰めの街シリーズがお薦めです。



龍宮町は海の底 1巻/宵町めめ

※仕様上amazon楽天しか選べないので、コミックガムの単行本紹介ページのリンクと手持ちの本の写真を張っておきます。

buzz

 多趣味な人間は自分自身の首を絞める(実体験)。

 インドア系ばかりだけど、たぶん多趣味な方だと思う。
 たとえば、読書は資料読みとか個人的な勉強のためといった目的を引っこ抜くと、完全に「それだけのために使う時間」が贅沢に感じるようになって以来、好んで本を読む時間も冊数もどっと減ってしまった。
 いま読んでいる一冊をじっくり読むようになってから、読む速度が急速に落ちてしまったこともあるけれど、他の趣味に割く時間と干渉してしまうから、というのがいちばんの理由だと思う。
 あ、ブログに本の感想を書かなくなって久しいのはそうした理由からではなくて、吸収した分を出力するのが惜しいからです、はい。

 これが音楽になるともっと顕著で、数少ない例外を除くとそこから得たものは外に出したくない。
 心の中に仕舞っとく。
 じゃあ例外はどういう基準で生じるのかというと、収まりきらずに溢れてしまって感じたことを言わずにはいられないとき。あとはまあ……自分の場合、同人音楽の占める比率が高いので、イベントとかで本人に直接言っちゃう方が楽というのもある。
 そうした音楽を聴くだけの時間を作っている、と友人に言ったら「そいつは大した趣味だ」と言われたことがある。そんなもんなのかな? なんであれ、せっかくCDを買ったのだから、まだ使えるコンポで聞いた方がはるかにいい音で聴けるからなんだけどねえ。
 あー…あと、自分は空間に響く音を聴くのが好きなので、この先デジタル化が進んでいってデータで聴くのが一般化していったら、良いヘッドホンを買うのではなく良いスピーカーとオーディオインターフェイスに手を出しそうな気がする。
 作詞をするときはヘッドホン使いますけどね、そこそこのやつ。たぶん音屋さんから見れば安物で、音作りに縁もゆかりもない人からすれば高いやつ、だから、自分としてはそこそこ。
 こんなことを書いていて、そういえば最近は作詞してないねとか思ったり。

 それはさておき。

 最近、自分にとって大事だと思ったのがイラスト集とか、基本的に絵だけで文字が全くない本を読むことと、読書に次いで長い趣味の模型製作。

 模型に関してはちょっと自分でも驚くほど作っていない期間が長くて、全力で作るつもりでいたフレームアームズのバーゼラルド(コトブキヤ)を買ってから一年が経とうとしていた。
 ちょっといまやっていることが行き詰まってしまったので、作ってしまおうと箱を開けたものの……長いことほったらかしにしてあったからさあ大変。

「なんでわざわざフレームアーキテクト買ったの?(ABSに塗装するのは大変だから)」
「これ良く見たらガンメタの成形色にむらがある、塗らなきゃ使い物ならない(なんでレビュー記事検索して確認しなかった当時の自分)」
「しゃあない、フレーム全塗装するか……ってなんで組み立ててあるんだよ(バラす)」
「せっかくダンボールで作った塗装台があんまり役に立たない(悲しい)」

 とかまあひさしぶりにエプロン姿で机に向かいながら、そんなことを思いつつ塗り塗りしていました。
 塗装ブースを作る場所も設備投資ないので、塗装は基本筆塗りです。たまにスプレーは使いますけど、エアブラシは導入していません。
 ……ガイアカラーが使えない。

 スペースについては、本とCDがその過半を食っているからです。
 本に関しては、資料と趣味であり資料でもあるものが混在しているので減らすに減らせないのですが(実は学生時代の教科書すら資料と化している)、CDは先述の通り「聴くためだけの時間(他になにもしない)」を作っていることもあり、あんまり奥にしまうと自分が困るからです。
 設備投資はつまりそれらへの比重が高いので、使用頻度を考えるとどうしても二の足を踏んだままずるずると来ています。

 あと、模型を作るとき「なにかしら手を入れないと落ち着かない(最低限の塗装とか)」のはなんでだろう? と思いつつ筆を動かしていたのですが、その答えは最初に作ったのが艦船模型だったからです。
 小学生の頃でしたかね。
 モーター内蔵式で航走可能なフルハルモデルの空母信濃が、自分が一番最初に作った模型だったと記憶しています。
 一体当時の自分は戦艦でも巡洋艦でもなく空母(しかもマニアックなチョイス)を選んだのでしょうか。ちなみにこのキットは当然艦載機は付属しておらず、完成したのは艦載機のない嫌な意味でリアルな信濃でした。

