アウトライターズ・スタジオ・インタビュー#149

 ぎけんさん(@c_x)企画のアウトライターズ・スタジオ・インタビューに参加しました。 

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 有難いことに「Twitterはやっていないし見ていないけど、サイトとブログはたまに覗くよ」という方がいるようなので、ここにも書いておきます。
 インタビューの主旨は、「アニメと自分の関わりとか自分がアニメのどんなところが好きかを語ってください」みたいなことなのですが、こいつ良くしゃべるなあ……って感じに長いですね。

 実際、最初に書いたときはもっと長くて、バージョン違いテキストを三つくらい作ってこの形にまとめました。


 どこが長かったかというと最初の項目でして、遡ったら幼少期に見た『ゼロテスター(何回目の再放送かわからない)』に行き着いてしまったのです。私の場合、そこからアニメ一直線にはならず、どちらかと言えば特撮が主体でした。
 この話題は読書(小説)や模型にも及ぶため端折ったのですが、端折っても長い。そこで思考を転換して「アニメをアニメとして意識してみるようになった作品は何か?」という問いを立てたとき、出てきた解が『天地無用!魎皇鬼』だったわけです。
 
 あとはまあ、概ね記事に書いた通りです。

 このブログにも「アニメ」カテゴリを作ってしまったので、適宜活用していこうと思います。

 アウトライターズ・インタビューは、書くひとによって書き方が異なるため、文章から人柄が見えてくるので面白いですよ。

unmake.blog133.fc2.com


 言われるまでもなく、個を剥き出して書いてしまったので、企画の主旨には沿えたかな、と思います。
 記事の方は素振りではなく真剣勝負なので、読んでくれると嬉しいです。

 ……己の面倒くささに自分で呆れているこの頃。

 

2018年、個人的に印象に残ったアニメ10本

 ……というのをTwitterに投稿したのですが、引用リツイートで補足を書こうとしてスレッドごと削除してしまったため、ブログのネタにすることにしました。別途、メモは残してあったのですが、年も変わっていますし再投稿するのも興ざめものですから。

 あらためまして、あけましておめでとう御座います。

 ではでは、書いていきましょう。


・2018年、個人的に印象に残ったアニメ10選

 


 どう選んだのかというと、「印象に残った」という言葉そのままです。

 思い返して頭の中にパッと浮かんだ作品を書き出し、年度が間違ってないかだけ確認。その中でより好印象の作品に絞り、10本に絞り込む上で「見返したことはあるか」という条件を加えました。そうでもしないと切りが無いので(苦笑)
 そういう訳で、先に挙げた10本には好みも強く反映されています。おススメという意図もあんまりないです。

 加えて、遠慮なくネタバレしているのでご注意ください。
 以下の作品別コメントは、これまでの総括として書いてみました。

 


宇宙よりも遠い場所

 正直、舐めてました。なにかしら作品世界特有の制度でも持ち出して、わりとほいほい南極行っちゃうんだろうなー、なんて思ってました(ごめんなさい)。
 そんなことを思いつつ、1話からオンタイムで見ていたのはPVでの砕氷船しらせの描き込みが空中線に至るまで丁寧だったからです。
 南極……なかなか行かないんですよね。
 要約すると「主役女子高生四人に焦点を当てていって、こういう子たちがこんな風に知り合って、こういう縁と機会があって南極に行くのだよ」という流れを丁寧に描くのですね。1話Aパートでその事に気づき、私は思わず「やべぇ。ガチだ」と口走りました。
 南極については、現実に民間観測隊を南極に行ける状況があるとしたら、という背景から描いていますね。これも「やべぇ。ガチだ」でした。

 

 こっからは完全に未見の方置いてけぼりで行きます。

 

 この作品、台詞が多い(多すぎる)脚本という評があるらしいのですが、自分は特に気になりませんでした。
 言っちゃあなんですが、四人それぞれがめんどくさい部分を持っているので、この子はここで言うだろうなー、という言葉を言っていたからです。音響やコンテなどを含め演出に支えられていた部分は大きいと思いますが、やはり前半の尺を無駄なく活用してキマリはこういう子、報瀬はこういう子、日向はこういう子、結月はこういう子、というのをしっかり人物を描くことで物語で示していた構成があったからだと思っています。
 半ばからいわゆる大人組にも焦点が当たってきて、過去と現在の――特に報瀬や吟の気持ちの上での――距離が近づいてきて、それぞれの近しい人間(報瀬にとってはキマリ達三人)も外縁から内側へと引き込まれ12話の“あのシーン”に一端は集約されたのだと思います。
 当時、ノートPCを見る報瀬と、部屋の外で様子を見守るように伺っているキマリ、日向、結月の三人が映すシーンを「小説の間合いを映像でやってきた」と書いたことを覚えています。
 ここまで書いて思い出しましたが、間の取り方が独特でそれが印象に残った作品でした。台詞や動きの間にちらっと映る背景や物(最も印象的なのはラジオゾンデ)の見せ方が小説の情景描写に似た間合いがありました。


