『日本史C〜すごくあたらしい歴史教科書』史文庫/中世編〜近代編


 全一八篇の短編からなる歴史小説のアンソロジー集。この通りキャンパスノートと一緒に置いても違和感がありません。
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 前回も書きましたが、半分は私自身の思考メモなので、何様だお前は、というくらい容赦がないです。今回は中世編から最後の近代編までです。

 中世編より前はこちらにまとめて書いてあります。


・中世編(鎌倉時代〜戦国時代)

すと世界『業火に咲く花』
 本文中で結構丁寧に説明しているのだけど、これは無理、予備知識がないとその説明も入ってこない。たぶん、内容には入れずによくわからない、という人が多かったのではないかと思う。教科書としては優れているとは思うけれど、小説を読むつもりで読もうとすると理解は難しいとも思う。
 鎌倉幕府開幕より源頼朝が没してから北条時頼時宗の父)が執権になるまでの間、御家人同士の間で血みどろの争いが行われていたことは、あまり知られていない。なぜかというと、通常、日本史の授業では教えないから。
 まず頼朝から三代の源氏将軍が絶えるまでの間に起きた抗争があって、次に北条氏が実権を確立する過程で起きた抗争があるのだけど、今回の三浦光村の三浦氏は後者の方で、北条家にこれという人物がいない時期のためか非常にマイナー。
 私も学生時分に史学科の友人が多かったのと、教職を取る過程でたまたまその付近の知識を持っていたので読めた。読めたけど、読む態勢に入るまでがわりと時間がかかった(気分の問題)。
 驚いたのはページを繰っていて、突然の名言が現れたことだった。
 三浦光村が崇徳院崇徳上皇が流刑の後出家した際の名)と対峙した際の会話。地の文で、亡霊とも幻影とも正体を一切明言していないところも素晴らしい。

「恐れながら申し上げますれば、保元の戦は遥か昔、敵も味方も既にこの世になく、弟君でいらっしゃった後白河の仙洞(後白河法皇)も、亡き鎌倉の右大将(源頼朝)も、幾度もその御為に法要を行い、白峰(讃岐国白峰山=現香川県)に立派な御陵を建てられましても、まだその恨みは尽きぬというのでしょうか」
「補陀洛山(恐らく和歌山県補陀洛山寺)の蓮池のほとりで微笑むも朕、この世に仇なし、ぬしの前に現れるのも朕、現世の者たちがそう思う姿に朕は現れる」
「ならば、その御身は現世に生きる者どもの幻にすぎぬというのでしょうか。我らがその心を強く持てば霧になって消えるのではございまするか」

 (中略)

「笑わせるな、犬よ。怨霊、魔縁、鬼の類は人の宿業。人が生きる限り逃れることは出来ぬ」

  本文186、187ページ
   ※括弧内は引用者の補記。

 思わず笑った。それ書いた。私も書いた。鬼を描いた歌詞にそう書いた。
 ですよねー。姿が見えなくとも、行いは巡り巡って己の元へ返ってくる。それがどんな形であるにせよ。
 崇徳院が光村を犬と言っているのは、三浦氏の行いから「三浦の犬は友をも食らう(本文179ページより)」と言われていたことに起因します。別段、見下しているわけではなく、犬呼ばわりされることが光村ひいては三浦氏が負った業だと、遠回しに言っているわけです。
 現代社会では、なにかやらかすとすぐさま社会的制裁が機能するのですが(わかりやすい例では飲酒運転したら免停とか)、そういう社会が存在しなかった時代では、因果応報という言葉通りいつか報いを受ける日がやってくるわけですな。
 だから、宗教が必要だった。すがるなにかが必要だった。それを瞽女(ごぜ:盲御前(めくらごぜん)という敬称に由来する女性の盲人芸能者。本来は旅芸人)であり仏道に帰依したらんという女の存在と念仏によって描いていると思いました。
 あと、題名の『業火に咲く花』のですが、作中に火焔はほぼ出てこないのですが、業火の「火は非、音読みして罪科の科」、花は「浄土に咲く蓮の花、すなわち念仏」という解釈が成り立ちました。
 鎌倉時代が好きな方は四の五の言わず読むべしです。
 私が挫折した『吾妻鏡』を読了しているからは言わずもがなでしょう。


向日葵塚ひなた『歌え、連ねよ花の笠』
 南北朝統一後の室町時代初期、農民一揆が多発した時代。解説にもあったとおり、一揆というと貧困の末ににっちもさっちもいかず年貢が納められないばかりか借金返済もままならない状態で村落全体が共謀して起こす暴動という先入観が強く、実際私もこの先入観に囚われていた。高校までの日本史では、一味神水血判状のごとく書かれているので、そうした先入観を持たせやすい。
 ところが、実際読んでみると、一揆の本来の意味に遡って一蓮托生覚悟の一致団結、村の再建のために方針を定め協力する人々の姿が描かれていて、非常に勉強になった。考えてみれば、この時代は武士も農民と同居していた(早い話が用心棒である)時代なので、総じて識字率や学識が高いレベルにあった時代でもある。

