『日本史C〜すごくあたらしい歴史教科書』史文庫/上代・中古編


 これは購入後*1、それっぽい場所に置いてみた際の写真。

 全一八篇の短編からなる歴史小説のアンソロジー集です。
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 かなり濃い内容であり、好奇心をそそられるため、読むペースが極めて遅いです。その上、いま思考のベクトルをそっちに向けられない(≒向けたくない)ので、途中で止まっています。
 その都度、考えをまとめるために感想を書いているから、そんなことになるんですけどね。要するに自業自得です。
 ひとまず、おおよそ半分の上代編〜中古編までの感想を掲載します。
 半分は私自身の思考メモなので、何様だお前は、というくらい容赦がないです。


上代編(弥生時代奈良時代

侘助『刻の彼方より』
 最後に解説があるが、針の穴のような一点から、判明している周辺の歴史的・考古学的情報を掛け合わせて、物語に昇華している。
 大陸は後漢時代で、日本列島はようやく国と呼べる概念ができはじめた頃。もっともこれは、人類種そのものが大陸から列島に流れてきたという時差による差異なので、漂着した渡来人と意思疎通できるのは不思議なことではない。 注目すべきは、渡航に際して持斎を物語に組み込んできたところで、やっぱり、歴史が好きな人にとっては、外せない存在なのかなあ。うん、気持ちは良くわかる。

 舞台は異なりますが、上野原遺跡は一度見てみたいです。


白藤宵霞『あかのくさび』
 純粋に古代(古墳時代)の日本を舞台にした物語として楽しめた。雰囲気としては、荻原規子の『空色勾玉』に近い。どういう点かがそうなのと言えば、色や自然の表現においての視点の持ちかた。
 色彩や草花は身近に感じれるように、夕陽や草原などは眺めるように。
 登場人物は、歴史上の人物という側面を持っていることを考慮してか、より人間的な側面を強調して描かれているので、感情移入しやすい。体温が感じられるほどのもの。
 固有名詞と大まかな立場(地位)以外は、本文中に書かれていないため、あくまでも「眉輪の物語」として描かれているので読みやすくもある。
 ところで、クライマックスの直前で大王(安康天皇)と中帯(眉輪の母)との会話に出てくるある物について注目すると、それだけでこのお話はミステリにもなる。
 眉輪王の変に関わる重要人物(ただし記述も記録もほぼない)が、ちゃんと登場していることに気づくはず。何気に、伏線も張っているし。最初に気づけなかった悔しい。だんだん(地団駄)。

 さて、眉輪王。どこかで聞いたことがある名前なのですが、思い出せない……。読み終えるまで、雄略天皇以外はなにをした人物だったのか(歴史上の知識としての意味)思い出せませんでした。
 結局、解説冊子にある筆者の計にはまって……というより、いつものパターンで調べてみたら、野溝七生子『眉輪』が出てきて、やっと思い出しました。それだ!
 ところで、解説冊子には「作中では伏せた真実」とありましたが、記紀(『古事記』と『日本書紀』)の記述とした方が正確ではないかと思いました。記紀は日本最古の歴史書とされていますが、史実として鵜呑みにしてはいけない、とも言われているからです。
 また、眉輪王の変とあるように、眉輪は大王にあることをしたと記紀にあります。ですが、この点は「七歳の眉輪王にできそうもないこと」という意見があり、これに対する作者なりの回答には脱帽しました。


ななつほしよみ『楽土の幻』
 まさに、歴史の間隙を突いてきた物語。大きな事件が起こった後とさらに大きな事件(政変)が起きる間が舞台。前後が必ずと言っていいほど、歴史教科書に出てくるので、逆に強調される。地味ながらじつに美味しい部分を狙い撃ちした作品。
 序盤で鎌子の邸での一件、この時の天皇が誰であったかすらわからない(ちなみに舒明天皇。前代は推古天皇)。読んでいけば、どんどん有名な名前が出て来るので鎌子が誰であるかも、兄弟がそれぞれ何者かも判明してくる。
 名についての発想は、歴史よりも日本語が好きな人じゃないと思いつかないのではないか、と思った。
 ざっと調べてみたのだけど、作中での表記はやはり見当たらなかった。
 もう本当にこの期間は、これほど面白い要素が詰まっていたのかと思うと、それを知らずにいたのかと思うと……だんだん!(地団駄)