ゆるキャン△

 カレーメンが食べたくなります(笑)
 実際、作中の台詞でもありますが、なでしこは本当に美味しそうに食べますよね。
 この作品については、りんがスクーターを入手してからあちこち移動する話が増えてくるのですが、実はこの移動シーンがキャンプしているシーンより好きです。特になでしこが風邪っぴきで電話越しにナビをする回は好きです。
 人間関係の構築がちょっと変わっている点も印象的で、りんとなでしこの出会いから新学期の通学シーンで一端リセットされます。二人がストレートに友達になるのではなく、なでしこが野外活動サークルへ興味を持ち千明とあおいと知り合ってから、勢いで図書室にいたリンに声を掛けてしまうんですよね。この時、恵那もいるので1話アバンでちらっと見せた最終話のシーンが生きてきます。最終的にこの五人が一緒に行動することが、ここで提示されているのです。
 当時「(なでしこが)1クールかけてリンを攻略したか」とツイートしていた方がいましたが、どちらかというと攻略に手間取ったのは恵那の方ではないかと思います(笑)


スロウスタート

 タイトル通り3話くらいから動き出す作品。そうした事もあってか、常に一歩引いたところに視点を置いて見ていました。これはまさしくぱっと思いついた作品なのですが、一体どこに惹かれたのかが思い出せません(笑)
 メインキャラ四人のうちでは、「君は本当に高校生か?」みたいな天然のたらし栄依子ちゃんが観ていて面白かったのですが、個人的には榎並先生(CV:沼倉愛美)最高! でありました。
 この年から沼倉愛美さんが大好きなことを自覚してアニメを観るようになったので、Twitterでは「ぬーぬー(沼倉愛美さんの愛称)」うるさかった年だと思います。※

※きっかけは、過去に見た作品の中で「なぜ自分が最後まで見ていたのかわからない」作品がいくつかありまして、この“なぜ”に該当する作品には全て沼倉愛美が出ていたという偶然なのか必然なのかわからんちんな事実に直面したからでした。
 いまのところ、桐(『このはな綺譚』)がいちばん好きな役ですが、大野アシュリー(『妹さえいればいい。』)も捨てがたい、比良坂夜露(『アリス・ギア・アイギス』も好きですし、いやいややっぱり井口さん(『SHIROBAKO』)か……(以下略)

 


BEATLESS

 たまたまYouTubeにサジェストされていたPVのサムネイルに表示されていたスノウドロップに“引っかかり”を覚えて再生してみたら、『BEATLESS』のアニメ化告知だったので思わず苦笑いしました。
 この時点で「人間の姿をしているのに、明らかに人間ではない」とわかる映像表現には目を見張りました。アンドロイドやガイノイドは、多くのアニメで描かれてきましたが、それらはどれも顔立ちを人間のキャラと微妙に変えてあったり、外見的特徴があったりそうと知らなければ全く区別が着かない見かけだったものが多数を占めていたからです。
 この驚きは『宝石の国』によって覆されましたが、対比となる人間が金剛先生しか出てこないため、『BEATLESS』は「人間の姿をした人間ではないものがいる社会」を描いた作品だと思います。
 また、長谷敏司さんはデビュー当時から一部を除いて著作を読んでいる作家でして、『BEATLESS』原作単行本は当時積んでいました。
 積んでいたらアニメが始まってしまい2話まで見たときに、「いますぐ原作を読まなければならない!」と放映と並行して読み始め、半ば頃に読み終えました。結果として、原作単行本は付箋だらけになりました。※
 読了後の視聴で注目していたのがアナログハックの表現で、原作だと地の文で「~はレイシアのアナログハックだ」のように明言されている部分が結構あります。ところが、アニメ場合は画面からそれを絵解きする必要があるため、この見極めが完全に視聴者に委ねられるからです。
 特にレイシア級の場合は、目指すところへ対象者(レイシアならばアラト)を誘導するためアナログハックと、hIEがAASC(行動適応基準)に従って用いる通常のアナログハックの二種類が混在するため、より難易度が上がりました。
 後者はモブhIEも行う営業スマイルや世間話の中での愛想笑い。レイシア級では、紅霞が去り際に笑ってみせるなどと言った「その人間が望んでいるであろうふるまい」が主になるのですが、レイシアの場合はアラトの好感度を維持したまま自分の行動を承諾させる必要があるためすっごく難しいのです。
 この“相手に望んでいるであろう対応をする”ことは、人間が普段から行っていることなのですが、アニメでも原作でもこの点に全く言及しないところが意地が悪いですね。親近感すら湧きます(マテ)
 途中、万策尽きてしまったのは残念でしたが、間が空いても最終話まできっちりやってくれたことは嬉しかったですね。ぶっちゃけ、ラストのスノウドロップをいい加減な描き方したら「水島精二監督作品は二度と見ない」くらいの覚悟で視聴に臨んでました。つまり、信じていたわけです。