 一味神水の項目に、そもそもの謂われを記すべきだと思いました。どんだけ左寄りなんでしょね、日本の歴史教育は。貧困に虐げられる持たざる人々が搾取する持つ人へ反旗を翻す(うぇー)。こういうのを美談じみて語る教育を白い目で受けていたので、なんというか救われた思いがしました。
 この話では村の財源である温泉(道後温泉)の源泉が枯れたことに端を発し、年貢を取り立てに来た武士と交渉をする場面も出てくる。悪い意味で泥臭く血生臭い一揆の印象は全くなく、神泉が絡んでいるためか見苦しい内輪もめも出てこない。それどころか、年貢を取り立てに来た武士と交渉する場面すらある。あと、村の権力者(正確には立場的なものであって、権力をふるっているわけではない)も村の一員として描かれているのが好印象で、最後のシーンでそれがはっきりと伝わってきました。
 折しも、東日本大震災の復興の最中(いまもですが)に、芸予地震(これは頻発しています)が起きたた時期で、解説にもありましたが人々の繋がりや協力することで生まれる強い力が描かれていました。
 あと、読み始めたときにこの流れなら、歌が入っているといいなあ、と思ったら……。
 まあそういうことです。良い意味で予想を裏切られて楽しんで読めました。


上住断靱『銀蛇』
 時代は織田信長が台頭し天下人への道を歩き始めた頃。忍者で有名な伊賀が舞台。なんというか、歴史小説らしい話だった。解説にもあったとおり、諸説諸々あり真偽定かならぬ部分も多々ある人物を取り上げているためか、「銀蛇」こと百地三太夫が出てくるとどうにも作り物くさい感じがする。実際、忍術(策、軍略のたぐい)を使っているので、登場人物が状況を作っているので間違いではないのだが、いまひとつ腑に落ちなかった。

 内乱の最中にある伊賀十二家がひそかに手を結び、討つ敵は織田信長の三男・悪銭《びだせん》という不名誉なあだ名を持つ信雄とその腹心達。実際、信長の死後のお家騒動でも、家康を味方に引き入れながら結局のところ秀吉の懐柔策に乗ってしまう……担ぎがいのない神輿という認識があったので、信雄勢のチョロさ加減は「戦乱の世を甘く見てんじゃねーよ(全国各地より)」といった風情で滑稽です。
 しかし、終盤の合戦が序盤のそれと比べると、いかにも芝居くさく感じられてしまうのは否めませんでした。ただこれは最後に付記された百地三太夫という人物の不明確さ。専門の歴史学者も判断に迷うという記録を逆手にとって、忍術(オカルトめいた意味での)を演出してしまう作りは面白かったです。


・近世編(江戸時代)

狩野みくず『奥州女仇討異聞』
 下敷きになっているのは『碁太平記白石噺(ごたいへいきしろいしばなし)』で作中にもあるとおり、文楽や歌舞伎の演目にもなっているが、それらは浄瑠璃の「碁太平記白石噺」からの派生らしい(調べた)。
 江戸時代初期、三代将軍家光の治世で、武力を背景にした武断政治が行われており、お家取り潰しなども珍しくなく浪人の数が増加していた時代である。
 浪人の増加はこれ以前の慶長(大坂夏の陣のあった頃)、寛永の頃(宮本武蔵が流派を確立した頃)から起きているのだけど、治安に関してはその専制政治ゆえに比較的良かった時代でもある。他にも島原の乱を受けてのキリシタン弾圧の強化や鎖国の徹底化と、より日本が閉鎖的になっていった時代であり、役職に就いている武士はふんぞり返って「切り捨て御免の無礼うち」がまかり通っていた。そんな背景を舞台にした物語。
 なのだけど、あえて言葉を選ばず言ってしまうと竜頭蛇尾
 姉妹のうち姉が動作を通じて魅力を描きだしていて、期待が最高潮に高まったところで、小説としてのお話しは終わってしまう。正直なところ、なにを伝えようとして、なにを描こうとしていたのかがわからなかった。

 起承転結なら起から承に入ったところで終わっていて、序破急ならば序だけといった風情で、主要登場人物の特徴や性質が見えてきたところで、いきなり解説文調になり、そのまま終わってしまいました。
 このお話しで出てくる最大の著名人は、由井正雪なのですが名前とやったことが解説文のような内容で、期待してしまっただけに残念でした。べつに殺陣などがなくても、由井正雪と姉妹を直接会話させるだけでも十分面白いと思いました。由井正雪も色々といわくつきの人物なのだけど、それだけではなくて複雑な家庭内の事情抱えているなど、通常の歴史教育では教えない人間味の多い部分を持ち合わせていたりします。
 奥州に関しては伊達家、その他真田や風魔の血といった美味しい要素を含ませながらも、ほとんどチラ見せで終わってしまいます。
 なんらかの事情で、本来の完成形まで描けず、著者としては未完成ながらも完成作品として収録できるかたちにした、というのであれば理解はできますが、読者としては残念の一言に尽きる一作でした。


庭鳥『白い脚』
 多くの人が江戸時代と聞いて想起するものの多くは、この元禄年間に集約されている、と言っても過言ではないと思う。徳川将軍家の治政が盤石のものとなり、町人文化が花開いた時代。日本史ではなく現国の文学史にしても、江戸期の作品はおおよそこの時代のものが多い。
 心中事件、物書きの門左先生、浄瑠璃……とくれば、これが『曽根崎心中』、近松門左衛門を描いたのものであることは自ずとわかる。
 その描き方、見せ方がおそろしいほどに巧い。
 知っているあるいは憶えている人間なら連想ですぐ気づくだろうし、知らないあるいは忘れている人間にも、遜色なく伝わると思う。そしてなにより、知っていても新鮮に感じられるところが、先述した巧さ。
 共感しやすく、時代背景がそのまま背景として入ってくるので、歴史物と構える必要がない。
 なにより重要なのは、現在上演されている『曽根崎心中(の底本)』と原作には大きな相違点があることを小説のかたちで自然に伝えたことだと思う。

