門田充宏『風牙』東京創元社

 

風牙 (創元日本SF叢書)

風牙 (創元日本SF叢書)

 

記憶翻訳者《インタープリタ》とは、依頼人の心から抽出した記憶データに潜行し、他者に理解可能な映像として再構築する技能者である。珊瑚はトップ・インターブリタとして期待され、さまざまな背景を持つ依頼人の記憶翻訳を手がけていた。 

   この「記憶に潜行する」シーンから物語は始まるのだが、『ニューロマンサー』に代表される意識だけが身体から抜け出して活動するような表現を用いながら、その過程については新鮮な切り口で明解に描かれている。


 『風牙』における記憶への潜行は、記憶翻訳者《インタープリタ》として訓練を受けた過剰共感能力者によって行われる。
 過剰共感能力者とは、他者の思考や情動をあたかも自分自身のそれであるかのように、過剰なまでに共感してしまう能力を持つ人間である。作中にも出てくるが、他者の心を察する能力というよりは、他者の感覚・思考・情動を自動的に受け容れてしまう深刻な障害である。共感性が強ければ強いほど自他の境界が曖昧になり、自己形成にさえ支障を来しかねない。
 当然、日常生活を送るのも難しいため、上記の過程で大きなトラブル──収録作『虚ろの座』にて描かれる──に遭遇した主人公・珊瑚(表紙の少女)の実年齢は25歳である。もうちっと歳食っていたらストライクゾーン直撃のロリババアだったのに、あぶないあぶない(なにがだ)

 これを能力として解釈したのが、記憶翻訳事業の先駆者である民間企業・九龍の創業者にして社長の不二であり、珊瑚にとっては雇い主であると同時に個人的な恩義がある大切な人でもある。


 物語は不二が不治の病に罹り余命を宣告されたのきっかけに、自分自身の記憶補完(翻訳された記憶はデータとして保存できる)を望んだ事に端を発する。通常、プライバシーの観点から記憶翻訳者は広義の意味での身内の記憶翻訳には関わらないのがセオリーなのだが、潜行した記憶翻訳者は全て初期段階ではじき出され、不二は意識不明の状態に陥っていた。
 そんなわけで、九龍随一の記憶翻訳者(誇張表現ではない)の珊瑚に、例外的措置として白羽の矢が立てられたのである。こうして表題作にして最初に配置された『風牙』の物語は幕を開ける。

 

 記憶翻訳者は まず対象=依頼人の主観を解釈し、次に自分自身の主観として再解釈することで、他人の記憶の中に自分を反映させる。この際、自他の区別を付けるための補助装置・共感ジャマー(過剰共感能力者ならば日常的にも使っている)やサポートユニット、外部からのモニタリング要員の助力を受けつつ、対象と自分を別個の存在として自己を保つ。その上で、対象の記憶へ影響が及ばないように、記憶の情景に己を反映させる。
 つまり、自分がいないはずの過去にいたことにするのが、翻訳の第一段階となる解釈と第二段階の再解釈であり、このイメージを誰でも体験できる視・聴・嗅・触・味を伴った映像データとして汎用化するのが記憶翻訳と呼ばれる作業になる。

 記憶翻訳と記憶(≒体験)の汎用化の技術を応用した娯楽コンテンツ──ヴァーチャルリアリティのハイエンド版──を提供するのが九龍の商売であり、記憶翻訳者である珊瑚の仕事というわけだ。

  脳科学や意識の在り方、ついでにMRIfMRI──というか核磁気共鳴を利用した医療機器──について、いくらかでも知見があるとすこぶる面白い。

 

 愛犬との思い出に込められた飼い主の思い入れと「自分が自分であること」の根底にあるものを描いた表題作『風牙』は、面白いし出来も良いのだけど、個人的には珊瑚が記憶という内的世界ではなく、珊瑚の自室やお気に入りの喫茶店、上司や同僚、新たに知り合う人々とおもに母親についての事柄──珊瑚自身の母への思いも含めて──が語られる『みなもとへ還る』がいちばん好き。

 『閉鎖回廊』は、ホラーゲームを彷彿させる娯楽コンテンツのベーターテスト中に発生したトラブルを通して描かれる“恐怖”を克明に描いており、小説として面白いと思うがそれがゆえに“私”は苦手だった。

 『虚ろの座』は、『風牙』、『閉鎖回廊』、『みなもとへ還る』へ至る物語のルーツを前3作とは異なるアプローチで描いた本来なら語られざる過去の物語。

 

 読み落としでなければ、九龍の所在地が明確に記されていないのだが、断片から全体像が浮かび上がる描写には驚かされた。日本列島本州のどこかにあるそれなりの都市の一部であるのは間違いないのだが、それ以上のことは判然としない。それとも「都心=東京都心と捉えるのは想像力の放棄である」という私のひねくれ根性のせいだろうか。いずれにせよ、ありそうな街の情景が読んでいると自然に浮かび上がってくるのである。この細部から総体が形作られるやりかたは、記憶翻訳の描写にも良く似ている。

 
 登場人物が非常に魅力的な作品であり、主人公の珊瑚はコテコテの関西弁で話すのだが、どことなくのんびりとしている。関西と言っても内陸寄りの訛りだからかもしれない。ネイティヴを聞いたことがあると想像しやすい。個人的には、九龍の技術者ショージくんこと東海林と、言葉遣いから姿勢の良さまで窺えてしまうカマラ女史(バリバリのキャリアウーマンにこの名を冠してしまうネーミング・センスも素敵)が印象に残った。次作『追憶の杜』にも出てくるだろうか。いまから読むのが楽しみである。

  ところで、巻末の解説を書いているのが、長谷敏司さんなのだけど、冒頭からしてすごい。なにしろ「(前略)これほど高い適性を持つSF娯楽小説の書き手を、四年もの間、紙の書籍としてはほぼ塩漬けにしていた東京創元社は、相当に罪深いということになる。」と糾弾している(2018年10月31日 初版)
 あとがきを読んだ後にこの一文が待っているので、いち読者としてはこれに続く作品解説はうなずくしかなかない内容だった。『追憶の杜』を読む前にあらためてこの分野を勉強しようと思い、オリヴァー・サックスの著書を三冊ほど図書館で借りてきた。

 余談だが、長谷さんはデビュー作『戦略拠点32098 楽園』において、記憶にまつわるエピソードを書いている。角川スニーカー文庫、2001年12月1日初版。第六回角川スニーカー大賞受賞作ということもあり、同氏の作品の中では後の『円環少女』シリーズと並んで最も読みやすい。ただし、文章そのものの読みやすさでは、『楽園』が抜きん出ている。イラストはCHOCOさんで、巻頭カラーページと設定画があるのみで挿し絵が一切無い。この思い切りが最初に見る絵のイメージを文章に結びつけ、未知の惑星の空の下、草原を駆けるマリアと、それを見守り、あるいは追いかけるガタルバとヴァロワの姿が浮かび上がってくる。白状すると、私はいまでもなお長谷作品の中では『楽園』が最も好きだ。
 残念ながら絶版。電子書籍はあるので、気になった方はそちらを当たって頂きたい。 

 

 『風牙』も単行本に先行して出版されたKindle版もあるので、一応紹介しておくが、いま買うのであれば同じKindle版でも『風牙(創元日本SF叢書)』の方がお得であろう。

風牙 -Sogen SF Short Story Prize Edition- 創元SF短編賞受賞作

風牙 -Sogen SF Short Story Prize Edition- 創元SF短編賞受賞作

 
風牙 (創元日本SF叢書)

風牙 (創元日本SF叢書)