※特番でこの三倍くらい付箋が貼ってある原作単行本を、レイシア役の東山奈央さんが取り出したときはぶったまげました。


アンゴルモア 元寇合戦記

 原作未読。2018年最初の伏兵でした。
 元寇を扱った映像作品はいくつかあるのですが、あえて対馬の戦いに視点を置くところからして驚きでしたし、様子見のつもりが1話からほどよい時代考証、クセの強いキャラクター、見せる殺陣、歴史好きの期待を裏切らない拡大解釈、大仰な身振りによる画面をいっぱいに使った演出に引き込まれました。
 個人的に嬉しかったのは、推測で「原作ではこうだと思うが、映像化するにあたって展開やときには言葉一つでわかるであろう部分は流れを重視して端折ったと思われる」といったことをツイートしたら、原作ファンの方から引用RTで「そう、その通り原作を上手くアレンジしている」といったコメントを頂いた時ですね。
 また、OP曲が非常に好きでして配信と同時に購入した作品は、今期ではストレイテナーの『Braver』だけです。


『SSSS.GRIDMAN』

 今期後半の本命、BABY DAN DAN DAN!
 と言いつつ、実は直前まで見る気はなかったのです。ところが番組表を確認したらほどよい時間帯に放送していたので、試しに1話を見てみたら好きな演出の連続でどはまりしました。この直後、原作である特撮版『電光超人グリッドマン』の存在を知り、AmazonPraimVideoで見てみたら、こっちはこっちで面白く、少し無理をして全話見ました。
 3話辺り。ネット上でも明らかに注目されてきた頃に、ちょっとした考察じみたテキストを書いてしまったのですが、ブログに掲載するかぎりぎりまで迷って結局お蔵入りにしたこともあります。この時点では、アカネがあの世界の創造神だとまだ提示されてなかったので正解でした。
 ラストシーンの解釈で考察が飛び交っているようですが、そんな難しく考えなくても良いんじゃないかな、というのが私の見解です。私は端的にグロブロー(『要塞シリーズ(荒巻義雄著)』の舞台となる架空天体の名前)と書きましたが、「『永久帰還装置』だ、神林長平だ」と書いている人がいました。
 ここは、特撮版におけるコンピュータ・ワールドという概念を知っているか、架空世界を扱った作品に親しんできた経験が無いとわかりにくい部分だと思います。
 この作品が提示したのは「あなた達は自分が現実だと信じているその“現実”は、その“いま・ここ”は相当曖昧なものですよ」と訴えかけていると思います。私は変な人間なので、自分が現実だと思っている“いま・ここ”が誰かの夢ではないか、と疑ったこともありますし、自分の存在を規定するものは他者の存在があってこそだとも考えています。
 大石昌良さん(OxT)が放送終了後に「【後日談】OP歌詞のリテイク等でネタバレに慎重だった雨宮監督が、「君を退屈から救いに来たんだ」のところでグリッドマンをアカネのところに窓ガラスばりーんってよこした時には「おい!あんたが一番ネタバレしてんじゃねーか笑!」って最高にエモかったです笑。」とツイートしていたように、あのOPが全てを語っていると思います。

 「僕らの世界」の「僕ら」というのは、裕太や六花、内海達のことで創造主=神様であるアカネに「目を覚ませ!」と言っているわけですね。侵略者とはアレクシスのことであり、このイレギュラーを排除しに来たエージェントがグリッドマンなわけですね。
 ラストシーンは実写(≒現実)に切り替わりタイトルが被って終わりますが、「この映像を見ているあなた方視聴者を誰かが同じように画面で見ていない、と言い切れますか?」という製作側の問いかけでもあると思うのです。