 さて、作者の庭鳥さんは、あとがきで「関東出身のため、上方の言葉になじみがなく、作中の会話がおかしな言葉遣いになっていますことお許しください」と書かれているのですが、これはむしろ正解だと思いました。
 関西の言葉遣いにするだけならともかく、この内容ならば我々が普段用いている言葉に近いこのかたちの方が伝わりやすいです。
 近松門左衛門をこれほど身近な存在に描けているのも、そうした会話における言葉遣いにあると思います。
 あと題名の付け方が巧妙です。まさかこういう内容だとは想像もつかないような言葉で、しかも内容とは無縁ではない、素晴らしい一作でした。


巫夏奇『二刀流の提灯男』
 時代は八代将軍吉宗の治政。享保の改革が軌道に乗り始めた時期。講談のような前口上があり、そこから物語始まる。……のだが、作者の意図がどこにあるのかがいまひとつ見えなかった。
 要するに『暴れん坊将軍』の時代なのだけど、この時代からしばらく大飢饉が続き、人々は自然の猛威と戦っていた時代でもある。だから、こうした荒唐無稽な話が語られていた、ということを描いたというのなら、なるほどとは思う。作品から時代背景が全く見えてこない。登場人物から地の文がほぼ完全に現代の一般小説で、時代小説風でもない。
 ただ、提灯男の正体とその出没背景は、浮き世の無情さを雄弁に語っていた。

 ぶっちゃけ、妖刀・雪斬の存在がなく十兵衛が源蔵から聞いた話から、事の背景を見抜いていくという筋だったなら、感想はかなり違ったと思います。提灯男についても荒唐無稽ではあるのですが、ことさらに存在感を強調していないので『番長更屋敷』の如き怪談話の雰囲気は感じました。
 言うなれば、雪斬はデウス・エクス・マキナです。
 それから言葉足らずのところが所々あって、娘と男が相思相愛の関係だったことが明記されておらず、いきなり実はそうだったという描き方をしているので、少々混乱しました。
 それから、二刀流はいずこに?


鋼雅暁『異国の風』
 黒船来航により鎖国の終わり、そして江戸時代の終わりの波を感じさせられた。文体も時代小説・歴史小説の雰囲気を残しつつ、現代の小説の文章に近い微妙なバランスの上に成り立っており、必要な情報を適宜出しつつテンポ良く進む展開も含め、作品全体から時代の風を感じられた。
 全体の分量は少ないため、物足りなく思う読者もいると思う。しかし、これまで約三百年間もの間、鎖国を続けて世界から引き籠もっていた日本が、否応なしにしかも性急に外の世界へと目を向けなければならなくなったのがこの時代。
 事情通の太一郎にしても状況を完全に把握しているわけではなく、一刀流免許皆伝の腕を買われてオランダ人警護の助太刀を頼まれた英次郎に至っては、なにがなにやらわからない。
 京都では尊王攘夷派と佐幕派が血みどろの争いを繰り広げ、江戸でも安政の大獄吉田松陰をはじめとする多くの志(それが正しいかどうかはさておいて)ある人々が圧殺されているのだが、戊辰戦争慶喜が大坂(この時代は大阪ではない)脱出するまでは、言葉は悪いが関東は世間知らずの人々の方が多かった時代でもある。黒船来航時に描かれたペリーの絵がいい証拠である。
 英次郎はそうした一般の視点を表し、かつ純粋な好奇心を持つ若者として描かれており、もしかしたらこの時期に外国へ渡航した武士を意識したのではないか、と思わされた。
 結末は吉田松陰(※)が果たせなかった外国への渡航の可能性を示唆しているようでもあり面白い。

※実はこの人、ペリー来航時に黒船に潜り込んで密航しようとして、本人と談判するところまで行ったものの、両国間の関係が極めて微妙である状況を重視した米国側の判断で送り返されている。この後、吉田松陰と同行した弟子は投獄され、後に松陰は松下村塾を開く。なお、ペリー本人は松陰の心意気を高く評価していたらしい。
 ちなみに、幕末の人物ならば高杉晋作がいちばん好きです。

 いささか時代遅れとなりつつある侍の気風を持った御家人次男英次郎と、昨今の事情に通じたやくざのふとっちょの親分太一郎のでこぼこコンビの関係が見ていて滑稽で微笑ましかったです。話の進み方が私の大好きな池波正太郎先生の『剣客商売』を彷彿させるところがあり、そこも非常に好みでした。
 あと、端役で出てくる英次郎の母親お絹をはじめとする人物がしっかり描かれていて、登場人物に人間味を感じられます。御家人の家である英次郎の自宅に畑があり、鶏を飼っているというのも、この時代の下級武士の生活を反映していますね。これもただあるとかいると書くのではなく、鶏が太一郎に懐いている描写があるなど、生活感がにじみ出ており好感が持てます。
 剣戟の場面があっさりしているのは、むしろこの人が上手い証拠で、実力が拮抗していない限り、立ち合いは一瞬で決まるものだからです。この交錯をいかに少ない言葉でかつ適切に、勝者の強さを表せるかは殺陣を描く上での大きなポイントだと思っています。
 いよいよもって、自分達の生きている時代に直結する過去を描かれている感触があり、楽しく読めました。


・近代編(明治〜昭和)

なぎさ『海より深く空より青く』
 日本最大の内戦である戊辰戦争の最中、彰義隊で知られる上野戦争から始まり、新撰組十番隊隊長原田左之助馬賊伝説を絡めたお話し。大筋はこの通りなのだが、わけがわかならないまま話が進んでしまう。
 視点が柚子という武家の娘の一人称で、周辺事情を京都で新撰組隊士と交流があっという兄から聞いた話以外ほとんど知らない。そのため、わけもわからないまま否応なしに、時代の波に翻弄される状態を体感させられた気がした。