 地理的な舞台が飛鳥、斑鳩、つまり法隆寺の近辺なので、なんとなくイメージができます。この時代の都は、条坊がなく「これ」と言った明確な設計思想がなかったはずなので、鎌子や史、真人らがいる邸もどことなく開放的なイメージを抱きました。次の藤原京で条坊を持った都が作られ、この形式が平安京で確立される以前の時代です。
 この話で語られていることは、以降日本史とは切っても切り離せない部分であり、この後の朝廷や天皇が背景にあるお話しに対する期待感も抱かされました。
 ちなみに、この直前に起きた事件が蘇我氏による聖徳太子の子である山背皇子殺害事件で、直後に起きるのが中大兄皇子天智天皇)を筆頭とした蘇我氏の一掃と政治改革、すなわち大化の改新です。


唐橋史『袈裟を着た人』
 奈良時代東大寺大仏開眼を控えた平城京が舞台。平安京でさえそうであったように、河原や草原がそこかしこにある。都という言葉は印象が強いため、こうした情景を伝えるのは非常に難しいのだけど、きらびやかさは無縁な社会の底辺が良く伝わってきた。
 ただ、そうした過去の習俗を肌身で知る資料としては優れているのだけれど、物語としてはパーツが上手く噛み合っていない感じが最後まで残った。解説とあとがきを読んでみたところ、モデルにした『日本霊異記』に出てくる象牙の杓と因果応報というテーマ縛りが強すぎるのではないか、と思った。
 この物語には一切の救いがない。
 主人公・猪麻呂の過去について少し語られる部分があるのだけど、こうした過去を持つ人物なら、その点も絡めないと因果応報というテーマは貫けないのではないだろうか。
 また、難読字や歴史的仮名遣いや言葉遣いを用いているのだけど、一ヶ所だけ猪麻呂が現代語で「早く、早く、進め!」と叫ぶ部分があった。このとき人間味が表れ、それまでの悪行や人々の勝手な妄信がより肉厚なものになったと思う。それまでの書き方にあわせるなら「疾く、疾く、行け!」となるはずだから。
 これが意図的なものだとしたら、猪麻呂に対する親近感が抱かせる表現なので、老婆の存在感は俄然大きなものとなる。さらに、当時の風習と世情を絡めた豪雨のシーンとも、繋がりが強くなる。というより、実際強くなっていたののだけど、公卿の登場によってすべてが断ち切れてしまった。はっきり申し上げるが興ざめだった。少しネタバレになるが、あの鉢の行方だけでも書いてくれれば違ったのに、と思った。
 この結果、題名の「袈裟を着た人」が結局のところ、誰を指すのか不明確になってしまって、悪い意味で読者を迷わせ、物語としての一貫性に欠けているのは残念でならなかった(『さんたるちあによる十三の福音』を読んでいるので)。

 わりと、酷評してしまいましたが、読み応えは十分あります。そもそも本のサブタイトルが「すごくあたらしい歴史教科書」なので、教科書的ともとれる書き方はマッチしているのかもしれません。
 冊子に書いてある原案として用いた『日本霊異記』の記述にあった象牙の勺というキーアイテムに囚われすぎてしまったのではないか、と邪推しました。 また、この時代は、手塚治虫火の鳥鳳凰編』と同時代なんですよね。猪麻呂の立ち位置は、我王に近いため、上記のような感想になってしまったということもあります。
 個人的にはこれより少し後、連続遷都が行われた辺り、特に恭仁京に惹かれるものがあります。


