みなそこのレトロフューチャー/宵町めめ『龍宮町は海の底 1』

龍宮町は海の底 1巻 (ガムコミックスプラス)

龍宮町は海の底 1巻 (ガムコミックスプラス)

 現在、コミックガムにて連載中(水曜更新)。

 あらためて単行本で読んでみると、より鮮明に見えてくるところがあって面白いですね。以下、連載開始当時からTwitterでちょこちょこ感想をツイートしていたので、多少重複になると思います。

 単行本を手にして驚いたのは、扉絵(1ページ)でした。
 これが表紙でも本として十分通用するレベルで、小説だとしたらこれが表紙になっていたかもと思いました。
 かつて、図書館で幾度となく見てきた児童文学や一般文芸の四六判の表紙を彷彿させる、シンプルながら印象的なデザインです。あれ、一見どれも似かよっているようで、装丁は工夫がされているので、頭の片隅にでも覚えておくと、本を判別するときに楽なんですよね。背の請求記号のみに頼っていると、見間違えることがあるので……と話が逸れたので戻します。

 やはり、最初のハイライトは一話の冒頭で、まそらと澄音が教室から電車に乗り込むまでを描いた10ページの3、4コマですね。ここ、台詞も擬音もまーったくないのですが、たった2コマで校内から構内(まぎらわしい)への移動が体感として伝わってくるんですよ。
 これは連載当時も「おおっ」と思い書いたことなのですが、単行本で読んでみると2コマしか割いていないため、学校と駅との繋がりがどういうルートになっているのかがまったくわかりません。謎です。わかるのは、駅と学校が直結していることだけ。
 こうした謎が龍宮町という舞台そのものの謎を形成するピースになっていて、それが積み重なっていって、後半になって明確に「謎」として提示される部分が強調されて、不気味さすら伴うようになります。
 連載時に感じた得体の知れない不気味さは、こういうところに起因していたのかもしれません。「一話冒頭にして、作者の術中に!? やられたー」と手の平で顔をぱんとやってしまいました。

 龍宮町の町並みや学生寮の個人部屋の中などを見ていると、おおよそ1980後半から90年代初頭当時の日本と60〜80年代頃に描かれた未来予想図を掛け合わせたような印象があって、親近感が湧きます。
 言い換えると、子ども頃に読んだ図鑑だとか科学系の事典に載っていたような架空世界と当時の現実世界をそのままくっついているような感じなので、奇妙な懐かしさと「ありそう」と思えてしまう不思議な説得力があるんですね。
 ついでに、レトロフューチャーについてちょっと触れておくと、こうした作品は結構好きなのですが、大抵の作者は自分よりはるかに年上か(中には鬼籍に入っている人もいる)、二十歳以上年上か、少し年上か……とまあ、世代が上なのです。
 そうなると、レトロな部分に対する感覚も空想の領域になってしまうんです、私の場合。
 これはこれで面白いのですが、実感がありません。
 あえて想像の側に全てを割り振った例は、ダンボール模型作家である燈さんの第N区無人居住区でしょうか。

 龍宮町のレトロフューチャーは、この現実感「ああ、そういうのあった」とか「こういうこと空想してた」といった懐かしい匂いがします。
 この辺は世代にもよるでしょうが。
 世代にもよるでしょうが。

 自分は比較的初期に、この作品に対して「SF」という感想を述べたうちの一人だと思うのですが、きわどいところでSF考証と科学考証の深淵に入らない位置を保っているめめさんのバランス感覚は、素晴らしいと思います。
 たとえば、龍宮町の気密構造(潜水服を着て泳ぐ授業の出入りについてなど……)や海神神社について突っ込んでしまうと、そんだけで脳がショートします。前者については、深度何メートルにあって、だとしたら水圧はいくつで……と色々大変なことになります。

 あんまり書くとネタバレになってしまうので控えますが、まそらと澄音がある事件に関わったときに帯の言葉の意味がわかります。

「海の底に沈んだ町“龍宮町”。平和な町で青春を満喫していた“まそら”“澄音”。しかし、海底都市の魔の手はすぐそこまで迫っていた……!!」

 物語の中で、直に脅威と接する二人なのですが、それはトリガーに過ぎず本当の脅威はその先にあります。冷戦の核抑止による一触即発という緊張という現実がありながら、平和を享受していたバブル期の日本を彷彿させます。
 私はこまっしゃくれた子どもだったので、「いつ世界が吹っ飛んでもわからない状況なのに、どうしてこうも大人は暢気なのだろう」と疑問に思っていました。そうした意味で、自分の未来についてあんまり実感が湧かなかったのですね。そのくせ、好奇心が強かったものだから、負ではなく正の方向の可能性については興味津々でした。
 だから、まそらの気持ちは、非常に共感できます。

 まそらと澄音について、よくよく見ているとまそらがやや演技臭さのある少年のような振る舞いをしているところと、自然な動き方をしているところがあります。大抵、そこには澄音の心理状態が伴っていて、読んでいると実は一話時点の澄音がやや不安定な状態にあることに気づかされました。
 あと、同じ1日をそれぞれの視点から描いている第四話と第五話は、一冊にまとまっている単行本ならでは対比が強調されていてこれも連載で読んでいた人間にとっては、嬉しいポイントでした。

 個人的に好きなキャラは、学級委員長の品川有華です。容姿や性格もそうなのですが、等身大の中学三年生という点も好印象でした。
 と言いますか、あれほどの勢いはありませんでしが、ああいうタイプの女の子、まさに中学三年当時のクラスメイトにいました。
 まそらが怒濤のダメ出しを食らうシーンは、既視感すら覚えます(笑)。
 あとは、境先生ですね。

 先の展開が気になるところですが、個人的に気になっているのは「記憶と記録(日記)をどう関連づけているのか」というところですね。
 作者の宵待めめさんは、同人誌『川底幻燈』シリーズで記憶や思い出について、深く掘り下げて描いているので、日記や日記ポストが今後の話にどう絡んでくるのか、それともあえては触れないのか。いずれにせよ、一読者としては楽しみなところであります。

 個人的にも、作者的(本人談)にも「是非とも小中学生に読んで欲しい一作」なのですが……ごめんなさい、これは「おっさんホイホイ」だと思います。
 
 あとがきにあった海底都市の図ですが、おそらく学研の図鑑か子ども向けの科学系事典だと思います(註:この種の資料には、辞典ではなく事典を用います)。
 私もそうした本で見た記憶があります。

 はてさて、ネタバレ回避しようとすると、感想を書くのって物凄く難しいですね!
 最近ではあまり見られなくなってしまったタイプの作品であり、これは衰退したのではなく書き手がいなくなったというのが私の見解です。
 そうしたわけで、みなそこのレトロフューチャーに触れてみませんか?