ウィトゲンシュタイン/野矢茂樹 訳『論理哲学論考』岩波文庫

 

論理哲学論考 (岩波文庫)

論理哲学論考 (岩波文庫)

 

 

 知人が「『論理哲学論考(以降『論考』と略す』)』は数式が出てきたところで挫折した」と書いていたのだが、いまあらためて読んでみると“過去の自分が数式をすっ飛ばして読んでいた”ことが判明した。

 こうした読書が必要だと思ったから、『論理哲学的論考』を手に取ったので、大っ嫌いな数式にも向き合うことができた。覚悟ができていたのかもしれない。
 そうして気づいたのは、なにゆえウィトゲンシュタインが『論考』で数式を用いたのか、ということだ。

 おそらく、「どの言語に訳されても数式は数式のまま表されるから」ではなかろうか。ウィトゲンシュタイン自身がラッセルの解説について「英語からドイツ語への翻訳時の変化」を問題視しているように。

 そこで、専門家ではない読者(つまり私だ)は、訳注に頼ることになる。個人的に岩波文庫の訳注は「参照しにくく余談が多い」印象が強かったのだが、この『論考』の訳注は必要なことあるいは、必要と思われることだけが書いてあった。

 そのため、数式が出てくると訳注をもとに適宜日本語に変換して読んでいた。数式については、「数式という形」で内容を表している場合もあるので(ぶっちゃけ図もある)、この場合は形として解釈できた、と思う。ただし、全体記号だけは踏まえておかないと読めなかったけれども。


 むしろ、前半では「ア・プリオリ=経験的認識に先立つ」、後半では「トートロジー(同語反復)≒論理空間全域において真になる命題」という認識がないと苦労すると思う。しかも、ここでさえトートロジーに対しては「≒(ほとんど等しい)」を用いたように、何度も同じ訳注を見る羽目になった。なお、『論考』においてトートロジーについて同語反復という記述はない。ただ、トートロジーという言葉に対して同語反復という訳語が存在するため、読む際に頭の隅に置いておいた(楽だった)。

 本文を読んだ後に、ラッセルの解説に対して首をひねったのは、訳注を読む限りでは正しい反応だったらしい。解釈が間違っていると書いてあるし、ウィトゲンシュタイン自身もラッセルの『論考』の解釈には異を唱えていたらしい。


 最後にある翻訳者の解説もわかりやすく助かる。私が持っている岩波の『論考』は、初刷が2003年8月19日の第19刷(2012年12月25日)ものなので、2003年以前に刊行された同著と比べると格段に読みやすくなっていると思う。

 私が初めて『論考』に触れたのは、大学一年か二年の頃でありかつ大学図書館の蔵書だったと記憶しているので、これより古く読みにくかったのではないかと思う。もっとも、当時読んだ記憶が完全に揮発しており、かつ前述の通り数式を読み飛ばしていたことだけは明らかなので、読んでいたとは言えないだろう。


 一方で、この当時不真面目に読んだ記憶が揮発していたため、先入観や記憶違いに惑わされることなく読めたのは僥倖だったと思う。


 とまあ、こんな本も読んでいるんですよ。とメモ代わりに。
 ちなみに、最近読んだ本の中ではヤーコブ・フォン・ユクスキュルの『生物から見た世界(岩波文庫)』がとても面白かった。

 

生物から見た世界 (岩波文庫)

生物から見た世界 (岩波文庫)