・中古編(平安時代

たまきこう『闇衣』
 とても穏やかな筆致でひとの温もりすら感じさせる文章と人物の描き方と、極めて陰湿で暗鬱な時代背景をあえて強調せず、対比ではなく相対させることで、闇の存在を際立たせていた。
 舞台は平安時代の劈頭。長岡京の災厄を経てようやく平安京が都として定まった頃に起きた天皇家と藤原家に、その後多大な影響を与えることになる薬子の変。歴史に名を残した人物は数あれど、この規模の政変で名のみ伝えられている人物は少ないと思う。
 解説冊子と併せて見てみると、確かに薬子の人となりや平城天皇(後に平城上皇)についての記述はほとんど残っていない。それらも、大抵後ろに「と言われる」が着くので、アテにならない。
 話を戻すと、内戦レベルの紛争を描いた話なのだけど、薬子の語り口が伝えるという姿勢を崩さず、喜びも哀しみも口惜しさもさざなみのように表れては、消えて流れていく。
 はっきり言って暗いテーマの暗い話なのだが、優しさを感じたのはなぜだろうか。
 あと、高位の女官である薬子の対比として、すずという若く身分の低い女官との会話は、人物を人間として身近に感じさせられた。それは、すずが噂や身分の差などで隠されてしまう相手本来の姿を垣間見たからで、読者はこの視点を通して薬子の姿を見たのだと思う。
 文句なしの傑作。

 おおよそ、世間に敷衍している薬子の印象を覆し、2003年に一部の教科書(高等学校日本史)で「薬子の変」が「平城太上天皇の変」という表記に改められるなどといった例にあるように、この事件そのものへの見方を変えるに十分な作品であると思います。
 薬子の変平城太上天皇の変)がその後の時代に与えた最大の影響は、藤原氏の台頭に関わってきます。
 具体的には、藤原不比等から四つに分かれた藤原四家(南家、北家、式家、京家)のうち、当時権勢を誇った式家の没落と北家の権力基盤作り。この藤原北家は後に兼家、道長と他家の追随を許さぬほどの権勢を誇り、その後武士の時代になっても朝廷内に長く長く根を下ろす家です。
 天皇家の人間を担いだ藤原氏の代理戦争という見方もあり、結果的に北家は形勢逆転で藤原氏内での立場を不動のものとし、式家はおちぶれていきます。
 この時代の史料がほとんど残っていないのも、北家が手を回したと考えれば合点はいきますね。そして、その藤原北家もその中で激しい権力闘争を繰り広げ、多くの公家が巻き込まれるのですが、それはまた先のこと。
 『楽土の幻』で描かれていた藤原家のルーツから、奈良時代の混乱(『袈裟を着た人』)を経て出てきましたね(約一五〇年ほど)。なお、『袈裟を着た人』の時代は、相当に混乱し困窮していた時代で、上も下も生きるか死ぬかの時代だったりします。



斎藤流軌『賭射《のりゆみ》』

 序盤が取っつきにくく感じたのだけど、読んでいくと読みやすくなっていき、半ば以降はテンポ良く話が進む。序破急の展開で、後半は流れる様に進みあっという間に終わる。この幕の降ろしかたが非常に心地良い。いっそ酒を呑みながら読めば良かった。きっとこの幕は、手動式でやたらと重いに違いない(上げるのは大変で時間がかかるものの、スムーズに下ろせる)。
 葛井親王桓武天皇の第十二皇子。母親は坂上田村麻呂の娘)は、この話ではじめて知った皇族で、こうした血統の人物を主役に据えたことは「教科書の教えない日本史」という点では、白眉だと思った。
 ただ、管弦のくだりは、糸物なら琴ではなくせめて琵琶にして欲しかった。相手は笏拍子(要するに紐のない拍子木)なので、この二つの音合わせが想像するのが極めて難しい。演奏がどんどん加速していくという展開なので、琴だとどうしても想像しにくい。というより、無茶振りだと思う。
 しかし、解説を読まなくても本文だけ読んでいれば、鬼の正体は自ずとわかるのは、素晴らしい仕掛けだった。最初に語られる葛井親王の出自、鬼が所望した物、最後に残っていた物、この三つを踏まえれば知識がなどなくても十分読み取れるので、こうしたギャップがなければ読了後の印象は大きく変わったと思う。