 これ、まずもって上野戦争原田左之助について知らないと、完全に読者は置いてけぼりになります。そして、永倉新八戊辰戦争後の来歴を知らなければ最後の最後までわけがわかりません。難易度が高すぎます。
 また柚子の一人称であるにもかかわらず、その心情が読み取りにくく、行動原理がいまひとつ見えてこないんですね。どうしてそこでそういう行動を取るのか、というごく単純な動機が稀薄でした。
 いっぽうで話の筋ははっきりしているため、物語を進行させるために登場人物を作者が動かしているような気がして、最後まで一切の共感ができませんでした。
 ただ一点。歴史を描いた作品としては、わけもわからず流されるしかない状況とはどんなものなのかは良く伝わってきました。


アルト『沼辺に佇む』
 明治が終わり、元号が大正へと変わった頃。元老という権威的な印象の強い西園寺公望の政治家でも公家の末裔でもない姿を描いた作品。会話の相手である原は立憲政友会原敬。本文には日清・日露とまとめて書いてあるが、陸軍が強気になったのは日露戦争での大陸進出成功が起因している。
 ぶっちゃけ、これが災厄のはじまりで、日華事変(日中戦争)や太平洋戦争も全部ここに繋がっていると言っても過言ではないと思う。というより、アメリカの外交戦略を抜きにしても、近現代日本のターニング・ポイントは日露戦争にある、という話を学生時代に歴史好きの友人と良く話したものだった。
 本文にある陸相の辞任は、当時の内閣にとって大打撃であり、第二次西園寺内閣は相当追いつめられた状況にあったのだけど、ここで内閣総辞職を行ったため、陸軍は支持を失い後に大正デモクラシーと呼ばれる波がやってくる。
 この間隙をさらっと描いた短い作品。

 やっと文明の香りがしてきて、主催の唐橋さんに「その時代がお好きなら是非に」と薦められた理由がわかりました。明治の終わりから大正の初めの戦争がない時期は、混沌としていて非常に興味深いのです。この作品の時代なら、浅草には十二階こと凌雲閣があり、数年後には東京大正博が開かれます。
 しかし、その背景はきな臭く、人々はこれから来る嵐の前の静けさを感じ取っていたのかいないのか、様々な文化が花開きます。
 実は私、大正浪漫という表現が好みではありません。なぜかというと、歴史を都合の良く見ているような、綺麗な部分にだけ目を向けているような気がするからです。
 先に日露戦争が日本の近現代史におけるターニング・ポイントと書きましたが、二つ目がすぐ後に来ます。第一次世界大戦が終わり、一時期好景気へ向かい始めた日本に第二のターニング・ポイントである関東大震災が襲いかかるわけです。
 作品に話を戻すと、短いわりに骨太の内容で作中で西園寺や原が吸っている時代の空気を感じさせられました。西園寺と明治天皇の良い意味での親しい間柄が見え隠れする発言や、良く物忘れをするとか原に「細かいことは言いたくはありませんが」と前置きされた上で「あなた使っているのは、私の万年筆です」と苦言を呈されるのは微笑ましくすらありました。しかもこの万年筆のくだりはただの雑談ではなく、明治二年に西園寺が官位(公家出身の華族のため官位を持っている)を返上して望一郎と名乗ったことに繋げている辺りもおいしいです。もっともこれは知らなかったので、調べたのですが調べてみたいと興味をそそられる内容でした。
 最後に趣味の話をちょっと書かせて貰うと、海軍が主張していた戦艦三隻の建造とは、おそらく金剛型(この時点で金剛はすでに起工しているため)の比叡、榛名、霧島、のことではないかと思われます。

 ところで、『ゆる本Vol.18』に出した拙作『眩窓純喫茶一九一三』をこの後に置いても違和感がないと思うのですが、それは私の思い上がりでしょうか?(苦笑)


保田嵩史『端倪すべからず』
 説教強盗? 知らないなあ……と調べてみたら、説教強盗・妻木松吉事件なる人物が見つかった。作中の登場人物の一人東朝新聞(東京朝日新聞)の記者である三浦守は実在の人物で、作家三角寛と同一人物なのだそうだ。
 この説教強盗の手口については、作中に描かれていたのでわかったのだけど、そんなものが実在したのか気になったので調べてみたら出てきたのが刑事記録。大正末期、昭和改元頃まで来ると、事実をもとにした小説を書くにもどの程度、どの様に脚色するかが肝になってくるのだが、これは一本取られた。
 最初は関東大震災から復興しつつある東京で起きていた知られざる犯罪を描いた物と思いきや推理小説の色を帯びていき、作中にある「謎」は前提の決めつけから盲点となっていた事実だった。
 これは時代を反映していて、あの職業はそういう目で見られることもあったのかと思わされ、三浦守らがカフェ深読みしているところにあの人物を出したのは恐ろしい手管だった。

 この作品、とんでもない人物が出てきます。登場するなりわかります。私は思わず噴き出しそうになりました。その時代にいる人間なのだから、状況さえ揃えばひょいと出しても不思議ではないのですよね。なにを書いてもネタバレにしかならないのですが、要素の組み合わせ方が非常に上手いです。そこにあるものをとことん活用する手腕が悔しいくらいに巧いです。特に桜の……あー、あー(書けない)。
 いっぽうでアカ狩り(共産主義者弾圧)や復興景気はあったものの、そんなの焼け石に水でしかない、という時代背景もしっかり書いてあり隙がないところも好感触でした。
 いよいよ時代は激動の昭和へ突入する、その直前を捉えた良作でした。


