『楽園追放-Expelled from Pradice-』はSFアニメファンのためのSFアニメ

 はじめに
 荒廃した地球を捨てた人類の98%は情報体となって地球と月の間にあるコロニー・ディーヴァ内のVR空間に移住していた。ときに西暦2400年、ディーヴァは地上からの執拗なハッキングを受けていた。保安局の命令により捜査官のアンジェラ(釘宮理恵)はハッキング犯を突き止めるべく、VR空間から地上に降りることとなる。アンジェラは仲間を出し抜くために地上活動用の体の生成を16歳で切り上げ、地上に残った人類の協力者であるディンゴ三木眞一郎)と凸凹コンビを組んでハッカーを捜すことになるのだが……。
 導入はまあこんな感じです。


最初に感じ取ったのはP.K.ディックの世界
 『ブレードランナー』が取り上げられるとき、必ずと言っていいほど序盤のアジア風未来都市の話題が上るのですが、私がこの映画を語るとしたら終盤の対決シーンです。

 なぜこれを引き合いに出したのかと言えば『楽園追放』の前半で、アンジェラがディンゴに話すディーヴァでの体験に「私は何百億光年むこうのガンマ線バーストを聞いたことがある」という台詞があるのですが、これもろに『ブレードランナー』のオマージュなんですよ(BR終盤のレプリカントの死に際の台詞に類似)。
 そして、映画『ブレードランナー』のイメージが強すぎるゆえに忘れられがちなのですが、原作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』における重要なシーンは、廃虚と荒野が舞台になっています。

 と言ったわけで、特に強く反映されているのが『ブレードランナー』であり『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』なのですが!
 これは、SFアニメファンのためのSFアニメです。


2014年までのSFアニメに対する賛辞であり宣言
 ぶっちゃけ『メガゾーン23』のパート1、2、3の全部を一つにまとめて、『FREEDOM』と合成させ独自にアレンジしたモノ、と言えば(私と)同好の士にはわかりやすいと思います。
 大体80年代半ば頃から0年代初頭にかけて作られた、OVA、TVアニメ、映画……そうした先達に敬意を払いつつ、「我々は2014年にいるあなた達の子孫の一人である」と言っている作品だと思います。

 すなわち、『王立宇宙軍オネアミスの翼~』、『メガゾーン23』、『メガゾーン23 PART2』、『レアガルフォース』、『レリックアーマー・レガシアム』、『メガゾーン23Ⅲ』、『新世紀GPXサイバーフォーミュラ(除OVA)』、『マクロスプラス』、『serial experiments lain』、『TRIGUN-トライガン-』、『カウボーイビバップ』、『攻殻機動隊-GHOST IN THE SHELL-』、『青の6号』、『VIRUS-virus buster serge-』、『攻殻機動隊-STAND ALONE COMPLEX-』、『ヴァンドレッド』、『戦闘妖精雪風』、『FREEDOM』、『ICE-アイス-』、『翠星のガルガンチュア』……うむ、切りがなくなってきたぞ、ってくらいにそういうアニメばっかり好き好んで見てきた人間向けです。
 補足すると、実写を入れると際限が無くなり(特にAI関連)、書籍を含めると大変なことになるので省いてあります。
 
 それゆえに「そういう人間以外にこれをぶち当てて大丈夫なんかいな? いや、ハヤカワと創元をそれなりに読んでればいけるか?」と思ってしまったくらいです。
 
 娯楽としてのSFって誰もかれもが同じ事を繰り返し試行錯誤することでデータを更新し続けているアーカイブみたいなものなんじゃないかなあ? と最近思っていることもあります。
 ところで、列挙して驚いたのですが、ここに並ぶガンダム系列の作品がありません。ガンダムはSFじゃないなどとは言いませんが、この系統からは外れるってことですね。マクロスにしてもプラスじゃないと、引き合いに出す意味がないくらいです。
 しかし、『ガンダムセンチネル』がアニメ化されていたら、間違いなく入っていたでしょう。映像化はよ。


