ロリータ℃の素敵な冒険

ロリータ℃の素敵な冒険

ロリータ℃の素敵な冒険

 良い刺激だった。ずばり言ってしまうと、夢見がちで小賢しい少女の妄想なのだが、大塚英志(とちょっとだけ白倉由美)の諸作品から引き抜いてきたガジェットを巧妙に織り交ぜており、それらがこの作品を夢見がちで小賢しい少女の妄想を、物語に仕立て上げている。

 閑散とした、死にかけた街。
 ちょーっと遠くまで来すぎたかな?
 「海へ行くつもりじゃなかったってとこかな」なんて、あーどうしてフリッパーズ・ギター解散しちゃったのかなぁ。ロリポップ・ソニックの頃からファンだったのに……ってあたしっていくつ?
 真上から太陽が照りつけて、殆ど人通りのない、崩壊した国の道路を、私は大好きな資本主義の象徴のような、ブラダの新作のラバーソウルのブーツで歩いていく。
 この空気を一世紀前、ドストエフスキーも吸ったのだ。
 もしかしたらトルストイチェーホフや、プーシキンも!

 ℃がどんな娘かと言ったら、こんな娘と言おう。小賢しくて、小生意気で、夢見がちでトラウマ持ちの、少女。
 あまり書くとネタバレになるので控えておくが、これに加えて℃はエロい。そのエロさを指摘して弄びたくなるようなエロさだ。
 ℃は観られることに慣れている。
 細い手足、長い髪、白い肌、小さな顔、薄い胸、大きな瞳、そして、傷痕。
 おおよそ「少女」というものに付随する幻想を切り取ってきたような存在であるため、男どもは皆彼女の虜になる。ある日突然に、不揮発に開かれる℃のオンステージ。
 スポットライトの下で歌い、踊る、少女の姿を男どもは崇める。
 この崇拝は無遠慮な視姦にも似ている。
 ℃は恥じらいなど知らないかのように振る舞う。
 だからこそ、自分を崇めない相手に℃は欲情する。この時、SとMは反転する。観られる事で、観られているがゆえに、「観たいんでしょう?」と男どもをなぶっていた少女は、観られない事で、観られないがゆえに「私を観ないの?」と動揺する。
 とんでもない小娘だ。
 まぁ、それは℃に限った事ではないのだけれど。
 この小説は、そんな小娘に振り回される人間達の物語である。