『ゆる本』ひふみよ「い」

 去る十一月四日に開催された文学フリマに、雲上回廊発行の文芸同人誌『ゆる本Vol.18』に寄稿しました。漏れ聞いたところでは、総部数30部のうち24部が出たそうです。
 お手にとって下さった皆さま、少しでも楽しんで頂ければ幸いです。

 また、『ゆる本』のバックナンバーは、パブーにて電子書籍として販売されています。興味のある方は、覗いてみてください。
 えっと……Vol.1〜8と16が電子書籍化されていますね。
 こんな感じです(『ゆる本Vol.16』)。


 私がこれまで『ゆる本』に寄稿したのは、『Vol.12、15〜18』の五回。13と14に出していないのは、記憶がさだかではないのですが、単純に間が悪かっただけでしょう。
 これくらいゆるい考えで、寄稿しています。

 というのも、初めて寄稿した『Vol.12』で、バックナンバーを一切読んでいなかったこともあり、分量の加減がわからず通常の短編程度の量を書いて、分冊化させてしまったという過去があるからです。
 目安を出すと、梨木香歩時雨沢恵一の短編一本分くらいの長さが書きやすい長さなので、参加者の多い『ゆる本』では長すぎるのです。『Vol.15』以降は、まず「短くまとめる」を念頭に置いて、テーマと毎度秋山さん(id:sinden)から「(内容が)ゆるくないです」と言われていたので、私なりにゆるくするようにしていました。なお、この話には後日談がありますが、後述します。

「気負わず、力まず、ゆるく生きるよ」をキャッチフレーズに、不定期で発行中の、ゆる系創作アンソロジィ。

 というのが、『ゆる本』のモットーなのですが、号を重ねるごとにこの「ゆるさ」が内容に限らず、全体に及んでいったと思います。そのため、Vol.18からは、募集要項が変更されたほか、初の締切延長告知が出されました。
 この辺の突っ込んだところは、銀河系最強がTwitterで書いていたので、割愛します。検索でゆる本と入力して、表示をすべてにすると、労することなく見られます。
 面倒ですか?
 じゃあ、そのまま引用しちゃいますね。
 ツイート貼り付け? それは、私が面倒なのでやりません(苦笑)。

なんかさあ、ゆる本っていいよねえ。テーマを無視していても、締め切りを過ぎていても、送ったらわりと載るし、なんか参加した感を得られるし、個人誌に再録するときに初出が書けるし、表紙かわいいし、編集者含め、参加者全員、肩のちから抜けまくってるし、意外に続いてるし、落ち着くわ〜。

継続性から生まれる、ゆる本の安心感/安定感たるや。Vol.1発行時から、なんらかの即売会に出展する度に発行してるから、そう考えると、ゆるゆる頑張ってるなあ、とも。参加者がすごい多い号もあれば、2人くらいしかいない号もあって、それも含めて面白い。

皆さんは、ゆる本、どうですか?

ゆる本のいいところは、上手くても、下手でも、ゆるくても、ゆるくなくても大丈夫というところ。ゆるい作品を募集している、という姿勢自体がゆるいから、ゆるくなくても載ってしまうという異次元のゆるさ。とりあえず投げ先として、わりと使いやすい感ある。

その内、ゆる本がホームグラウンドだと言ってくれるひとが現れると嬉しい。

そんな、ゆる本のVol.1〜10とVol.16、パブーにて販売中ですよ。だいたい50円。http://p.booklog.jp/users/unjyoukairou


   発言者:秋山真琴(@unjyoukairou)11月11日JST

 電書籍化されているうちの『Vol.16(テーマ:はいぱーてきすとぷれい)』は、私が過去寄稿した中で、最も『ゆる本』らしく読みやすい作品だと思いますので、読んで下さると嬉しいです。
 サンプルは秋山さんの作品ですが、ご覧のとおり全くゆるくありません。そうしたわけなので、指摘してみたことがあります。