『アニマエール!』

 原作未読。2018年最後の伏兵でした。
 当初はニコ動で見ていたのですが、3話を見たらときの次の期待度が一気に高まったため、以降はTV視聴に切り替えました。
 主人公・こはねがチアリーディングに憧れを抱いて、幼馴染みの宇希の助けを借りつつひづめを動かす過程は丁寧な分焦れったくもありました。いまにして思えば、この部分は助走であって、中盤以降加速していく物語を支える足場になっていたんですね。こはね、宇希、ひづめ、こてっちゃん虎徹)、花和、の五人は皆それぞれ強い個性の持ち主なので、短期間にまとまっていくには強い核が必要だからです。まず、こはねとひづめの双方を見守るかたちで距離を置いていた宇希という三角関係。宇希が積極的に関わるようになったところでそこにこてっちゃんが加わり四人になり、グループとして動き出したところにひづめの延長線上にいた花和が飛び込んでくるかたち。導入がどれも体当たり気味で、毎度わちゃわちゃしている様が見ていて和みました。
 チアが主題なだけあって、経験者であるひづめの発声は、画面からも空気の振幅を感じ取れるような絵作りがされていたと思います。実際、全編に渡ってキャラがきびきび動きますし、日常場面ではキャラの動きを追うようなカメラワークが実写っぽくてそれが臨場感を出していたと思います。ディフォルメキャラの場面との切り替えも自然な出入りで、ここではこてっちゃんが大活躍でしたね(笑)
 メインキャストの演技が光る作品でもありました。
 ひづめのアップダウンが激しさを自然に表現した山田唯菜さん、宇希の極めて常識的な部分とそこから逸脱する部分を見事に演じた井澤美香子さん、こてっちゃんのほんわかしたところと微妙に黒いところを可愛らしく演じた楠木ともりさん(そして『GGO』のレンを微塵も感じさせなかった!)、花和の真っ直ぐなゆえに不器用な性分をめんどくさいと感じる前に微笑ましく感じさせた白石晴香さん。
 そして、この作品の見どころの一つとも言えるのが、こはねの前向きゆえに空回りしてしまうところや天然のはげまし気質をチアの習熟過程とリンクするかのように役をものにしていった尾崎由香さんの演技でした。
 気づけば軽い気持ちで見始めたら見ていると気持ちが軽くなる作品になっていて、終わったときのロス感が自分でもどうしようってくらい強かったです。


ゾンビランドサガ』

 話題になる前から注目されていることは気づいていたのですが、『電光超人グリッドマン』を見始めてしまったために、リアタイ視聴の機会を逸してしまった作品です。放映期間に一切ツイートがないのはそういうわけです。
 配信で追いかけることは十分可能だったのですが、あえて途中から乗らずに関連ツイートを全て流して放送終了直後くらいに見始めました。
 毎回こちらの感性へダイレクトに訴えてくる全力投球。イロモノのふりをした堅実な作品で、フランシュシュがゾンビであることを除けばわりと正統派のアイドルものなんですよね。
 上手いなと思ったのは、ゾンビであるためオフのときは完全に世間から切り離されてしまい、アイドルものでは縁が切れない業界のしがらみに主人公達がほとんど関わらない(関わりようがない)という作りにしてあることでした。そのため、1クールアニメでありながらメンバー7人のうち5人までそれぞれの過去と現在を結びつけたエピソードを入れても密度は高まりこそすれ、話の展開に無理がないのですね。ゆうぎりとたえがそれぞれ生きていた時代からの乖離の長さと意識が戻っていない、という点から外側からメンバーを支える形になっていたので、それによってキャラに深みが出ていたと思います。個人的に好きなのは、ゾンビ2号です。二階堂サキです、夜露死苦
 メンバー内でのジェネレーションギャップがポイントになる作品でもありますが、面白いのはフランシュシュの楽曲はおおよそ80年代半ば~ゼロ年代までの様々な楽曲の特性が取り入れられており、これを2018年現在の音楽としてまとめているところでした。ここそれっぽいと思ったら、術中にはまった証拠だと思います。
 作っている側は狙ってやっているはずですが(それでもコケることはある)、今期の大穴・大当たりだったような気がします。

 