 以上にて『日本史C』、読了しました。
 歯に衣着せぬ物言いで好き勝手書きましたが、ぶっちゃけ本当に興味が持てない、つまらない話には、なにも書きようがないのです。いちゃもん付けているように見えても、じつはそれだけ物申すと思わされるだけの力が作品にあったから書いてしまっただけです。
 突っ込みどころがある作品でも、突っ込むだけの気が向かなければ何も描きません。
 そんなの時間と心の無駄遣いだからです。
 これは、自分が言われる立場になった際はなにを言われても構わない、ただし悪口雑言は別にして。という私のスタンスから来ています。
 だから、私の作品に対しても――とくにお金払って買った物なら(合同誌やCDの歌詞含む)――好き勝手言ってくださいませ。


 この『日本史C』に参加された方にお薦めなのは、拙サイトにある『誰かあの鬼を知らないか』という東方プロジェクトの二次創作小説です。二次創作小説ですが、原作を全く知らなくても読めます。
 鬼、妖怪、巫女、五行思想、言葉遊び……そういうものが好きな方には、全般的にお薦めできます。

あやなみ・磯風型突撃宇宙駆逐艦綾波(宇宙戦艦ヤマト2199メカコレクション)

 先に書いておきますと、本体は素組みで、表面処理と塗装をしただけです。



 デカールに「あやなみ」の艦名板を見つけたので、雪風ではなくあえて綾波を作る辺りがひねくれています。ちなみに、本編のどのシーンで出てきた艦かというと、第一話のメ号作戦で陣形を組む地球艦隊の旗艦きりしまの右舷から前へ出て行くゆきかぜと同じカラーリングの艦がそうです。同型艦の中では最も艦橋部分が外観からアップで映った艦でもあります。



 こんな感じですね。本編をよく観察しているとゆきかぜ同じカラーリングの艦で艦名がわかるのはしまかぜなのですが、艦橋の後ろの部分はモールド表示なのに対して、あやなみだけは一色なんですよ。モデルになった帝国海軍の白露型駆逐艦綾波も好きな艦だということもあります。



 右舷側から。劇中では艦橋上部のアンテナはもっと細いのですが、いずれにせよ正面が主砲の死角になるという設計はどうかと長年思っていたのですが……(続く)。



 左舷側から。(続き)実際これを作ってみると砲身がない砲塔なので、下手に底上げするとバランスが崩れて美しくないのですよね。



 艦尾。設定だとY軸の安定翼(?)の長さが上が短く、下が長いらしいのですが、このスタイルでも十分格好良いので気にしません。



 艦上面。突起物が多いように思えて、非常にすっきりしたシルエットを持っています。アニメ側のデザインが多少リファインされたこともありますが、昔作った旧メカコレの古代艦と比較すると艦体と砲塔のバランスが良くなったように思えます。



 ひっくり返すとこんな感じです。タンクの塗装が汚いのは後述しますが、この部分の塗装はかなり難しいです。下手にマスキングすると、境界面に塗料が溜まるからです。



 艦首から。艦橋の窓を塗るのには苦労しました。



 真っ正面。厚すぎもせず、薄すぎもせず、良いバランスですね。素組みででもこれくらいのシルエットは出せます。



 砲戦開始。高さが足りないのでガラス製文鎮を台にしました。



 艦尾から。劇中では描かれませんでしたが、やはりかの鬼神綾波のようにゆきかぜに負けず劣らずの戦いぶりをしたのでしょうか。



 さて、以下は製作過程です。
 ランナーからパーツを切り離し、タミヤ・フィニッシングペーパー(模型用紙やすりです)、600、800、1000、1200、1500、2000番を使い分けつつ切り取り跡を消します。
 最も良く使うのは1000番で、タミヤ精密ニッパーで切り離す限りは、これと2000番で足りるんじゃないでしょうか。2000番は最後のならしに使います。やらなくても大丈夫だと思いますが、自分はほぼ筆塗りのみで塗装するため、表面はなるべく均一の方がいいのです。



 サーフェイサー1500を噴いてから、塗装に入りました(じつはこれが今回最初にして最大の失敗)。
 最初に白(Mrカラー・漆喰色)と、一部をマスキングして黄色(Mrカラー・RLM04イエロー)を塗ります。このタンク部のマスキングこそが失敗その2です。



 黄色がなかなか乗らず悪戦苦闘しているところです。タンクのマスキングテープは、持ち手の固定も兼ねていたのですがそれだけで十分だと後から思い知ることになります。マスキングテープとの境界面に塗料が溜まってしまいもこもこになってしまったのです。
 しかも、サフを噴いてしまったために下手に溶剤で色を落としてやり直ししようとすると、艦本体と色合いが変わってしまうためにっちもっさっちも行かなくなったところです。結果、今回は強行することにしました。



 今回の失敗その3。艦橋の窓を塗る際に、ガンダムマーカーのメタリックグリーンが良いとあったのですが、同じラッカー系塗料なので塗装皿に出して筆塗りすると(直接は無理です)、色が乗らずに負けるんですね、下地になっている色に。その上、修正しようと溶剤を使う(綿棒に含ませて拭き取ります)と窓周辺も巻き込むという大惨事。
 艦首上部全体を塗り直す羽目になりました。そして四つ目の失敗を犯します。艦橋アンテナ部分と色合いが異なってしまったのです。同じ手順で塗装しているはずなのに、どうしても合わない。そこで、この後溶剤で本体の色を薄めつつ、ガンダムカラーのMSホワイト(UG01)をうすーく塗って誤魔化しました。
 この結果、完成写真のようにウェザリングをしていないのに汚しをかけたような色合いになりました。



