伊藤瑞彦『赤いオーロラの街で』ハヤカワ文庫

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 人間の性質について語る際に、性善説性悪説が持ち出されることがありますが……。
 実際には、人間の善きも悪しきも、温かさも冷たさも、強さも弱さも、環境に起因するものなのですよね。そうした人間の在り方を、超巨大太陽フレアにより世界規模の大停電という天災を背景に描き出した作品です。
 なお、この環境というのは、いま身を置いている環境だけではなく、育った環境も引っくるめています。

 超巨大太陽フレアによる世界停電。明日訪れるかもしれない天災を肌で感じ取れる、いま読んで欲しい一冊、です。

 というか、少しでも興味があるならいますぐ読んでください。さもないと、とても素晴らしい映画を観たとき、「あの時、劇場で観ておけばよかった……」と同じ後悔することになります。
 それほど肌感覚が瑞々しく、鮮度が作品を活かしています。


 じつは、発売決定時から目をつけていて、発売日前に予約して、発売日翌日には入手していたのですが、読んだのは年も押し迫った昨日今日です。あわあわ。

 あらすじはハヤカワオンラインにある通りなのですが、こちらでも大雑把に紹介します。

超巨大太陽フレア(CME)による太陽嵐が地球に襲来し、膨大な宇宙線と磁気圏の乱れによって、各種衛星はもとより地上の送電設備(おもに変電所)が潰滅。世界規模の大停電が発生する。テレワークの体験で北海道・知床斜里町に滞在していたプログラマー・香山秀行は、ふとしたきっかけから東京~知床の往復行を決意する。辛うじて生き残った運輸網を駆使して辿り着いた首都圏は、自分がそこで過ごしていた頃とは様変わりしていた。そして、この往復行は彼にとっても、世界にとってもCME以後の生活の始まりに過ぎなかったのである。 

  とまあ、こんな感じです。
 帯の宣伝文は、宇宙物理学者で太陽フレア研究者の柴田一成氏ですので、簡潔かつ的確に作品を紹介しています。
 赤字に白抜き文字の「超巨大太陽フレアが発生。全世界停電勃発!」という惹句を見ると、『日本沈没』のようなパニック小説が想起されますが、すぐ横にある通りあえてひと言で表すならシミュレーション小説です。
 正確な年代は明記されていませんが、現代(2017年)と考えて問題ないです。これは、本文中で「2012年を数年前」と言っている台詞があるからです。

 きわめて読みやすいのもこの作品の特徴で、私は最初の3行を読んで度肝を抜かれ、2ページ目に達したとき、椅子からずり落ちつつ「勘が当たった。それも大正解だった!」と歓喜していました。
 引用します。

 着陸態勢に入った機内の窓の外に、正方形の畑がパッチワークのように広がっている。
 六月の北海道の、脳天気なまでに澄みきった空。眼下をぼんやり見ながら、香山秀行は数日前に木島社長に言われたことを思い出していた。

(空行3行)

「ちょっと知床行ってこいや」
 目の前にいる、このあくが強くて強引な上司は、社長兼編集長。ITと技術系のニュースサイト「TechVision」を六年前に立ち上げた人だ。自分はその会社で記事編集や表示に使う、バックエンドのシステムを作る仕事をしている。

(ここまでが1ページ)

  ルビは省略しましたが、終始こんなペースです。わかりにくいかもしれませんが、木島社長の台詞以降は、香山秀行25歳独身の一人称になります。
 太陽フレアなど専門分野に突っ込んだ用語などが出てきますが、香山秀行25歳独身が専門家ではないため、素人が外部から情報を受け取るという点で、読者と立場はまったく同じです。
 一人称ですので、彼が理解できていないことは書かれていませんし、JAXAだとか気象庁だとかそういう最前線に立つこともありません。ただ一人の人間として、周囲の人々と協力しつつ、目の前にある危機に対処していくお話しです。
 より噛み砕けば、素人が素人なりに生き残る方法を探っていくお話しです。