『メルクストーリア-無気力少年と瓶の中の少女-』

 YouTubeでサジェストされていたPVが好印象だったので見始めたら、これが今期の和み枠になりました。
 1話ないし前後編2話完結のオムニバス形式で進むため、エピソードごとのゲストキャラクターやその地域と種族についてしっかり掘り下げて描いてあり、こうしたバラバラの視点から作品世界全体を描き出す方式は、モンスターを倒すのではなく鎮める(癒す)という作風とマッチしていたと思います。
 これといって突出した部分はないのですが、丁寧に作っているのが見ていて伝わってくる作品でした。個人的に好きなのは、妖精の国のお話と死者の国のお話しでした。あ、何気にどちらも、春と冬、光と闇、過去と現在、表と裏、現実と夢、生と死と言った鏡映しになるテーマを扱っているエピソードですね。
 本やゲームなどを通して定着した「ふわっとしたファンタジー感」を上手く活用した作品でもあり、各地域と各種属を小規模商隊の交易で結びつけることで消極的な強調による他種族共存世界を描き出すことに成功していたと思います。
 文化と生活風俗の違いを強調することで、文明レベルに差異が生じないようにしていて、あんまり深いことを考えずに物語を楽しめました。この作りを補強するために、各地でのカルチャーショックがたびたび描かれていたのも好印象です。
 1話と最終話が対の構造になっていて、最後までゆったり楽しむことができました。でもこの作品、評価している人が少なくて淋しいです。『デュープリズム』の世界が好きな人は、好きになれる作品だと思うんですけどねえ。※

※ていうか、『デュープリズム』自体が結構マニアック。


BANANA FISH

 これは以前ツイートしたことそのままです。
 原作未読。途中、あまりの胸くその悪さにリタイアしかけましたが、最後まで見ていて良かったです。後半は知らずマックスとブランカの視点を意識しており、二人にとってまたアッシュにとって互いがどういう存在なのかが見えてきて、殺伐さを極めていく中で自分なりの楽しみ方を見出せました。
 視聴を断念しかけたときTLに現れた「この作品はアッシュに色んな人間が裸の感情をぶつけていく物語なんだよ(大体こんな意味)」という一文に、見逃していた物の見方を教えられた気がします。どこの誰とも知らない貴方に感謝します。
 ラストシーンを「美しい」としか表現できない映像作品にひさしぶりに出会いました。それまで散々醜い面を見せてきただけに、この絵がものすごく綺麗で美しさが際立つのです。これは完全に予想外でした。

 

 以上です。ブログの記事にすると決めた時点で、それなりの量を書くつもりでいましたが、結構な分量になってしまいました。

 

助言者

 

 これを書いたとき「助言者」というキーワードが出てきたのは、何気にそういう本を結構読んできたからなのかもしれない。

 迷える主人公に対して助言者となる存在が出てきて、同時にキーパーソンにもなる話の代表格は、『かもめのジョナサン』だろう。そうした助言者が、実は自身に内在するものあるいは自分自身であるとする作品もあり、バックは『イリュージョン』でそれを示唆していた。

 
かもめのジョナサン 完成版 (新潮文庫)

かもめのジョナサン 完成版 (新潮文庫)

 
イリュージョン (集英社文庫)

イリュージョン (集英社文庫)

 

 ここから自分と世界の関わり方について掘り下げていくと、 スピリチュアルな方向に進んでいくのはあちらの人間にとって「神」とか「救世主」といった見立てを用いず語ろうとすると、古代から連綿と受け継がれてきた信仰対象とは異なる神秘に至るからなのかもしれない。
 『アルケミスト』、『聖なる予言』などがこれに該当すると思う。

アルケミスト 夢を旅した少年 (角川文庫)

アルケミスト 夢を旅した少年 (角川文庫)

 
聖なる予言 (角川文庫―角川文庫ソフィア)

聖なる予言 (角川文庫―角川文庫ソフィア)

 

  関連商品で『星の王子さま』が出てきたのでついでに貼っておくけど、この作品もまあそうかもしれない。

星の王子さま (新潮文庫)

星の王子さま (新潮文庫)

 

 こうしていくつか挙げたところで、それっぽい和書が出てこないのは、私の勉強不足をさて置けば、日本列島が元来多神教の風土だからだろう。信徒ではない限りキリスト教観に基づく神の感覚は合わないと思う。
 たとえば、ニーチェを引き合いに出すとき、生活風俗と技術産業の比較を添えないと話がわかりにくいのもたぶんそれが原因ではないだろうか(そういう小説がある)。作者は説得力を持たせたようでも、読者には衒学的で胡乱な話にしか思えない。衒学的になるのを狙って書いているだろう西尾維新のような作者は例外だけども。