楽園≒ユートピアディストピアとポスト・アポカリプス
 ディーヴァが管理社会の側面を有し権限による格差が存在するためか、楽園=ディストピアという部分はたしかにあるのですが、管理の仕方はさておき社会貢献という点が重視されていることからすると、ユートピアの要素も併せ持っているように思えます。
 ユートピアは理想郷という意味ですが、しかしそれが「誰にとっての理想なのか」となったとき、ディーヴァならば「人類にとっての理想郷。すなわち楽園」となるのでしょうが、それはすなわち個人の幸福追求ではなく、集団(人類全体)の幸福追求であるがために、管理システムが必要となり結果的に管理社会かつ社会貢献度(世界の維持)に比例する格差を生み出しています。
 そして、ユートピアは、奴隷階層の存在を前提としています。
 このシステムは、ディーヴァという環境を維持するために必要不可欠なもので、個人の幸福追求が集団すなわち社会の幸福追求と矛盾した場合、社会的制裁が発動しその個人は反社会的存在として弾かれるわけです。この辺は、現実の、私達が生きている今の世界と同じです。
 しかし、ディーヴァがディストピアである由縁は、管理社会かつ格差が存在するということよりも、そこに生きる人々がそうした世界に疑問を抱いていないという点にあると思います。
 この格差を生み出してしまう社会貢献度についてディンゴから疑問を呈されたとき、アンジェラは「当然でしょ」と答えます。
 教育による思考誘導どころではありません、社会ぐるみの洗脳です。
 これこそが、ディーヴァがディストピアである由縁です。
 
 対して、地上(地球)はポスト・アポカリプス的な世界として描かれています。
 
 なんか小難しいことを書いているように思われるかもしれませんが、見ながら反射的に考えたことを出力しているだけです。
 私の思考がそういう方向にとんがっているだけです。


楽園とは
 『楽園追放』のサブタイトルは『-Expelled from Pradice-』であり、『Pradice Lost』ではないんですよね。虚淵氏がニトロプラスのライターであることを踏まえると、『パラダイスロスト(light)』というエロゲーを思い出します。
 さて、『楽園追放』の楽園とは、果たしてディーヴァのことなのでしょうかね?
 作中でディンゴとアンジェラは最初は同じタイミングで同じ選択肢を、次にそれぞれ異なるタイミングで同じ選択肢と向き合うことになります。
 これが示唆する場所はどちらもある意味では楽園なんじゃないかなあ、と思いながら見ていました。
 

物語の行き着く先について
 amazonだったかな? 「これは序章」といった主旨のレビューがあったのですが、私からすると「フルコースです、おなかいっぱいです」となります。
 商売のお話しはさておくと、この内容でこういう幕引きでよかったと思います。
 もし、アンジェラやディンゴが別の選択肢を選んでしまったり、フロンティアセッターが別のかたちで目的を達成してしまったら、すんごいもしゃもしゃしたと思います。

 欲を言うなら、少々テンポが良すぎてどんどん進んであっという間に終わってしまうので、アンジェラとディンゴの言葉をもっと入れて欲しいとも思いました。最初の少しぎくしゃくした関係での会話やその後、フロンティアセッターに接触するまでの間の会話シーンが話としての必要最低限なものに留まるため、もう少し無駄話をさせて欲しかったというのがあります。
 では、言葉が足りないのかというとそんな事は無く、映像作品の特性を最大限に活用していて、最初から最後まで表情や仕草から読み取れる言葉の数は膨大でした。
 個人的には、アンジェラがバイタンらしき麺類のスープに香辛料を入れてもらって「うあ、美味しい」って顔をするシーンと、「ごっそり戴いていくわよ」と言うときの悪い娘な顔が好きです。
 ついでに、私は「ロリババア最高!」な人間なので、身体年齢より精神年齢が上というのは非常にポイントが高い部分でもあります(いきなり性癖を暴露するな)。
 

アンジェラはあの時、なぜ目を見開いたのか
 これはネタバレです。
 終盤の戦闘シーンで一瞬、アンジェラがそれまで見せたことがないような驚きをあらわにするシーンがあります。
 目を見開き。動揺を露わにするシーンです。
 映像はスローから静止にいたり、カメラは上空から撃ち下ろすニューアーハンを横から引きで映しています。
 アーハンのコクピットは、全周モニターなので――機体の周囲360度を見渡せるので――、画面から視聴者が見ている光景をアンジェラはその中心から俯瞰で見える位置にいることになります。
 とはいえ、見える範囲もたかが知れているのですが、地球は丸いので遮蔽物の少ない荒野は結構遠くまで見渡せるんですよね。
 つまり自分が地上に降りて、自分の脚で移動した範囲がどの程度かは数字で知っていても、実感として理解していなかったことに、そしてこの瞬間に理解したことが伝わってくるんですよ。
 世界に対する自分の小ささを思い知った瞬間であり、視聴者に思い知らせる瞬間ではないかと思いました。
 これを察して、フロンティアセッターがあの問いを投げかけたのだとしたら、彼は相手に敬意を払い、相手をしっかり見ている証拠です。
 物語の構成とかそういう視点を持ち込むとシンプルな仕掛け方なのですけどね。
 そんなことは捨て置いて、素直に感動したいシーンです。