 いま作っているバーゼラルドは、設定通りに作っても十分格好良いデザインなのですが、黄色の塗装って大嫌いなんですよ。筆を洗うのが大変だから。
 五式戦とか紫電改とかの主翼前縁部分のようにごく一部ならいいのですが、わりとふんだんに使われているのと、ブースター部分が黄色いというのは個人的に受け容れがたかったというのがあります。
 ヒロイックな外見の機体をあえてシンプルな塗装にするのが好きなんです。たとえば、EX‐SガンダムはVer.Kaの赤を使用していないカラーリングの方が好きです。

 あと、その昔WAVEの707テムジン(電脳戦機バーチャロンオラトリオ・タングラム)を試作二号機カラーで作ろうとして挫折した過去のリベンジの意味合いも強いです。

 いじっていて気づいたのですが、フレームアームズの良いところは「製作者が好きなように作ることを前提に設計されている」ことですね。設定色の分割とパーツの分割に齟齬がほとんど無いので、色を変える際もこの分割に沿ってやるなら難易度はぐっと下がります。
 逆に、最近の進化したガンプラは「素組みで作っても十分な出来になる」ように設計されていますね。昔作ったHGUCジェスタを修理した際に気付きました。

 そんなことだから、模型が趣味と言えるレベルに達しているわけですな。
 そうまでしないと気が済まない(精神的充足)。

 それと、大抵の模型は資料としても使えることを考慮してなにを作るか(なにを買うか)決めています。
 以前作ったHGUCデルタプラスは、この小説を書くときに資料として活躍しました。宇宙空間から大気圏突入する際に、飛行機のような形をした宇宙機がどんな姿勢をするのか、大体どの位置に何個スラスターが必要なのか……んなこと、脳内だけでは自分は処理できません。立体物がなくても必要なら最低限概念図は書きますし、その形をしていなくても適当な物で代用してあれこれやってます。

 模型作りは「勢い」が大切なので、乗っているときはとことんやっちゃった方がいいですね。
 どうにか今年中には完成させたいところ……。

 あ、そうそう。塗装を一切しなくても模型を作るときはエプロンした方が良いですよ。パーツが飛んだときに探す手間が八割くらい省けます。

 模型とエプロンで思い出しましたが、『ゆる本Vol.30』からレギュラーキャラとして出てくる高崎舞羽のビジュアルイメージは、いま放映している『フリップフラッパーズ』に出てくる美術部の先輩みたいな感じです。見た目だけは。

 益体もない内容ですが、更新期間を空けてしまったせいで記事を書くのにいらん苦労をしたので更新してみました。

広告を非表示にする

『ゆる本Vol.30,31』の補遺など備忘録

 うちのサイトのAboutページをスクロールしていくと、寄稿先の情報が出てくるのですが、『ゆる本Vol.30』はオフセット誌なのにコピー誌となっていたのを修正しました。
 これ、自分が継続して寄稿していた頃はコピー誌だったため、秋山くんから著者献本を受け取るまでオフセットになっているとは思ってもなかったのです。受け取った時点で修正していないので、なにを言っても言い訳になりますが(‥;)

 文学フリマが全国展開をはじめて、文芸同人では毎度お世話になっている秋山くんの雲上回廊も全国行脚をはじめました。『ゆる本』もそれに合わせて発行されるため、『Vol.30(初頒は16年9月の文学フリマ岩手)』と『Vol.31(初頒は16年11月の文学フリマ東京)』を両方揃えている方はどれくらいいるのでしょう。なお、これより前のバックナンバーから読んでいる方はもっと少ないと思いますが、こちらは全て電子化されているため、勘定には入れません。

 ぶっちゃけ、今回“も”東京文フリには行けなかったので、実際のところ刷り部数に対してどれくらい出ているのか私は知りません。今年下半期はイベント*1に行くつもりで予定に組み込んでいても、いざその月になると別の予定が入ってきたり体調を崩したりして行けてません。

 話が逸れました。
 えっと、『ゆる本Vol.16』以降、私の短編小説にちらほらから登場する「千住きすか」というキャラクターがいます。『ゆる本Vol.30(『電信柱のキツツキ様』)』からきすかと「高崎舞羽《たかさきまいは》」という小娘二人をレギュラーキャラに据えたオムニバス形式で書くようにしたので、忘れる前に少し触れておこうと思いました。