 あ、天沢退二郎の著書は助言者こそ出てこないものの、ちょっとそれっぽいところはあるかも。 

詩はどこに住んでいるか

詩はどこに住んでいるか

 

 これとか。

 

HGBFストライカージンクス

 HGBFストライカージンクス完成しました。

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 Twitterにも書きましたが、旧日本海軍第653航空隊の零戦52型を意識してみました。ただ、部隊番号を貼ってから機体番号も貼ることにしたので、尾翼の「653-131」のようにはならず左右逆になっているのはご愛敬。

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 本体はほぼ無塗装。スミ入れをした後、プレミアムトップコート(つや消し)を全体に噴いてあります。GNスマートガンはファントムグレー。GNディスチャージャーはニュートラルグレーです。
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 最初は武器だけ塗装して、本体はスミ入れのみでトップコートを噴く気は無かったのですが、ゲート処理跡にペーパーをかけた部分が思いのほか目立ってしまったためデカールの練習も兼ねてトップコートまでやることにしました。
 デカールは全て「ガンダムデカール鉄血のオルフェンズ汎用1」です。数字とコーションマークはそのままですが、他はカットしてアレンジしています。

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  これまではロボットメカモデルにデカールを使ってこなかったため、水性トップコート(しかもプレミアム)を使うのもはじめてで、かなり苦戦しました。通常の水性トップコートはわかりませんが、プレミアムトップコートの場合、薄めに噴こうとすると粒子が散ってしまって粗が目立ち、入念に噴きすぎると白化します。
 結果、失敗しまくって、乾燥後にラッカー薄め液と水を使って布で拭き取り、やり直すこと数度。意外だったのは、この工程で脱落したデカールがほとんど無かったことです。
 失敗の原因はあまりに久しぶりだったため、私がスプレーの噴きつけ方を忘れていたのが半分、残りはプレミアムトップコートの特性上、乾燥が早く塗装中でもスプレーの噴射口を適宜拭ってやらないと、そこに乾燥したトップコートの破片がこびりつくからです。これにすぐ気づけなかったのが痛かったです。

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 この他、気になるところは多々あるのですが、修正していると切りが無くなって完成しなくなるので、ここで切り上げました。
 それから、プレミアムトップコートの特性なのか、キットの個体差なのかパーツの接合が緩い部分があって、特に右の手甲と足首の装甲板がぽろりしまくります。前者はマスキングテープを噛ませて対応してますが、後者は接着した方がいいかも……。

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 カラーリングが零戦より淡いため、陸上自衛隊10式戦車のマーキングも参考にしています。デカールは当初、あちこちに貼っていたのですが、トップコート修正の段階で脱落しました。ただ、完成してみると、これくらいのバランスで丁度良かったようです。

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 幸いあんまり目立っていませんが、合わせ目消しもやっていません。というより、イラストや設定画に沿って合わせ目を消していくと、整備はどうするんだろう? な疑問が出てくるため、ガンプラに限らず合わせ目消しは基本やらないことにしています。

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 実際、このストライカージンクスもアニメ本編とはかなり機体のラインが異なります。アニメの方は映像としての見栄え、模型の方は立体としての見栄えを優先させた感じですね。
 というわけで、模型の方はこちらの独自解釈を持ち込むことにしています。逆にその辺の差異が少ないフレームアームズなどは、工作技術が追いつく範囲で合わせています。

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 ちょっとしたこだわりとして、肩の部隊番号と機体番号が前方と後方で左右逆になるようにしてあります。これは、戦闘などで片腕が脱落した場合でも他機から認識しやすいと思ったからです。人型ならではの配慮が必要かな、と。
 あと、GNディスチャージャー背面の肉抜き穴をエポパテで埋めました。

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 よって、両肩にシールドを装備するとこうなります。機体番号のシールドを左肩に標準装備させた方が良かったかなとも思ったのですが、653の方が主張が強いので部隊番号の方を付けてあります。実際、運用する場合は機体番号を付けた方がいいでしょうね。

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 ストライカージンクスは発売時から注目していて、特にドーム型の四つ目が陣笠っぽいところに惹かれました。一応、頭部アーマーの下の顔も塗装してありますが、着脱する気が皆無のため撮影もしていません。トップコートの塗膜が干渉して、剥がれるのが嫌だというのもあります。でも、こういうところを塗るのと塗らないのでは、大きな違いだったりもします。