 話の舞台は太宰府なのですが、葛井親王は太宰師《だざいのそち》として赴任するところから物語ははじまります。しかし、平安時代太宰府と聞いてまず思い浮かべるのは左遷の地でしょう。少し調べてみたところ、平安時代になって太宰府の長官である太宰師は、親王が任命されるものの実際は現地に赴くことは稀な例だったことが判明しました。
 これは歴史の知識が多少あっても、調べないとまずわかりません。大学の史学科でも選考している時代が違えば知らないレベルじゃないのでしょうか。そのため、葛井親王を知る以前に、混乱と謎を作ってしまいます。太宰府は、学校の歴史教育及び国語教育(古典)で菅原道真公左遷の地として、強調されていることもあります。
 教えてません。疑問を増やしているだけです。
 これは、作者の斎藤流軌さんがあとがきで「誰も知らない歴史、教えます――」というキャッチコピーを引き合いに出していたため、あえて突っ込ませて貰いました。
 ところで、各作者は自由に題材を選んでいるにもかかわらず、関連性が表れるところにもあると思う。『楽土の幻(藤原不比等)』、『闇衣(薬子の変)』、『賭射(葛井親王)』の三つは、藤原氏坂上田村麻呂という共通項を持ち合わせています。
 歴史は複数の誰かによって残された過去帳ですが、それでも過去と現在=その時は繋がっているという事実を示しているようでした。
 ちなみに、このお話しは『鬼の橋』という児童文学を読んでいると、さらに楽しめます。


翁納葵『祈りの焔立つ時〜俊寛異聞〜』
 仏教的な視点からすると、という枕詞を置いた上で、日本における罪と罰の捉え方、因果応報、代償と救済……そういったものがどう現れるのかを描き出した作品。
 しかし、俊寛についてろくすっぽ知らないので、話しについて行けなかった感は否めない。

 時代は一気に二二〇年近く飛んで、『平家物語』の時代に突入します。
 俊寛ありき、で物語が作られているため、俊寛を知らないとどうにもなりません。鹿ヶ谷事件は、平清盛後白河法皇などが関わってくるのですが、終始視点が特定の主観なので、当然ながら視野が限られます。
 ここまで読んできた中で、時代の繋がりを見出せませんでした。
 仏教的にはうんぬんというのは、仏教大学の図書館に勤めていたことがあるので、捉え方や考え方はおおよそながらわかるのです。ですから、そういう眼鏡をかけて見れば変わってくるのですが、それ以外の読み方は私にはできませんでした。


緑川出口『おやこ六弥太』
 小平六と六弥太のやり取り自体と、徐々に見えてくる二人の背景は面白いのだけど、あまりにも周辺事情を置き去りにしているのが残念。平清盛が世を去り、公家社会から武家社会へ移り変わりつつある時代。その後より強くなる「一族の血を絶やすわけにはいかない」という意識は、このお話しでは飛鳥時代の豪族のそれに近い感じがした。だからこそ、祈祷やら儀式やらを行った云々の部分が面白いのだけど、背景を描いて欲しかった。
 この時代の武蔵国(東京と埼玉)を描く上で、しかも猪俣党が主役なのに、どうして武蔵七党についての言及がないのかが疑問だった。
 六弥太がさらっと流したように、平清盛の死より、それによる源氏の動向や隣接する多党(武蔵七党の他の六党)反応が気になるはず。


 猪俣党……つまり武蔵七党を出す場合、遡ると平将門まで辿り着きます。もっと遡ると氷川神社の地位確立まで行くのですが、それはさておきまして。
 この当時、七党と書いたように武蔵国(東京と埼玉)には、七つの武士団が存在しており、それぞれの勢力圏がありました。そして、この時代だと最も微妙なバランスで成り立っているので、党首たる一族の血を守ることには、一族内だけの問題では済まない重大なことなんですね。
 どこかの党内でのお家騒動なんぞあった日には、武蔵国全体のパワーバランスが崩れるほどのものなんです。この前提があってこそ、六弥太の伝承(これは知りませんでした)も生きてくるのではないでしょうか。


 この後の中世以降はこちらです。

*1:冗談で「予約konozamaになるかも」とツイートしたら実際そうなった(笑)、