 といっても、大したことじゃないんです。
 『ゆる本Vol.16』と『Vol.17』の千住きすかと『Vol.30』以降(『Vol.31(『Eternity Of Moment』)』含め)の私の作品に登場する千住きすかは、容姿も性格も変わってませんが同名異人です。当然ながら背景世界も違います。
 書く側の都合をぶっちゃけると、過去作のキャラをサルベージしてリライトしたためこうなりました。相方になる舞羽については、きすかと絡みやすいタイプを模索しつつある程度書いていて楽しめるキャラにしてみました。

 きすかは「なんとなく日本人っぽくない名前を平仮名で」という発想から名前を考えて、むかーし考えた「町の一角の(主に住環境の面における)権利を有している人間だから千住」というネタを掛け合わせてつけました。
 舞羽は、永久る〜ぷという同人ゲームサークル(現在は活動休止)のSTG『TWilight INSaniy』の三組目の双子主人公ホシミ姉妹の姉ホシミ マイハ(星海 舞羽)から名前を拝借しました。容姿も性格もまるっきり別人ですが。
 書いておかないと忘れそうなので、いま書いています。

 当初の目論見では『ゆる本』に限らず、このオムニバス短編を書いていくつもりでいたのですが、実際はそんな余裕はなく次も『ゆる本』への掲載と相成りました。
 9月の更新時にサイトトップに書いた「掲載の場が『ゆる本』になるとは限りませんが……」というひと言は当時のこうした考えからのものなのですが、現実は甘くないです。
 現実は甘くないです。

 ところで、『ゆる本Vol.30』は添田健一さんの『鳥占いし少女』の連載がはじまった号でもあり、私がこの号からオムニバス形式を採用したのはただの偶然です。
 添田さんからはTwitterで「偶然というよりも、常連寄稿者同士が雑誌の躍進を考えた結果という流れでしょうか」というリプライをいただきましたが、私はといえばその様な殊勝な心がけは微塵もなく、「連作を提供し続けられるフォーマットを作って書いてみる」という考えと刊行のタイミングが合ったからという理由でしたorz。

 『ゆる本』については、有難いことに購入してさらにはこの作品に言及してくれる人がいて、そこに来て同業者(この場合は添田さん)からも「次も是非是非」と背中を押されると、次も出さなければいけないのではないかという義務感に似たものを感じます。
 あと「次が出そうな作品」を世に出してしまったことに対する責任感のような意識の芽生えがあり、

 この様な葛藤が生じます。(出典:佐藤明機『ビブリオテーク・リヴ』コスミック)
 どうしよう?

 そして、もう一つ。自分の作風は「架空の存在を文章表現で可視化する(=想像力に働きかける)」ことが根底にあるので、添田さんの作風とこのやりかたが『ゆる本』という誌面で対照的な存在になってしまっているのでは? という問いの解を得るには続けてみるしかなく……。
 どうしよう?

 どうしよう? といえば久しくブログを書いていなかったので、宣伝とか感想とかなにかしら明確な意図のない記事の書き方を忘れかけています。
 それから、私自身の変化もあります。なにか気になったことがあって勢いで文章にしても、それを公開すること疑問を抱くようになり、最近では勢いで書く前に自分の中に留め置くようになりました。
 これが良いのか悪いのかわかるのは、たぶん五年か十年かそれくらい先じゃないかと思います。
 歯切れが悪いですが、こんなところでいったん結びます。

*1:麦酒夜宴とかM3秋とか麦酒夜宴とか

みなそこのレトロフューチャー/宵町めめ『龍宮町は海の底 1』

龍宮町は海の底 1巻 (ガムコミックスプラス)

龍宮町は海の底 1巻 (ガムコミックスプラス)

 現在、コミックガムにて連載中(水曜更新)。

 あらためて単行本で読んでみると、より鮮明に見えてくるところがあって面白いですね。以下、連載開始当時からTwitterでちょこちょこ感想をツイートしていたので、多少重複になると思います。

 単行本を手にして驚いたのは、扉絵(1ページ)でした。
 これが表紙でも本として十分通用するレベルで、小説だとしたらこれが表紙になっていたかもと思いました。
 かつて、図書館で幾度となく見てきた児童文学や一般文芸の四六判の表紙を彷彿させる、シンプルながら印象的なデザインです。あれ、一見どれも似かよっているようで、装丁は工夫がされているので、頭の片隅にでも覚えておくと、本を判別するときに楽なんですよね。背の請求記号のみに頼っていると、見間違えることがあるので……と話が逸れたので戻します。