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 そんなわけで、最大の改造がこちら。この背面ユニット基部の肉抜きをジャンクパーツ(HGUCデルタプラスの手甲)で埋めました。頭が大きいのであんまり目立たないのですが加工の効果は絶大です。本当はプラ板を使った方がツライチ合わせができるので見栄えは良いのですが、それをやると全塗装しないといけなくなるので……。

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 成形色と似たような色を作って誤魔化してあります。個人的な感想ですが、トップコートはラッカーつや消しの方が良いかもしれません。00系は可動を強く意識しているため、塗膜によってクリアランスが厳しくなることはまずないと思います。なお、おおよそ部位ごとに分解した状態でトップコートを噴いています。キット付属のシールはセンサーアイのみ使用しています。

 上にも書きましたが、今回はトップコートの塗膜によるパーツ同士の干渉を気にしすぎて慎重にやりすぎたためか、接続が緩い部分をあります。改修したいのですが、クリアなどを塗って塗膜を作るくらいしか思いつきません。
 以前、接着剤で膜を作って軸を太らせるというやりかたを見かけて試してみたのですが、これだと接着剤の成分が表層の素材を溶かしてしまうので一時的には機能しても、最終的には逆効果なのでオススメしません。少し考えればわかることなのですが、一時的でも上手く行ってしまうと当然のことに気づけなかったりします。

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「653空、発艦、始めてください」
「よーそろー。第一飛行隊、発艦はじめ!」
みたいな(笑)

 というわけで、機体番号の由来はマリアナ沖海戦時に瑞鳳所属だった第653航空隊の零戦52型です。ハセガワのキット解説によれば、131号機は瑞鳳小隊長機(指揮官機)らしいです。これは「第653航空隊の第1飛行隊第3飛行分隊機番1の機体」のことだな、と判断しました。マリアナ沖海戦での生還機でもあります。

 なぜ指揮官機=飛行隊長機なのに第3分隊なのかというと、当時の三航戦(第三航空戦隊)の編制が1番艦千歳(戦隊旗艦)、2番艦千代田、3番艦瑞鳳だったからです。653空は基地飛行隊として編制されており、零戦の割り当てが6、6、7機だったためです。マリアナ沖海戦では、航空隊司令が千代田、飛行長が千歳、副長と飛行隊長が瑞鳳乗り組みという一見するとちぐはぐな配置になっています。
 ここでの機番というのは、機体そのものに割り当てられた番号なので、10になったらどうなるんだろう? と思ったのですが。比較的画像資料が残っているのは、マリアナ沖海戦以降なので、ハセガワの見解に手元の資料をすり合わせて131を上記のように解釈しました。
 参考にしたのは、『空母瑞鳳の生涯(桂理平著)』と当時の瑞鳳及び瑞鶴の戦闘詳報、マリアナ沖海戦後ですが当時の653空が出てくる映画『雷撃隊出動』です。本や映画はともかく、意外と一次資料が残っているので驚きました。

 

 以下、塗装部分のカラーレシピと参考文献です。塗料は全てMrカラー(クレオス)。特に付記のないものは、ラッカー塗料筆塗りです。

 ・GNスマートガン:ファントムグレー(ガンダムカラー/UG15)
 ・GNビームサーベル:エクストラシーグレー(333)
 ・GNディスチャージャー:ニュートラルグレー(スプレー)
 ・大腿部スラスター:ジャーマングレー(エナメル)
 ・スミ入れ:スミ入れブラック(エナメル)&スミ入れシャープペン
 ・頭部スリット他ブラック:セミグロスブラック(エナメル)
 ・背部ユニット肉抜き穴:グリーンFS34092(302)+ガルグレー(11)を7:3で混色
 ・デカールガンダムデカール鉄血のオルフェンズ汎用1×2
 ・全体仕上げ:水性プレミアムトップコート(つや消し)

 

空母瑞鳳の生涯―われ等かく闘えり

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雷撃隊出動 [東宝DVD名作セレクション]

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本棚にある詩集の話

 付箋だらけにした『論理哲学論考』を本棚に差し込むと、付箋が飛び出ている本が目に付いた。『寺山修司少女詩集』だった。付箋を貼るほど熱心に読んだわりには、以前いつ読んだのか思い出せない。まあ、そんなもんだよな。だから、付箋を貼ったのだろうな……などと思いつつ、なんとなく国内作家の詩集を全部引っ張り出して布団の上に放射状に並べてみた。
 六冊。あれ? こんなものか?
 ともあれ、詩集はさほど数を持っていないため、蔵書している本はなにかしら買ったきっかけがある。特に国内作家だと顕著だ。と言うより、国外作家を含めてしまうと話も思考もややこしくなるので省いている。

