是非にと請われれば、是非もありません。
まず前提として、楊震の云々とは「天知る、地知る、汝知る、我知る」の由来のことです。
これは中国の故事でして、官吏の楊震は、賄賂持ちかけられ際に「誰も見ていやたにしない」と言われて「天知る、地知る、汝知る、我知る」と返して、賄賂を固辞した人です。
「君は誰も知らないと言うけれど、天も地も、君も私も知っているじゃないか」とインテリな一言をつけて、突っぱねたわけです。その潔癖で生真面目な性格が災いして、佞臣に陥れられ、皇帝にうとまれて自殺に追い込まれてしまうのですが。
ハクタクの多眼との関わりを持ちだした経緯は、ただの想像です。連想といった方が良いでしょうか。私はそうした専門知識も、そちら方面の読書経験も浅いのですが、仕事柄表面的な知識は持っています。そのため、そうした耳学問のインデックスから繋がりそうなものを繋げるのは日常茶飯事なのです。
史料に基づくような明確な論理も、経緯もありません。
だから与太話といったのですよ(笑)
ただ、歴史という学問の物の捉え方は、一つの出来事を見るときにそれが他の何と関連しているかを見ることにあります*1。そうした中で、「見ている/知っている」という観点からハクタクを考えたとき、私にとってはごく自然に楊震の故事が浮かんだのです。
ハクタクが持っている知識は、妖怪変化などの人外の知識ですが、その目が一体何を見ているか、といったらやはり天下でありましょう。
天下の動きをある一定の視野から俯瞰し、記録し編纂する史料になります。史料の集積とそれらを積み重ねてきて残った物──すなわち歴史であります。
あとは楊震の融通のきかなさが、慧音を想起させたのかもしれません。そしてまた、不正が横行していた時代、その流れに乗らなかった楊震はまつろわぬ者とも言えます。官吏という行政機構に属する身分でありながら、主流から外れた異端者だったわけです。実際は主流だろうが何だろうが、不正を行う方が異端であり罰せられるべきなのですがね!
そうした諸々が、本質的には異端の存在でありながら、人の側の存在として描かれる妖怪・ハクタクにその幻影を垣間見たのかもしれません。
う〜ん、やっぱり与太話になりましたね。
余談ですが私の思考法は、基本的に連想型なので、突発的な想像に見えても辿っていけばどこかに、基点があるはずです。そうしてやがて原形を留めなくなるので、私としては結果オーライ?(笑)
*1:じつは歴史に限ったことではない