 停電でITが事実上休眠状態になったとしても、これまでそこで培った経験は彼の中に生きているので、これを世界停電という未曾有の天災への対処法に応用していきます。当然ながら、周囲の人々もその人なりの人生を歩んできたわけですから、自分が持っていない物を他の人が持っていることを実感させられます。
 知恵を絞って、持っている知識を応用して活用していく流れは、静かな躍動感を持っています。最初こそ意気消沈していた彼が、生気溢れる存在になっていく過程にもなっていました。

 香山秀行25歳独身が潜在能力を持っていたとか、偶然に状況を打破する道具を手に入れることができたとか、そういった要素は皆無です。すべて、彼がこれまで関わってきた人々やいま側にいる人々が大きな支えとなり、彼自身も知らず誰かの支えになっている、という人間関係によるものです。
 群像劇ではなく、人間関係を描いた物語です。

 また、全世界規模のマクロな出来事を、いち個人の立場というミクロな視点で描いた作品でもあります。
 社会科学(Social Scienceと自然科学(Natural Science)に立脚した、非常にリアリティのあるSF(Science Fiction)と言えるでしょう。
 科学=科学技術(Science Technology)ではないのです! と早川書房さんの無言のアピールが伝わってくる作品でもありますね。


 ここで、秋口に読んだSFを思い出しました。
 同じハヤカワ文庫から出ている藤井太洋氏の『オービタル・クラウド』です。

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  この作品もあり得るかもしれない未来を描いたものですが、最大の違いは主人公が玄人であり、各分野プロフェッショナルの集団がネットワークを駆使して世界規模の活動を行うことにあります。
 どこかの感想サイトで「特別な能力を持たない主人公が~」と書かれていましたが、人工衛星の軌道要素を暗算ではじき出すのは、特別な能力です。
 
 『オービタル・クラウド』は、その分野の玄人が世界規模の危機にJAXA、CIA、NORADまで巻き込んで(巻き込まれて?)対抗するお話しであり、マクロな出来事をマクロな視点で捉えた作品です。
 いっぽう『赤いオーロラの街で』は、世界規模の危機に素人同士が協力して向き合っていく作品で、マクロな出来事をミクロな視点で捉えた作品でもあります。
 是非併せて読みたい二作なのですが、『オービタル・クラウド』は若干敷居が高いので、薦める際によく考えないといけないと思ってます。
 逆に、『赤いオーロラの街で』は、のべつまくなし誰彼構わず薦めています。それほど読みやすく、いい意味でお手頃だからです。
 もっとも、好みや相性ばかりはどうにもなりませんので、言うほどゴリ押しはしていません。

 

 柴田一成氏が「今度はスーパーフレアで世界が終わりかけた惨状について……もちろん、本当に世界が終わらないための警告の書として(この想像力を活かして書いて貰いたい)」と解説を締めくくっていました(括弧内はこちらで補いました)。
 それはそれで興味深いのですが、私としてはこの作品を北海道にいた香山秀行25歳独身ではなく、東京にいた木島社長バツイチの視点からあるいは作中に登場する貨物船船員の甲斐氏の視点から描いて欲しいなあ……と思いました。
 一人称ゆえに、他の地域がどうなっているのかがほとんどわからない状況で話が進むからです。一人の人間がインターネットもTVもラジオすら限られた短波放送しかない状況で、得られる情報がどれほど少ないかという点でこれは大正解です。
 ですが、もし同じテーマで違う物語を読めるなら、そうした違う立場にいた人々から見た惨状と対応の仕方を読んでみたいと思いました。

 

 ところで、この小説は一人称なのですが、香山秀行自身を表す「僕」は作中に一回しか出てきません。日本語の文章は主語を省略しても通じるとは知っていましたし、私自身も視点となる主人公の人称を排した小説を書いたことがあります。
 驚いたのは別の部分でして、「僕は~」とどこにも書いていないのに、一人の人間が知覚している世界だということが自然に感じ取れる部分です。
 冷めているわけでも極度に自分を客観視しているわけでもなく、ごくごく自然体なのです。
 感情の起伏があまり大きくないから、と捉えることもできますが、そうした事態に遭遇しなければ振れ幅はそう大きく現れません。むしろ、予想だにしない出来事が起きたとき、感情が麻痺して「え? え!?」みたいな状態になると思います。というか、私はそうなります。
 こうした部分からも伊藤瑞彦さんは観察力の優れた方だなあ、と感じ入りました。