アーカイブの意味
 これ、わりと重要なテーマとして潜んでいます。作中でロックを知らないアンジェラ対して、ディンゴが「ディーヴァはさ。ありとあらゆる人類の文明をアーカイブしてんだろ。なのにロックがないのかい?」と問い掛けます。この時のアンジェラの回答はこちら。

「未来に残す必要もない。無価値なサブカルチャーと判断されたんでしょ」

 結論から言うと、アーカイブを作成する際には保存対象となるものに対して、恣意的な振り分けを行ってはいけません。ジャンルが「人類全体」のアーカイブだとしたら、それこそ役に立つかどうか、未来に残す価値があるかどうか、なんてどうでも良いのです。
 逆にアーカイブだからこそ「役に立たなかったものがあれば、これは役に立たなかったものです」と残さないと意味がないのです。
 この辺は私が元・図書館員であるがゆえの発想かもしれませんが、今年(2017年)の初めにまさしく「役に立たなかった技術の資料が必要なのに、図書館が残していない」という話を聞かされたからでもあります。
 まさしく、アーカイブに穴を見た思いがしました。
 そして、完全性を目指したゆえの振り分けを行ったゆえに、完全性を失ってしまうという矛盾でもあります。
 これを『楽園追放』は突き付けてきます。


虚淵さんはMZ23がお好き?
 一時期、ゲーム業界のお仕事に首を突っ込んでいたことがあるのですが、ここで驚いたのは自分が「マニアックな趣味」だと思っていた『メガゾーン23』が共通言語、あるいは基礎知識とされていることがままあったことです。
 特にエロゲー業界では顕著で、とある広報担当の方は「常識です」とまで仰っていました。私はガーランドが格好良かったから、レンタルビデオ店を探し回って見ただけなんですけどね。見ていたお陰で意外なところで、やり取りが楽になりました。
 さて、アーハンのコクピット、端末であるということ、高機動戦の描き方(板野サーカスの方ではなく荒牧リスペクト)、どう見てもガーランドです。本当にありがとう御座いました(歓喜)。
 そもそもディーヴァの誕生経緯やフロンティアセッターの目的からして、じつにそれっぽいんですよね。
 ニトロプラス作品にもそういうところがまれに顔を出すので、これって本当はこういうのが大好きなんじゃないかなあ、と思いました。
 『浄火の紋章』という『リベリオン』の二次創作も作ってますし、いわゆるグロかったりえぐい話は得意だけれどいちばん好きなものではないのかも、とすら思いました。
 まあ、『メガゾーン23』自体、かなりとんがった作品なんですけどね。メカ好きだったら世評がどれほど散々でも、Ⅲの前巻は絶対に見るべきです。E=XガーランドVSハーガンをのシーンのためだけに見て損はありません。
 ちなみに、音楽的にロックなのは最初の『メガゾーン23』で、内容がロックなのは『PART2』です。
 それから、映像において血液とか臓物とかそういう描写を前面に出してくる方は、板野サーカス板野一郎氏その人だったりします。


基底床にあるSF要素
 書いていて気づいたのですが、映像作品を見るときなにを重視するかという点は人によって違います。
 『楽園追放』は自分のように「言葉としては語られていない。表情や仕草、人物やものの動きやカメラワークにどどの様なメッセージや意図が込められているか、という演出」を重視している人にはわかりやすいと思います。
 現実と仮想現実とか、人間の定義とか、実現できている楽園と未知の可能性とか……そういうことがぜーんぶ映像の中にあるので、あれこれ解釈したり考える必要がないんですよね。
 これらの演出の地盤になっているのが過去の先達から受け継いできたSF要素であるがために、SF要素が奥に引っ込んでいる面白い構造をしているとも思いました。

 逆に、これを見てSFアニメを感じないということは、そうした作品が自分のアーカイブに少ないから、だと思います。
 良いも悪いもありません。
 この自分のアーカイブの偏りは、自分が自分である証拠です。
 これをどう活用して、どう外に反映させるかも、自分が自分である証拠です。

 だから、私は『楽園追放』が大好きです。
 今後、折に触れて見返すのだろうなあ、と思います。

 ところで、DVD同梱のブックレットにゴーギャンの絵からの引用があるのですが、これって私が大好きな言葉なんですよ。「あー、こりゃ好きなわけだ」と納得した次第です。

『われわれはどこから来たのか
 われわれは何者か
 われわれはどこへ行くのか――』

 

  ※このテキストは2017年7月29日に書いたものです。

 

2018年6月3日(日)追記

『楽園追放』プロデューサー野口光一氏インタビュー

ascii.jp

 記事は2015年2月7日。劇場公開の翌年のインタビュー。この記事を知らずに上記のテキストを書いたため、「楽園追放が80年代OVAテイストな理由」のくだりを読んで、思わず苦笑してしまった。