西条八十詩集』白凰社→作詞の試行錯誤の過程か、「蝶(そういう題の詩がある)」を知った際であろう。
『誤解 田村隆一詩集』集英社→???
寺山修司少女詩集』角川文庫→たぶん、桜庭一樹が好きだった頃であろう*1
中原中也詩集』新潮文庫→詩歌を書き始めた頃であろう。
『日本の詩歌 萩原朔太郎』中公文庫。→同上

 改めて眺めてみると、保存状態は同じなのに扱われ方が顕著に異なる。この中で最も綺麗なのは中原中也。明らかに一回読んでそれっきりという体で、実際に影響も受けていない。付箋も貼っていなければ、栞すら挟んでいない。

中原中也詩集 (新潮文庫)

中原中也詩集 (新潮文庫)


 付箋を辿っていって受けた影響の大きさを思い知らされたのは寺山修司であり、おそらく最も良く吸収できていた頃なのだろうなあ、とも思った。「天文学」のところに付箋が貼ってあるのは、「バーチャルスター天文学」との関連を見出したからだろうね、わかるわー。

寺山修司少女詩集 (角川文庫)

寺山修司少女詩集 (角川文庫)


 萩原朔太郎は、なぜその位置に付箋を貼ったのかが一瞥してすぐにわかってしまう。中公文庫のこの本は、註が非常に細かく、ついでに活字が小さく、情報量が豊富だ。変な位置に付箋を見つけたら、ページ下に視線を移せばいい。補註の位置と合致する。

 というか、「Omegaの瞳」はどれだけ好きなんだ。付箋が貼ってあってしかも栞まで挟んであった。好きだもんな。『猫町』にしたって、折に触れて手に取ることがあるからな。


 西条八十は、折を見て再読した方がいいかなー、と思った。まだまだ自分の中に浸透しきっていない。白鳳社のこのシリーズは、版型のわりに分量が多いので、詩集としてはコストパフォーマンスが優秀だと思う。

西條八十詩集 (青春の詩集 日本篇 20)

西條八十詩集 (青春の詩集 日本篇 20)


 さて、『田村隆一詩集 誤解』だけがなぜ持っているのかわからない。1978年度版、四六判。関係の無い本の帯が挟まっていたのも覚えている。その帯を心惹かれたページに挟んだのも覚えている。

 しかし、どういうきっかけで買ったのかだけが思い出せない。

 えっと、『さよならを教えて・公式設定原画集』で石埜三千保さんが紹介していたのは、入沢康夫だったか。現代詩を薦めてきそうな人間って、他にいたっけなあ? 
 こんな事考えていたら、以前読んだ茨木のり子の詩集を思い出して、うっかり注文しようとしてしまった。思いとどまった。
 茨木のり子梨木香歩がエッセイで引用していて「え、こんな詩も書く人なの?」と驚いて、地元の図書館で二、三冊まとめて借りてきて読んだのである。ああ、これにもきっかけがあるな。
 当時もいまも買うまで踏み切れないのは、装幀を豪華にした所為で値段が高いからなのである。 そこまで好きではない、ということもあるが、収録されている量が少ないのがわかっているから思い切れない。キンドル? あれは詩歌を読むにはおそろしく不向きなツールだと思う。尾形亀之助の『色ガラスの街』がそうだった。

 一応、詩歌を書く人間からすると、改行や一行の字数、1ページ内に表示される範囲も含めて作品なので、青空文庫のように余計なことをせずアーカイブしてくれた方がまだ伝わるのである。詩人とはめんどくせえ人種なのである。ぶっちゃけ、青空文庫を許容できる(縦書き→横書き)自分はまだ良い方で、昔詩集を出すというので寄稿した際に、改行で揉めていた人がいたなあ、などと遠い目をしてしまう。だったら、作者側で版型に合わせて調節すりゃいいじゃん、と思っていたことも思い出してしまった。え、その詩集はどうしたかって? いやあ、とんと記憶に御座いませぬ。

 ここまで記憶を遡行したのに、『田村隆一詩集 誤解』はどういうきっかけで買ったのだろうか?
 思い出せない。

*1:砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』の頃だと思われる