蒼桐「秋山さんは、いつも私の作品はゆるくないと言うのに、自作はゆるくない、ずるい」
秋山さん「ええ、そんなこと無いですよ」

 しかし、後日Twitterにて

 ともあれ、『ゆる本』については、最初の二回くらいまで「稿料を溜め込んで一気に回収しよう」などとこすい考えがあり、いっぽうで「テーマ遵守、毎回書き方を変える、なるべく短く」という自分内ルールを設けていました。
 転機になったのが三回目、すなわち『Vol.16』でした。
 次は三人称で、と決めたときに、色々な実験ができる場ということに気づいたわけです。
 これは大きいなー、と他人の発行物の中であれこれと実験し始めたわけです。それでも守っているのは、テーマ遵守ですね。

 じつは、全く縛りがないというのは、書きやすいように思えて書きにくいのです。それだけではなく、気をつけないと過去作のデッドコピーを作りかねない危険があるからです。
 縛りと書きましたが、指針がない、ということでもありますからね。
 自由と不自由は同じだわ〜、というわけです。

 なお、『ゆる本』については、時間を割かない、という方針でやっているため、資料集め+執筆がのべ1〜2日です。校正は自己責任なので、締切まで余裕があれば、日数を置いて何回か読み直しますが、基本的に誤字脱字を直すだけです。
 手抜きと書いたのは、本来はこの時点でじっくり推敲するからです。


 はてさて、今作のweb版あとがきを書いていこうと思います。

『眩窓純喫茶一九一四』(Vol.18収録)
 テーマの「カフェで書くこと」がポイントでした。この言葉をどう解釈するか、若干悩みましたね。筆者がカフェに行って、その場で書いた小説を寄稿しても良いですし、カフェで小説を書く登場人物を描いても成り立つわけです。
 私はストレートにカフェを舞台にした小説を書きました。
 とはいえ、そのまま現代のカフェ(カフェテリア、喫茶店など)は、Vol.16で一度使っていたため、時代を百年ほど巻き戻しました。こうすると2013→1913になるため、時代は大正まで遡ります。
 関東大震災前なので、浅草にはまだ十二階(凌雲閣)がありますし、あの時代の浅草は、小説の舞台としては定番だったりもします。あと、一部の人はご存じでしょうが、あの時代の浅草って面白いんです。カオスで。

 執筆に際しては、1913年の出来事をさっと調べ、手元と頭の中にある近い時代の資料から必要な部分を抜き出して舞台を設定しました。登場人物の大まかなバックグラウンドは、過去のアイディアを流用して掛け合わせて調整して書きました。
 この長さだと、プロットを書くのは無駄以外のなにものでもないので、執筆時間は三時間くらいです。たぶん、時代考証の穴埋めしていた時間の方が長いと思います。

 あとは、こんなタイプのキャラはどうだろう、と思っていたキャラを最後に出しました。他にはVol.16でのメカ設定は引っ込めるべきだった、という反省を活かして、メカについての描写は最低限に。16はスマホのことで、今回は拳銃です。
 裏話としては、初稿の段階から文章自体を大幅に変えたことです。
 設定が1913年なので、文体はともかく漢字使用の割合をほぼ同時代の小説と同じにしてみたのですが、ルビが使えない上に、使えたとしても読みにくいことこの上ない! というわけで直しました。
 あのサイズの作品としては、お手頃なところに収まったのではないかと思います。

 いまのところ、私が頂いた感想は「美味い珈琲が飲みたくなった」というものでした。場の空気を描くことに注力したので、これは嬉しかったですね。なお、私自身は珈琲には疎いのですが、たまたま『絶対移動中Vol.11 リアクション』を読んだ後で、そこに収録されていた有村行人さんの『マンデリン、または孤独のカフェ』が非常に参考になりました。
 ですので、参考文献として末尾に書いておきました。前回に引き続き、またしても『絶対移動中』の宣伝をしたような気がします。
 必要だと思ったため補註をつけたのですが、結果的に小説より補注の方がひとによっては価値が高いかもしれません。

 あと、ごく一部の人は気づいたかもしれませんが、『福神町綺譚』と『ですぺら』を意識しています。「カチューシャの唄」を挿入しようと思ったのは、その辺りからの発想です。
 大体そんなところですね。