 やはり、最初のハイライトは一話の冒頭で、まそらと澄音が教室から電車に乗り込むまでを描いた10ページの3、4コマですね。ここ、台詞も擬音もまーったくないのですが、たった2コマで校内から構内(まぎらわしい)への移動が体感として伝わってくるんですよ。
 これは連載当時も「おおっ」と思い書いたことなのですが、単行本で読んでみると2コマしか割いていないため、学校と駅との繋がりがどういうルートになっているのかがまったくわかりません。謎です。わかるのは、駅と学校が直結していることだけ。
 こうした謎が龍宮町という舞台そのものの謎を形成するピースになっていて、それが積み重なっていって、後半になって明確に「謎」として提示される部分が強調されて、不気味さすら伴うようになります。
 連載時に感じた得体の知れない不気味さは、こういうところに起因していたのかもしれません。「一話冒頭にして、作者の術中に!? やられたー」と手の平で顔をぱんとやってしまいました。

 龍宮町の町並みや学生寮の個人部屋の中などを見ていると、おおよそ1980後半から90年代初頭当時の日本と60〜80年代頃に描かれた未来予想図を掛け合わせたような印象があって、親近感が湧きます。
 言い換えると、子ども頃に読んだ図鑑だとか科学系の事典に載っていたような架空世界と当時の現実世界をそのままくっついているような感じなので、奇妙な懐かしさと「ありそう」と思えてしまう不思議な説得力があるんですね。
 ついでに、レトロフューチャーについてちょっと触れておくと、こうした作品は結構好きなのですが、大抵の作者は自分よりはるかに年上か(中には鬼籍に入っている人もいる)、二十歳以上年上か、少し年上か……とまあ、世代が上なのです。
 そうなると、レトロな部分に対する感覚も空想の領域になってしまうんです、私の場合。
 これはこれで面白いのですが、実感がありません。
 あえて想像の側に全てを割り振った例は、ダンボール模型作家である燈さんの第N区無人居住区でしょうか。

 龍宮町のレトロフューチャーは、この現実感「ああ、そういうのあった」とか「こういうこと空想してた」といった懐かしい匂いがします。
 この辺は世代にもよるでしょうが。
 世代にもよるでしょうが。

 自分は比較的初期に、この作品に対して「SF」という感想を述べたうちの一人だと思うのですが、きわどいところでSF考証と科学考証の深淵に入らない位置を保っているめめさんのバランス感覚は、素晴らしいと思います。
 たとえば、龍宮町の気密構造(潜水服を着て泳ぐ授業の出入りについてなど……)や海神神社について突っ込んでしまうと、そんだけで脳がショートします。前者については、深度何メートルにあって、だとしたら水圧はいくつで……と色々大変なことになります。

 あんまり書くとネタバレになってしまうので控えますが、まそらと澄音がある事件に関わったときに帯の言葉の意味がわかります。

「海の底に沈んだ町“龍宮町”。平和な町で青春を満喫していた“まそら”“澄音”。しかし、海底都市の魔の手はすぐそこまで迫っていた……!!」

 物語の中で、直に脅威と接する二人なのですが、それはトリガーに過ぎず本当の脅威はその先にあります。冷戦の核抑止による一触即発という緊張という現実がありながら、平和を享受していたバブル期の日本を彷彿させます。
 私はこまっしゃくれた子どもだったので、「いつ世界が吹っ飛んでもわからない状況なのに、どうしてこうも大人は暢気なのだろう」と疑問に思っていました。そうした意味で、自分の未来についてあんまり実感が湧かなかったのですね。そのくせ、好奇心が強かったものだから、負ではなく正の方向の可能性については興味津々でした。
 だから、まそらの気持ちは、非常に共感できます。

 まそらと澄音について、よくよく見ているとまそらがやや演技臭さのある少年のような振る舞いをしているところと、自然な動き方をしているところがあります。大抵、そこには澄音の心理状態が伴っていて、読んでいると実は一話時点の澄音がやや不安定な状態にあることに気づかされました。
 あと、同じ1日をそれぞれの視点から描いている第四話と第五話は、一冊にまとまっている単行本ならでは対比が強調されていてこれも連載で読んでいた人間にとっては、嬉しいポイントでした。

 個人的に好きなキャラは、学級委員長の品川有華です。容姿や性格もそうなのですが、等身大の中学三年生という点も好印象でした。
 と言いますか、あれほどの勢いはありませんでしが、ああいうタイプの女の子、まさに中学三年当時のクラスメイトにいました。
 まそらが怒濤のダメ出しを食らうシーンは、既視感すら覚えます(笑)。
 あとは、境先生ですね。