 気を取り直して、エナメル塗料のクリアグリーンとクロームシルバーを混色して塗り直します。周辺のマスキングはきっちり。
 はみ出したところをエナメル溶剤で拭き取っても、これなら下のラッカーと干渉しません。最初からこうすれば良かった。というより、なぜガンダムマーカーを使ったのかといいますと、別のキット(大物と言うこともありいまだ未完成)を買った際に細部のこうした塗装にガンダムマーカーがいい、と某模型専門店の店員に勧められたからです。しかし、考えてもみれば、ラッカーとラッカーなのでこうなるのは目に見えていますね。最初に自分は「全て筆塗りでやる」と言ったにも関わらず……。



 気を取り直して赤を塗ります。これは比較的楽でした。使用したのは手元に残っていたガンダムカラーのレッド1。ガンキャノンの指定色と同じなので、いまは別名で売っていると思います。



 最後に墨入れをして付属のシールを貼ります(シールの位置決めがかなり難しく、やり直しが利かないので慎重に)。試しに買っていたガンダム墨入れペン・シャープというシャープペンシル式のものを使ったのですが、これが思っていたよりもはるかに使いやすく驚きました。なお、艦首装甲甲板(赤い部分)の先端部は、通常の黒の墨入れペンで行っています。当初は筆塗りをするつもりだったのですが、思っていた以上に細かかったのと艦体の白い部分の汚しっぽい塗装と併せるため、こちらを使用しました。



 書くのを忘れていました。あやなみの特徴である艦橋後部は、黒鉄色(エナメル)で塗装しています。
 また、最終的に半光沢かつや消しをスプレーするつもりだったのですが、思っていたより照り返しは強くなく、これ以上手を加えてまた修正点が出ると嫌なので止めました。
 撮影者の腕がないため、結構反射してしまっていますが、実際の照り返しは、強い光を当てない限りは目立ちません。



 いつもながら本当に黄色塗装は難しいです。というより、黄色って溶剤を使ってもなかなか筆から落ちないので嫌いなんですよね。
 しかし、この磯風型突撃駆逐艦なのですが、配色が絶妙なんです。劇中では三パターンの塗装が出てきましたが、色指定をした人は苦労したと思います。
 この艦は色が少ないと味気なく感じられ、悪い意味で地味な印象を与えてしまうからです。恐ろしいと感じたのは、初代宇宙戦艦ヤマトからの赤白黄色のトリコロールで、ハデといえばハデなのですがこの艦のシルエットにはマッチしていると思います。
 設定色以外で塗装する場合、小改造して多少ディテールを変えた方が良いと思っています。
 機会があったらゆきかぜでリベンジしたいですね。じつはオリジナルカラーで塗ることを想定して、すでにもう一個買ってあり多少出来ティールのいじってあるのですが、そっちはパーツを足すかもしれないのでゆるゆる作ります。
 ゆきかぜは、作るとしたら贈呈用かなあ。

 おそまつさまでした。
 

猫祭り姫と幼虫社とN区と私

 いまさらながら当時販売していたCDを買っておかなかったことを後悔しています。
 猫祭り姫の『めぐる』というアルバムは、もはや手に入らないのです。あと、当時サイトで公開されていた金魚を××*1するお姫さま(『虫愛ずる姫君』的な)の歌が、もう聞けないのです。
 タイトルに挙げた三つは、大抵の場合ならどれか一つを知ってなおかつ興味を抱けば、芋づる式に繋がるのですが、私の場合はちょっと変な経路を辿っています。

 まず、猫祭り姫muzieで知り、翌年BITPLANEの『EASTERN FAIRY TALE(東方アレンジCD)』で幼虫社の存在を知って『廃園-eden-』を入手し*2、なんらかの別経路でダンボールの街N区を見つけてその音楽に至り、『福神町綺譚・音福』を経て、ようやくCD音源のN区を手に入れました。『HAKOIRI』と『ちいさなせかい』も。

 もっと昔かと思っていたのですが、記事を検索したら2005年5月でした。
 2005年ということは2月に『天零萃夢』を作詞して、まさにその5月くらいに飛絨毯さんから歌入れ(メイコ)の話が来た年で、夏コミで出す萃香の同人誌を検討していた時期なので、そっち方面の回路がもろに開いていた時期ですね。いろんなことが連鎖的に起きた年なので、その辺のことだけはよぉく覚えてますね。
 いやはや懐かしい。

全てが、奇妙にも、一本の糸で結ばれていたのです。

      藤原カムイ『福神町綺譚』集英社

 
 すっとぼけていたわけではなく、本当にすべての関連性に気づかないまま、近年になってその繋がりに気づいたお間抜けさんこそ私であります。

*1:一応伏せ字

*2:そして見事にはまり『幼虫期』まで辿り着いた

『日本史C〜すごくあたらしい歴史教科書』史文庫/上代・中古編


 これは購入後*1、それっぽい場所に置いてみた際の写真。

 全一八篇の短編からなる歴史小説のアンソロジー集です。
 詳細はこちら
 かなり濃い内容であり、好奇心をそそられるため、読むペースが極めて遅いです。その上、いま思考のベクトルをそっちに向けられない(≒向けたくない)ので、途中で止まっています。
 その都度、考えをまとめるために感想を書いているから、そんなことになるんですけどね。要するに自業自得です。
 ひとまず、おおよそ半分の上代編〜中古編までの感想を掲載します。
 半分は私自身の思考メモなので、何様だお前は、というくらい容赦がないです。