 

  個人的に気になったのが「テレワーク」という言葉で、作中では――一人称と言うこともあって――当たり前に使われているのですが、あまり馴染みのない言葉だと思います。

 実際、テレワークに相当することを自分でやっていても、あえて使う機会がないという人も多いのではないでしょうか。ましてや、そうした働き方に縁の無い人からすると、この単語で引っかかってしまいかねません。

 この言葉、あんまり普及してませんよ? 

www.japan-telework.or.jp

 私としては、なんとなくわかる言葉でもないと思っているため、基本的に使いませんし、使わなくてもなんの問題もありません。そうした現状こそが、問題なのかもしれませんが。
 テレワークという言葉の扱いの難しさは、ひと言でこれという日本語に置き換えられない点にあると思います。

 呼び方よりもそうした勤務形態を認知してもらうことの方が重要、という点も大きく作用しているでしょうから、ここは難しいことです。

 ひとに薦めるとき、これがいちばん説明の面倒くさい部分だったこともあります(苦笑)

 

追記【ネタバレ】
 世界がスーパーフレアに見舞われた時、主人公は北海道にいるため首都圏の様子はわからないため、木島社長から当時の様子を聞くくだりがあります。

 CME直撃による停電発生が日本時間では深夜だったため、被害は最小限に留まった。これは交通量の少ない時間帯であり、オフィス街のみならず住宅街の稼働率が低かったから。この逆の例が関東大震災
 問題は翌日で、会社に連絡が付かないので、どうしていいかわからない。同じように、こうした際のガイドラインを――3.11以降もなお――設けていない会社は、対応がまったくできない。

 というわけで、個人の判断に委ねられるのですが、連絡が付かないからとりあえず出社しようとした人間が少なからずいたという記述があり、苦笑する他ありませんでした。
 全員が全員そうしたわけではない、という点が現代を反映していて、これが80年代だったら過半数が通勤を試みたと書いた方がリアリティが増したと思います。つまり、こうした変化はあれども、現代日本あるいは戦後日本社会が有してしまった硬直性は、未だに柔軟性を阻害している、と遠回しに苦言を呈しているように思えました。

 いっぽうで、ディーゼル車(気動車)を使用している路線は、後に信号係兼踏切係を配置して最低限稼動させ、数ヶ月以内には山手線もディーゼル車を導入して運行を開始。GPSに頼りきりだった航法を昔ながらの天測を用いることで、最低限の航路を確保する。……などと各方面におけるプロフェッショナルがどう対応するかも書いていて、好悪両方から描かれていました。
 だからこそ、空路に関しての対応に疑問が残りました。通常の旅客便や国際線は無理だとしても、国内に限るなら早期警戒管制機AWACS)と航空機搭載の無線を活用すれば、最低限の輸送ルート、特に人命に関わる医療品の輸送路を確保できたのでは? ということです。医療関係の輸送に関しては本筋とも絡むのですが、もっとマクロな視点でのことです。
 ミサイル警戒網がダウンした段階で核保有国が誤射を避けるためホットラインが生きているうちに打ち合わせをした、という描写があり、物語後半でGPSを最低限稼動させるために各国が協力して衛星を打ち上げているのに、空路についてはほとんど触れられないままでした。
 冒頭でのGPSの狂いとハイパーフレア発生により女満別空港緊急着陸した国際線旅客機が列を成している、といった被害の描写はあります。しかし、他の分野で見られた復興の描写はありません。
 この辺りはさじ加減なので、是非を問うことは難しいのですが、飛行機だって昔は天測で飛んでいたのです。CMEの地上への影響は電磁パルス(EMP)と違って、電子機器を直接破壊するような性質を持っていないため、その時飛んでいないAWACSは無事なはずだからです。
 使えるものは本来とは違う用法でも使う、という本作に通底する復興のための応用力が空路に関してはまったく描かれていないのです。
 この点は、本作で唯一腑に落ちなかった点でした。