意見は変わるものだから、不用意な否定や批判はしない。

 ここ数年くらいの私のスタンスです。
 数年? いやいや、10年くらいは続けられているかもしれません。おお、すごいぞ私! えらいぞ私! この調子で続けていきましょう。

 というのもですね。

 「最近、○○の良さに気づいて」
 「君、前は全然興味を示さなかったじゃないか?」
 「いやまあ……」

 といった自分への反省がきっかけだったのですが、

 「前に言っていた事と違うじゃないですか」
 「意見は変わるものだから」
 「それなら、不用意な批判はせず黙っていればいいじゃないですか」


 と相手に返したとき、自分の言葉にはっとしたからです。


 意見は変わるもの。

 然りであります。
 自分自身の捉え方の変化もありますが、先入観や他者の評から悪印象を抱いてしまって、実際に触れる前に見解を持ってしまうことなどは往々にしてある事です。


 沈黙を許されない立場にあるなら、その時なりの意見を述べなくてはならないでしょうし、意見が変わった場合はそれを述べた上で「なぜ意見を変えたのか」と説明というか弁明をしなければならないでしょう。


 ですが、そういう立場になることは稀だと思います。


 だからこそ、「その件に関しましては持ち帰って検討し、後日述べさせて頂きます」という対応が出てくるわけです。本来、この言葉は逃げ口上ではないと思うのですよね。さらに噛み砕いて言えば、「あー、そりゃ知りませんわ。帰ってから確かめておきますんで、次のときで良いですか?」という意味です。


 話が少し逸れました。
 意見は変わるものだからその時思った事を言えば良い。というスタンスもあるのですが、私はこれに関しては大いに疑問があります。
 というのも、それって一貫性がないではないか……と思うからです。
 んまあ、気心の知れた相手と口頭でやり取りする上なら、それでも良いとは思いますよ。


 「やや、前と言っている事が違うではないか」
 「この度、宗旨替え致し候」
 「然様で御座ったか。して、切欠は?」
 「それは、がくかくしかじかで……」


 こんな風に会話が発展するからです。会わない間にどんなことがあったのか自然に聞けるので一石二鳥でもあると思います。言い訳がましいですがね。
 よくやりました。


 しかして、気軽に手前の意見を述べる事ができる昨今、自分は独り言のつもりで言った(書いた)のに、これを不快だとして見も知らぬ他人が異論を吹っかけてくることがある、という事例を良く見ます。
 聞きます、ではなく見ます。
 ネット上では、発言が文章として残るからです。
 その場限りの言葉として言い捨てたくとも、ログとして残る限り言い捨てられないのですから。


 ぶっちゃけ、見知らぬ他人であろうが知人友人であろうが、むっとしてもスルーすりゃいいと思うのですがね。
 本人に質してみないと真意がわからないこともあるのですから。


 そうした事も含めて「意見は変わるものだから、不用意に否定や批判はしない」というスタンスを取っています。
 手前の発言から攻撃性を抑える、棘を抜く、といった意図もありますが、先に書いたように一貫性のない人間→自分の都合で言うことをころころ変える人間→言っている事がまったくアテにならない人間、と捉えられるかもしれないからです。


 まわりを気にしすぎ?
 慎重で結構?
 いずれにせよ、損はしません。


 それに「意見が変わる」というのは、「A=Bだと思っていたが、実はA≒A’という見方もできると気づいて、これまでの意見を変えた」といったことを指すと思うからです。
 ああ、よかった。振り出しに戻った。
 うっかり思いつきで文章を書き始めると、筆が乗りやすい反面で着地点が見えなくなる危険があります。
 まとめたつもりでも、ちゃんと論旨が明確になっているかが極めて不安です。
 こんな風に。


 ところで、最近ロンドンに展示保存されている軽巡洋艦ベルファストのことを調べようとして、とりあえず「軽巡洋艦 ベルファスト」で検索したらメイドさんの絵(『アズールレーン』のベルファスト)が出てきて「君のことだけど君じゃない」というコレジャナイロボ感を味わいました。
 そっちのデザインも好きですが、個人的にはもう少し控えめの方が好みです。