いにしえの彩り(「Chords\bermei.inazawa collection」)


公式サイト(バナーをクリックしても飛びませんのでこちらとクリック)

 制作ではご一緒したことがないのですが、なにかとご縁のあるべるさん(bermei.inazwaさん)のベスト盤が出るとのことで嬉しい限りです。そんなわけで、これに収録されている楽曲についてちょこっと書いてみようと思います。
 ……最近更新ないしね(‥;
 さて、わかる人は一目でわかると思いますが、二枚組の一枚目は過去に『Ancient Colors Infinity(=ACI)』というシリーズで三枚のCDに収録されたものが一枚になったものですね。だから「ACIは全部持っているからこれはいいやー」と思う人もいるかもしれませんが、PVを見れば(聴けば)一瞬で気が変わると思います。
 その上で、ACIについて、私の主観のみからの見解だと断った上で、ベスト盤発表に寄せて少し書いてみようと思います。


・Ancient Colors Infinity(以下ACI)
 ACIは、三枚のCDで頒布された物なのだが、これが本来の形ではないかと思う。というのも、ACIにはひとつのテーマがあってさらにその中に、001『泰東ノ翠霞』、002『蒼昊ノ恋歌』、003『饗旺ノ烈火』、それぞれ単体としてのテーマが存在する。
 この中で単体で最も聴きやすいのが『蒼昊ノ恋歌』で、思わず「むむっ?」と首を傾げてしまうのが『饗旺ノ烈火』だったりする。
 でもそれには、明確な理由があると思う。
 ACIは、001から003までひとつの流れを描いている。それは、生命や物質の巡りであり、魂(より明確に言えば魂魄)や精神といった概念の巡りでもある。それぞれについて、私の見解から書くとこうなる。


ACI-001 / Ancient Colors Infinity Vol.1 泰東ノ翠霞

Ancient Colors Infinity Vol.1 泰東ノ翠霞

Ancient Colors Infinity Vol.1 泰東ノ翠霞

 自然界。すべてが在ってすべて無い状態からのスタートする。元素という形のない物が少しずつ、形を成していく仮定で、最後の曲で「さようなら」と歌われるのは、自然界からの分離であり実は誕生を告げる言葉なのだと思う。人間に例えると、母胎から赤子が「さようなら」と外の世界へ出て生まれるといったところ。


ACI-002 / Ancient Colors Infinity Vol.2 蒼昊ノ恋歌

Ancient Colors Infinity vol.2 蒼昊ノ恋歌

Ancient Colors Infinity vol.2 蒼昊ノ恋歌

 これが単体で最も聴きやすいとしたのは、これには明確な形があるからだ。まず情景を語り場を形成して、聴く人にタイトル通り「古街」という人や物が当たり前に存在する場所を見せてくれる。そうして、街という人々の中にある不特定の俯瞰の視点から、ただ一人の相手への想いを告げるひとの視点になる。客観が主観へ。社会という見方で言えば、マクロからミクロへ遷移する。それ故に全体の形が捉えやすく、楽曲の世界に入りやすいのだと思う。同時に主体がはっきりしているがゆえに、相手を遠くに感じてしまう側面も備えている。ともにいながら、そばにはいない。


ACI-003 / Ancient Colors Infinity Vol.3 饗旺ノ烈火

Ancient Colors Infinity vol.3 饗旺ノ烈火

Ancient Colors Infinity vol.3 饗旺ノ烈火

 これがどうして単体では聴くのが難解なのかというと、形のあるものが自然にばらけていく過程だからだ。捉えられないものを描いているので、捉えられるはずがない。つまりは死んでいく過程なのだが、形あるものがその姿を失う様を、昇華というアプローチで描くことで同時に再生の兆しになっている。自然への回帰。しかして、ひとはそれでも形のないものを捉えようとする。そもそも、音楽も、絵画も、文章も、それが創作(二次創作であっても)である限り、形のないものを形にする手段であり方法で、もっと身近なものに例えれば自分の気持ちを伝えることもそうだと思う。それらは、見えないけれど、見えている。そうしたものを捉えようとするのは、人間として純粋な欲求だと思う。


 今回、新たにマスタリングされたことで、三枚で一つだったものが、完全に一つになったので、聴くのが非常に楽しみ。くだんのPVはというと、こんな感じでこれを書こうと思い立ったのも「精霊?」というコメントを見かけたためだったりする。



 そうしたわけで、一枚目は頭から最後まで通して聴くことをお薦めします。この流れは聴く人に浸透するでしょう。それをあえて感じ取ろうとするか、ただ身を委ねるか、気に掛けないか、どれもありで、そこに正解はないでしょう。
 なぜかというと、どう聞こうが、音はその場に存在するからです。その音の中には、楽曲に込められたものが反映されています。楽器の音だけではなく、歌手の歌声もしかり、歌詞にある言葉もしかりです。そうして、それらが一体となったものが、音楽というものではないでしょうか。

 なんだか、エラソーなこと書いていますが、音楽についてうんぬんは、私が作詞をする中で実感したことをそのまま書いただけだったりします。実際、現在も音楽を聴いたり歌詞を書いたりする中で、思わされることでもあり、それらは日々更新されていくのです。
 そんなことを書いているこの人(=蒼桐大紀)は、2009年に出た星名優子さんのRe:nGさんプロデュース・アルバム『Synchronicity』以来、表だって作詞をしてません(‥;
 言い訳をさせてもらうと、どちらかというと曲先向きの作詞家(と名乗ってしまって良いか躊躇がありますが)で、あんまりアクティブな人間ではないのも影響しています。作詞そのものは日々のつれづれの中で書いたり、作曲家・編曲家の方と私的なやり取りする中で書いていたりもしています。
 とはいえ、これは作詞という一面での話ですので、日々はまあそれなりに過ごしています(‥/