『酒とオロチと須佐乃男と萃香〜東方私学(抄)』

 古典文学というか民俗学において「酒呑童子→伊吹童子→八岐大蛇」こんな図式が成り立つらしい。当方、東方私学的にいうなら(まぎらわしい)、さらに一段加えて「伊吹萃香酒呑童子→伊吹童子→八岐大蛇」となる。ちなみにこの「→」は関連性を表すものでイコールではない。また、歴史的には酒呑童子の方が伊吹童子より古いが、二つが関連付けられたのは伊吹童子説話成立後なのでこのように記した。
 前置き終わり。

 御伽草子にこんな話がある。
 近江の国に弥三郎という尋常ならぬ野人がおり、その土地の有力者大野木殿の姫のもとへ連夜通っていたという。もちろんそんなことは大野木殿は露知らず、ついに姫のが身篭るにいたって夜毎通ってくる男の存在を知る。大野木殿、これは見逃せぬと娘を問いただすものの『そのありさまけだかきひと』といった程度の答えしかなく埒が明かない。しかも姫はまんざらでも無い様子……。
 そこで母親が一計を案じ、糸をくくりつけた針を娘に渡し、かの男の裾に刺しておくよう命ずる。かくしてそれは実行され、翌朝になっていれば褥から長々と糸が伸びている。たどってみれば伊吹山のふもと弥三郎に家へ続いているではないか。
 翌日、大野木殿は弥三郎の大好物の酒をたっぷり用意させ、姫に指示してこれでもかというくらい飲ませる。ご機嫌の弥三郎「おなかの子は将来、神通力を備え国の主になりうる男児であろう」と予言して帰る。弥三郎はこの大酒がもとで死ぬ。それから生まれた子は伊吹童子と呼ばれる。
 とまあ、こんな話である。これには続きがあって「伊吹童子は生まれながらにして髪の毛は長く歯は生え揃い、瞳をらんらんと見開き『父はいづくにましますぞ』とう言った」という。この後、「あの伊吹弥三郎の血を引く童子」と恐れた大野木殿によって、伊吹山中の谷底に捨てられてしまうのだが、逆に生き生きとして山の獣たちに守られて生きるのである。
 少し長くなったが伊吹童子についてはこんなところか。ここを押さえておかないと、あとあとの話の通りが悪くなるので書いておいた。
 最初に紹介した伊吹弥三郎の話。この形式の結婚談は『古事記三輪山神話以来、諸処の文献に見られる蛇知耳(一文字)入苧環(へびむこいりおだまき)の話と強い類似性がある。蛇むこ〜とはどんなのかというと「娘の下に夜毎男が通いその結果娘が身篭る。家人が娘に相手の着物に苧環をつないだ針を相手の着物に刺しておく命じる。翌日その糸をたどっていくと洞穴の中に続いていて、体に糸を刺された大蛇がいて子のことを娘に託して息絶える」といった筋のことだ。
 この形式をベースに話が作られているということは、伊吹弥三郎は蛇体的性格を持っていなければいけない。そしてそれはある。伊吹弥三郎、伊吹山……この関連でつながる神が実はいる。伊吹大明神。すなわち、伊吹弥三郎は伊吹大明神の申し子だというのだ。そして伊吹大明神は、八岐大蛇のお膝元と言われる社である。蛇つながりでこれ以上のものはないだろう。八岐大蛇が須佐之男に大酒を飲まされて退治されるのはご存知の通り。どっかの誰かさんが“酔いどれ左利き”なのは、鬼が酒を好むからというだけでもなさそうだ。
 なにしろわざわざ証明してくれた妖怪がいる。

 「あら? それじゃ私はスサノオね」(八雲紫

 おまけに疑問を投げることでヒントを口にする魔女もいる。

 「それならどうして剣じゃないのかしら」(パチュリー・ノーレッジ

 わかっていない半人前もいたようだが。

 「どうして剣からお酒が出る必要があるの? 剣は斬るもの!」(魂魄妖夢

 おかげで論点はずれ、ともすれば読み手は撹乱されてしまうというわけである。でも確かにこんなことを知っているのは専門家か好事家のどっちかだと思うので、博麗神主が言うところの「妖夢は幻想郷連中の会話をユーザーレベルに合わせる翻訳役」という言葉はまさにその通りということなのかもしれない。
 そんなことだから、幽々子に「あらあら、妖夢」とか言われてしまうのだろうけど。



・補足
私学……つまり私の個人的なお勉強テキスト。ノートの1ページみたいなものです。
ここでの東方は必ずしも=東方プロジェクトではなく、日本から大陸、東洋全体ひっくるめたもろもろのことですのであしからず。


文責:蒼桐大紀