丸田祥三『廃車幻想〜ポンコツ車からみえた「昭和」』彩流社

 著者が永年撮りためていた廃車の写真を集めた廃車写真集。一風変わっているのは、写真集を作るため撮影した写真を集めたものではないので、そこには作為どころか意図すらなく、当時のありのままの姿が写されている。そのためというわけではないと思うが、写真ごとの解説は少なく、時折小さな見出しとともに文章が添えられている。
 読んだのは去年の十二月で、さっき本棚を見たらなにやら栞が挟んであったので手に取ってみたら、こんな文章に出くわした。

瓶ジュースがあった頃

 上司にいじめられた部下が逆襲をこころみるが“車のローンが残ってる!”ということを思いだし、殴るのを途中でストップしてしまう、というギャグ漫画が七三年頃流行っていた。
 マイカーやマイホームを買うと組合活動が出来なくなることを風刺したものだったが、実際ローン販売のシステムが一般化して以来労働運動は衰退の一途をたどっている、と学校の先生は嘆いていた。
 その同じ頃、こんな流言飛語を、ちまたの大人たちは真顔で囁きあっていた。
「二一世紀の日本はきっと、人口爆発によって住む場所もなくなってしまうだろう。石油不足で車はストップし、狂乱物価で、物もロクに買えなってしまう。せいぜい今のうちに“贅沢”しておかなきゃ…」
 だが子供たちは達観していた。
「石油不足は中東戦争の余波だよね、それに、独りっ子と独りっ子が結婚していったら。やがて子供は減っていくんじゃないの?」
 “誰かが嘘言って皆踊らされているのさ”などと言いながら。
 写真は東京・世田谷。酒屋の裏に置かれていた六九年製のミニカ・ピック。写したのは七三年頃だから四年ほどで廃車になったものである。バラ色の未来論が鳴りをひそめても“使い捨て時代”は続いていた。
 モノを使い捨てていると、やがては“使い捨て社員”なんてことになるんじゃないのか?
 二一世紀は人間の使い捨て社会がはじまる、というテーマで描かれた戯画もあった。
 さすがに子供たちもそれはないだろう、と笑い飛ばしていた。

 読んでから「ああ、あとで引用して日記のネタにしようと思ったんだっけ」と思い出し今こうして書いている。
 著者の丸田祥三氏は、主に廃墟、廃線を耽美的に撮影する写真の先駆者であり、その手の写真が好きな人は馴染みのある名前かもしれない。なお、同氏は一九六四年生まれなので、七三年頃というとおおよそ小学校五、六年生ということになる。写真集の冒頭文によれば幼い時分から、親からカメラを借りてこうした廃車がある風景を撮影していたとのこと。
 さて、引用にある子供たちは当然七三年頃の子供たちなので、二〇一一年現在ではおおよそ四七、八歳である。大人になった子供たちが直面しているこの現在は「それはないだろう」と笑い飛ばしていたことがほぼ現実のものとなっているのには、さぞ苦い顔をしているだろう。
 念のために予防線を張っておくと、そうした世代の人々への皮肉ではない。先のことはわからない、という話し。たとえば、一九八五年に作られた映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』では二〇一五年の未来の技術で改造されたタイムマシンのデロリアンは飛行機能が追加されるが、後四年くらいでは車が空を飛べそうにはない。