上代編(弥生時代奈良時代

侘助『刻の彼方より』
 最後に解説があるが、針の穴のような一点から、判明している周辺の歴史的・考古学的情報を掛け合わせて、物語に昇華している。
 大陸は後漢時代で、日本列島はようやく国と呼べる概念ができはじめた頃。もっともこれは、人類種そのものが大陸から列島に流れてきたという時差による差異なので、漂着した渡来人と意思疎通できるのは不思議なことではない。 注目すべきは、渡航に際して持斎を物語に組み込んできたところで、やっぱり、歴史が好きな人にとっては、外せない存在なのかなあ。うん、気持ちは良くわかる。

 舞台は異なりますが、上野原遺跡は一度見てみたいです。


白藤宵霞『あかのくさび』
 純粋に古代(古墳時代)の日本を舞台にした物語として楽しめた。雰囲気としては、荻原規子の『空色勾玉』に近い。どういう点かがそうなのと言えば、色や自然の表現においての視点の持ちかた。
 色彩や草花は身近に感じれるように、夕陽や草原などは眺めるように。
 登場人物は、歴史上の人物という側面を持っていることを考慮してか、より人間的な側面を強調して描かれているので、感情移入しやすい。体温が感じられるほどのもの。
 固有名詞と大まかな立場(地位)以外は、本文中に書かれていないため、あくまでも「眉輪の物語」として描かれているので読みやすくもある。
 ところで、クライマックスの直前で大王(安康天皇)と中帯(眉輪の母)との会話に出てくるある物について注目すると、それだけでこのお話はミステリにもなる。
 眉輪王の変に関わる重要人物(ただし記述も記録もほぼない)が、ちゃんと登場していることに気づくはず。何気に、伏線も張っているし。最初に気づけなかった悔しい。だんだん(地団駄)。

 さて、眉輪王。どこかで聞いたことがある名前なのですが、思い出せない……。読み終えるまで、雄略天皇以外はなにをした人物だったのか(歴史上の知識としての意味)思い出せませんでした。
 結局、解説冊子にある筆者の計にはまって……というより、いつものパターンで調べてみたら、野溝七生子『眉輪』が出てきて、やっと思い出しました。それだ!
 ところで、解説冊子には「作中では伏せた真実」とありましたが、記紀(『古事記』と『日本書紀』)の記述とした方が正確ではないかと思いました。記紀は日本最古の歴史書とされていますが、史実として鵜呑みにしてはいけない、とも言われているからです。
 また、眉輪王の変とあるように、眉輪は大王にあることをしたと記紀にあります。ですが、この点は「七歳の眉輪王にできそうもないこと」という意見があり、これに対する作者なりの回答には脱帽しました。


ななつほしよみ『楽土の幻』
 まさに、歴史の間隙を突いてきた物語。大きな事件が起こった後とさらに大きな事件(政変)が起きる間が舞台。前後が必ずと言っていいほど、歴史教科書に出てくるので、逆に強調される。地味ながらじつに美味しい部分を狙い撃ちした作品。
 序盤で鎌子の邸での一件、この時の天皇が誰であったかすらわからない(ちなみに舒明天皇。前代は推古天皇)。読んでいけば、どんどん有名な名前が出て来るので鎌子が誰であるかも、兄弟がそれぞれ何者かも判明してくる。
 名についての発想は、歴史よりも日本語が好きな人じゃないと思いつかないのではないか、と思った。
 ざっと調べてみたのだけど、作中での表記はやはり見当たらなかった。
 もう本当にこの期間は、これほど面白い要素が詰まっていたのかと思うと、それを知らずにいたのかと思うと……だんだん!(地団駄)

 地理的な舞台が飛鳥、斑鳩、つまり法隆寺の近辺なので、なんとなくイメージができます。この時代の都は、条坊がなく「これ」と言った明確な設計思想がなかったはずなので、鎌子や史、真人らがいる邸もどことなく開放的なイメージを抱きました。次の藤原京で条坊を持った都が作られ、この形式が平安京で確立される以前の時代です。
 この話で語られていることは、以降日本史とは切っても切り離せない部分であり、この後の朝廷や天皇が背景にあるお話しに対する期待感も抱かされました。
 ちなみに、この直前に起きた事件が蘇我氏による聖徳太子の子である山背皇子殺害事件で、直後に起きるのが中大兄皇子天智天皇)を筆頭とした蘇我氏の一掃と政治改革、すなわち大化の改新です。


唐橋史『袈裟を着た人』
 奈良時代東大寺大仏開眼を控えた平城京が舞台。平安京でさえそうであったように、河原や草原がそこかしこにある。都という言葉は印象が強いため、こうした情景を伝えるのは非常に難しいのだけど、きらびやかさは無縁な社会の底辺が良く伝わってきた。
 ただ、そうした過去の習俗を肌身で知る資料としては優れているのだけれど、物語としてはパーツが上手く噛み合っていない感じが最後まで残った。解説とあとがきを読んでみたところ、モデルにした『日本霊異記』に出てくる象牙の杓と因果応報というテーマ縛りが強すぎるのではないか、と思った。
 この物語には一切の救いがない。
 主人公・猪麻呂の過去について少し語られる部分があるのだけど、こうした過去を持つ人物なら、その点も絡めないと因果応報というテーマは貫けないのではないだろうか。
 また、難読字や歴史的仮名遣いや言葉遣いを用いているのだけど、一ヶ所だけ猪麻呂が現代語で「早く、早く、進め!」と叫ぶ部分があった。このとき人間味が表れ、それまでの悪行や人々の勝手な妄信がより肉厚なものになったと思う。それまでの書き方にあわせるなら「疾く、疾く、行け!」となるはずだから。
 これが意図的なものだとしたら、猪麻呂に対する親近感が抱かせる表現なので、老婆の存在感は俄然大きなものとなる。さらに、当時の風習と世情を絡めた豪雨のシーンとも、繋がりが強くなる。というより、実際強くなっていたののだけど、公卿の登場によってすべてが断ち切れてしまった。はっきり申し上げるが興ざめだった。少しネタバレになるが、あの鉢の行方だけでも書いてくれれば違ったのに、と思った。
 この結果、題名の「袈裟を着た人」が結局のところ、誰を指すのか不明確になってしまって、悪い意味で読者を迷わせ、物語としての一貫性に欠けているのは残念でならなかった(『さんたるちあによる十三の福音』を読んでいるので)。

