3 on 10『メロウイヱロウ』

なにかをすべきか、なにもすべきではないか、それが問題だ。- To be, or not to be, That's the Question. -

   ウィリアム・シェイクスピアハムレット(第三幕第一場)』


 今作『メロウイヱロウ』には、沙翁からの引用がたくさん出てきます。
 沙翁、つまりシェイクスピアのことです。
 なにせ、のっけからNOTICEでメロウが言っている「尼寺へ行け」は、上記と同じく『ハムレット』にあやかったもの。元ネタはこちら。

尼寺へ行くがいい、罪深い子の母となったところでなんとする?

   ウィリアム・シェイクスピア小田島雄志 訳)『ハムレット(第三幕第一場)』白水Uブックス

 この時点で「うわあ、面倒くさそうなヒロインだなあ」と思ったのですが、事実そうでした。少なくとも私にとっては(苦笑)。

 最初に記した有名な一文は、大抵「生きるべきか死ぬべきかそれが問題だ」と訳されることが多いのですが、これはそういう訳が広まってしまったためで、訳者によっては異なる訳を書いているのです。

 実際、私なら上記のように訳しますし、原著を読んでみればあの話の流れで「生きるべきか〜」と言ったら、論理が飛躍していて「いきなり何を言っているんだコイツは?」みたいな心地になると思います。ただし、舞台の上で演ぜられる場合は、役者の存在とその演技、演出があるので別です。

 要するに、印象的な言葉は、それだけ強い力を持っている、というお話しです。そして、そうした言葉はときにひとの認識に、大きな影響を与えるというお話しです。

 R指定有る無しに関係なく、大抵のノベルゲーム、アドベンチャーゲーム(以下AVG)は、主人公による一人称によって進行します。プレイヤーは、主人公の主観を自らの視点として、ゲームを進めるわけですが……。
 主人公といえども一個人には違いないので、目に見える相手の姿も印象も、実は主観でしかなく、客観性がゼロなんですよね。
 身も蓋もないことを書くと、目の前にいる美少女は、主人公の認識よって美化された姿である、という可能性は極めて高いわけです。
 もちろん、そんなことは無いわけですが。基本的に(苦笑)。

 こういう見方を利用したゲームは、過去にいくつか出ていますが、それらはわりと露骨で直球でした。つまり、逆の意味で認識の齟齬に対する解釈の余地がないんですね。
 たとえるなら、通常のゲームが炭酸無しなら、これは炭酸です。

 この論でいくと、『メロウイヱロウ』はまさしく微炭酸です。
 解釈の余地があるわけです。
 主人公・鈴木一郎=イヱロウが認識し地の文などで明言したことと、プレイヤーの認識との間に、わずかな隙が存在します。プレイしていて「なーんか変だぞ」と思ったら、それがここで言う隙のことです。

 そう見える。そう思える。そう感じる。
 これらは、すべて一郎=イヱロウの主観なので、当然ゲーム画面にも反映されます。
 まず自己認識があり、他者1=メロウをメロウとして認識し、他者2=イチカイチカとして、“そのように”認識する世界を見せられるわけです。
 主人公=プレイヤーの視点の代替という形式でありながら、実は一郎=イヱロウのキャラも見ていくことになるわけです。 読み物の性質が強いわけですね。

 あまりこれについて書くと、ネタバレになってしまうのですが、ゲーム本編でメロウは何度も自分のことを「天使」と言いますが、どうしてそうなのかはいちばん最初に提示されています。
 これ、社会学の知識があると面白くて、文学からの引用やそれに絡めた話(主にメロウの台詞)が多いのですが、メロウとイヱロウが話しているのは社会学で語られることです。
 あれはそういう分野です。
 事実、面白かったです。

 このゲームは、最初に進め方を二通り選択できますが、私は「こんな人にお勧め」は無視して、オリジナル順で読み進めるを選ぶことをお勧めします。時間軸がシャッフルされていますが、あまり気になりません。
 また、オリジナル順の方が時系列がシャッフルされているにもかかわらず、途中でセーブして、中断しやすいです。
 メロウがやたらと長広舌なので長く感じますが、実際はそれほど時間のかかるゲームではありません。

 この長広舌は冗長でまどろっこしい上に、一定の事前知識を持っていないと理解不能な単語がぼろぼろ出てきます(知らなくてもさして問題ない知識)。

 さて、NOTICEでイチカを引いた人は、すぐわかりますがイチカはどちらの進め方を選んでも、なかなか出てきません。物語に直接関わるようになるとなると、さらに大分先になります。
 ですが、そっからが面白いのです。
 本格的に喋るようになると、さらに面白いです。

 今回は予想が完全に外れました。いやまあ、こういう内容だとは思ってもいなかったのと、こういう内容でもゲームとして成立してしまうということに少なからず驚いています。
 最初に進めた方が選択できるように、時間軸をシャッフルしようがしなかろうが、ゲームとして物語として、成立するんですね。
 そういう点からも、時系列順ではなく、オリジナル順で進める方がいいです。
 各Chapterをどこで区切っているのかが、わかりやすいということもあります。時系列順だと、これがわかりにくいのです。
 上記でまどろっこしいという表現を使いましたが、最後はちゃんとすっきり終わります。
 広げた風呂敷は綺麗に畳まれます。


 めそさんがTwitterで書いていましたが、どういう種類のノベルゲー、AVGにしろ、ちょっと飽きたなあ、という方はプレイしてみると、気分転換になるかもしれず。

 実際、先入観というものは誰しもあると思います。そこから、こうしたゲーム(物語)で、ああいうキャラが出てきたら、真相はこうだろう……という想像(正確には連想)が働くことがあります。
 ゲームそのものには特にそうしたトリックはないのですが、先入観からプレイヤー自身がこうだろうと思い込みであろう部分があります。
 そもそも、天使と悪魔という言葉からして……そうなのですが、これは実際プレイして確かめてみてください。

 というわけで、『メロウイヱロウ』、お薦めです。
  → 3 on 10 - サンオントウ -


 以上、一年にあるかないかのゲームレビューでした。
 Q:なんで書いたかって? 
 A:書くと宣言したからです。