スタニスワフ・レム/沼野充義@訳『ソラリス』ハヤカワ文庫

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 最初に警告する。これから『ソラリス』を読む全ての人に警告する。本書を寝る前に読んではいけない。どこに栞を挟もうとも、内容とは関係なくあなただけの悪夢を見ることになるだろう。
 読者の存在する現実において『ソラリス』は、人間の裡に潜む直視しがたい心理を夢という無意識の中に投影するからである。
 
 以前の『戦闘妖精・雪風』に関する記事で「最初に読んだハヤカワ文庫は、思い出そうとしても思い出せない」と書いたが、2017年12月のEテレの「100分de名著」での紹介を記念した帯をまとった『ソラリス』を目にしたとき、はっと思い出した。
 
 私が最初に読んだハヤカワ文庫は、この2015年4月に再版された『ソラリス』の旧版『ソラリスの陽のもとに』だった。しかし、内容についてはあらすじと同程度しか憶えていない。
 そんな折、出先で立ち寄った書店でこの『ソラリス』を見つけた。
 今年のはじめにインターネット上の評判だけを見て、内容を自分の目で確かめずに買った本があったのだが、これが大失敗だった。購入してからさて読もうかと開いたら、1ページ目から文章も内容も肌に合わず挫折したのである。
 
 作品の良し悪し如何に関わらず、個人の好みや相性は存在する。
 
 本の場合、文章に対するものと内容に対するものがある。
 前者については、ある程度こらえることができるし、歳月を経てから好きになることもある。後者については、研究であるとか論文を書くためであるとか、なにがしが必要に迫られれば読めないことはない。
 しかし、これが両方揃ってしまうと悲劇でしかない。
 読まずに手放すしかなかった。
 
 この苦すぎる経験から、「初めて読む作家の本は、必ず冒頭から読んで買うか買わないかを判断する」という規則を自分の中に設けた。
 デビュー作も例外にしていないが、直感には従うようにしている。
 というわけで、伊藤瑞彦さんの『赤いオーロラの街で』は、迷いなく書店で予約し楽しみに発売を待っている。

 話が横道に逸れたが、『ソラリス』についてもこの法則は適応した。その結果、読み始めてみたら止まらなくなったので、これはいかんと買った次第である。
 
 本書に対する感想は、冒頭の一文が全てだと言っていい。
 ソラリス。意思を持つ海に覆われた二重太陽(二重恒星)を有する惑星。その空に設けられたステーションで起きた不可思議な出来事は、人間が人間であるがゆえに避け得ない葛藤や苦悩が“海”からの干渉《コンタクト》によって実体化されたものである。
 私はそう捉えた。
 一人称で綴られる物語は、徐々に研究ノートの様相を呈していき、ソラリスへのアプローチが実は長い時間を掛けて行われていたことが明らかになっていく。
 最初こそ独特な世界に引き込まれるように読んでいたが、半ばに達すると果たして自分は内容を理解しているのか不安になり、ついには登場人物らがそうであるように読者である自分自身の正気を疑い始め、最終的には理解と言うよりは寛解に近い読後感を得た。
 
 この記事を書いている時点で最後の「翻訳者による解説」は読んでいない。
 なぜかというと、そこになんらかの回答例が記されていたら、自分なりの回答を得ようとすることなく“わかったような気になる”危険があったためである。
 小説というより本に限らず、あらゆる作品に対して自分なりの見解を抱く前に他者の見解を見て、わかった気になるのは非常に勿体ないからだ。私からすれば、害悪でしかない。もちろん自分にとって。
 他者の見解に「そうそれ!」と同意を示すには、自分なりの見解を持っているからこそ出来ることではないかと思う。
 
 とまあ、そんな事をあらためて考えさせられる本でもあった。