 先の展開が気になるところですが、個人的に気になっているのは「記憶と記録(日記)をどう関連づけているのか」というところですね。
 作者の宵待めめさんは、同人誌『川底幻燈』シリーズで記憶や思い出について、深く掘り下げて描いているので、日記や日記ポストが今後の話にどう絡んでくるのか、それともあえては触れないのか。いずれにせよ、一読者としては楽しみなところであります。

 個人的にも、作者的(本人談)にも「是非とも小中学生に読んで欲しい一作」なのですが……ごめんなさい、これは「おっさんホイホイ」だと思います。
 
 あとがきにあった海底都市の図ですが、おそらく学研の図鑑か子ども向けの科学系事典だと思います(註:この種の資料には、辞典ではなく事典を用います)。
 私もそうした本で見た記憶があります。

 はてさて、ネタバレ回避しようとすると、感想を書くのって物凄く難しいですね!
 最近ではあまり見られなくなってしまったタイプの作品であり、これは衰退したのではなく書き手がいなくなったというのが私の見解です。
 そうしたわけで、みなそこのレトロフューチャーに触れてみませんか?

Birthday eve

Windows10で「シャットダウンの仕方がわからなくなった」という質問を最近受け付けたのですが、あれはひどい。
タスクバーを右クリックすると一覧が出て来て、その中にあるのです。
ある程度、PCに慣れた人間ではないと思いつかない。ライトユーザーに優しくない。代わりにタスクバーに常駐しているのは、webとローカルから検索する(言葉はちょっと違ったかも)という検索窓で、「ちょっと待て。一歩間違えば個人情報駄々漏れになるんでないの?」という戦慄を覚えました。

FM-TOWNS ROM→PC8801→PC9801→PC9821→Windows95という流れでPCに触れてきた私の感覚では、ウェブとローカルを区別しないようなOSは使いたくないです。
たぶん、テーマ設定で「クラシック」を選択すれば(あれば)、これは解消されると思うのですが、確証は取れていません。
検索を使うときにLANケーブル引っこ抜くのが、いちばん手っ取り早く確実でしょう。

ちなみに、NECの機体は高校の部室(ワープロ部)にあったやつで、5インチフロッピーディスクともそこでご対面しました。
黒い画面に白文字で打ち込む一太郎で、カナ入力からローマ字入力に矯正したのも懐かしい記憶。

しかしいまにして思うのは、同期の誰かさんが処分対象の古いソフトや資料をがめていったように、私もNECのキーボードを二、三個いただいておけば良かった。
ワープロを使っていた時期が長いためか、機械式のキータッチが堅めのキーボードが好みなのです。
よって、カタカタうるさい。
ノートPCはキーボードサイズが小さくなるので、それに応じた打ち方をしますがそれでも大抵の人よりはキータッチの圧力が強いと思います。

いま困っているのは、愛用のNMBミネベア)製のキーボードが生産中止となってしまいこれという交換候補が見つかっていないことです。
あと、図書館勤務経験から数字をテンキー入力する癖が付いているので、フルサイズのキーボードである必要があり、Happy Hacking Keyboardのような省スペース型や四角くないキーボードは苦手だったりします。
ちなみに、HHKは打ち味はいいので、省スペース派の方にはお薦めです。

キーボードと言えば、RealForceが有名ですが、あれは高級すぎて手が出ないのと、ちょっと打鍵がお上品なんですよ。
横に誰かいたら「カタカタうるせー」と言われるくらいメカニカルなのが好みです。

なお、打鍵初体験は母方の祖父が所持していたタイプライターで、それも関係あるのかなあ、と思うことがあります。
物心ついた頃から、キーボードに触れていたのは確かです。

そんなこんなで、今年も誕生日のイヴを迎えたのですが、数日前に伯父になりました。
どっちも「あんまり実感沸かないなあ」と思っていたのですが。
思っていたのですが!
お見舞いに行った母親経由で見せられた写真が妹の赤ん坊の頃にそっくりで、いきなり姪御という重量感ともなって現実を認識しました。
Ding Dong ! ならぬ、May go ! といった感じですよ。
実際、かもしれない、じゃなくていずれは対面することになるんですけども。
年取ったナア……なんて老け込んでいる場合じゃねえ!
つむぎ(『甘々と稲妻』)の「おとさん」のイントネーションで「おじさん」と呼ばれる日に備えなければ、十年後にはお年玉をあげられるようにならなければ。

と、なにか微妙に方向がズレたような決意を固めるのでした。

広告を非表示にする