 わりと、酷評してしまいましたが、読み応えは十分あります。そもそも本のサブタイトルが「すごくあたらしい歴史教科書」なので、教科書的ともとれる書き方はマッチしているのかもしれません。
 冊子に書いてある原案として用いた『日本霊異記』の記述にあった象牙の勺というキーアイテムに囚われすぎてしまったのではないか、と邪推しました。 また、この時代は、手塚治虫火の鳥鳳凰編』と同時代なんですよね。猪麻呂の立ち位置は、我王に近いため、上記のような感想になってしまったということもあります。
 個人的にはこれより少し後、連続遷都が行われた辺り、特に恭仁京に惹かれるものがあります。


・中古編(平安時代

たまきこう『闇衣』
 とても穏やかな筆致でひとの温もりすら感じさせる文章と人物の描き方と、極めて陰湿で暗鬱な時代背景をあえて強調せず、対比ではなく相対させることで、闇の存在を際立たせていた。
 舞台は平安時代の劈頭。長岡京の災厄を経てようやく平安京が都として定まった頃に起きた天皇家と藤原家に、その後多大な影響を与えることになる薬子の変。歴史に名を残した人物は数あれど、この規模の政変で名のみ伝えられている人物は少ないと思う。
 解説冊子と併せて見てみると、確かに薬子の人となりや平城天皇(後に平城上皇)についての記述はほとんど残っていない。それらも、大抵後ろに「と言われる」が着くので、アテにならない。
 話を戻すと、内戦レベルの紛争を描いた話なのだけど、薬子の語り口が伝えるという姿勢を崩さず、喜びも哀しみも口惜しさもさざなみのように表れては、消えて流れていく。
 はっきり言って暗いテーマの暗い話なのだが、優しさを感じたのはなぜだろうか。
 あと、高位の女官である薬子の対比として、すずという若く身分の低い女官との会話は、人物を人間として身近に感じさせられた。それは、すずが噂や身分の差などで隠されてしまう相手本来の姿を垣間見たからで、読者はこの視点を通して薬子の姿を見たのだと思う。
 文句なしの傑作。

 おおよそ、世間に敷衍している薬子の印象を覆し、2003年に一部の教科書(高等学校日本史)で「薬子の変」が「平城太上天皇の変」という表記に改められるなどといった例にあるように、この事件そのものへの見方を変えるに十分な作品であると思います。
 薬子の変平城太上天皇の変)がその後の時代に与えた最大の影響は、藤原氏の台頭に関わってきます。
 具体的には、藤原不比等から四つに分かれた藤原四家(南家、北家、式家、京家)のうち、当時権勢を誇った式家の没落と北家の権力基盤作り。この藤原北家は後に兼家、道長と他家の追随を許さぬほどの権勢を誇り、その後武士の時代になっても朝廷内に長く長く根を下ろす家です。
 天皇家の人間を担いだ藤原氏の代理戦争という見方もあり、結果的に北家は形勢逆転で藤原氏内での立場を不動のものとし、式家はおちぶれていきます。
 この時代の史料がほとんど残っていないのも、北家が手を回したと考えれば合点はいきますね。そして、その藤原北家もその中で激しい権力闘争を繰り広げ、多くの公家が巻き込まれるのですが、それはまた先のこと。
 『楽土の幻』で描かれていた藤原家のルーツから、奈良時代の混乱(『袈裟を着た人』)を経て出てきましたね(約一五〇年ほど)。なお、『袈裟を着た人』の時代は、相当に混乱し困窮していた時代で、上も下も生きるか死ぬかの時代だったりします。



斎藤流軌『賭射《のりゆみ》』

 序盤が取っつきにくく感じたのだけど、読んでいくと読みやすくなっていき、半ば以降はテンポ良く話が進む。序破急の展開で、後半は流れる様に進みあっという間に終わる。この幕の降ろしかたが非常に心地良い。いっそ酒を呑みながら読めば良かった。きっとこの幕は、手動式でやたらと重いに違いない(上げるのは大変で時間がかかるものの、スムーズに下ろせる)。
 葛井親王桓武天皇の第十二皇子。母親は坂上田村麻呂の娘)は、この話ではじめて知った皇族で、こうした血統の人物を主役に据えたことは「教科書の教えない日本史」という点では、白眉だと思った。
 ただ、管弦のくだりは、糸物なら琴ではなくせめて琵琶にして欲しかった。相手は笏拍子(要するに紐のない拍子木)なので、この二つの音合わせが想像するのが極めて難しい。演奏がどんどん加速していくという展開なので、琴だとどうしても想像しにくい。というより、無茶振りだと思う。
 しかし、解説を読まなくても本文だけ読んでいれば、鬼の正体は自ずとわかるのは、素晴らしい仕掛けだった。最初に語られる葛井親王の出自、鬼が所望した物、最後に残っていた物、この三つを踏まえれば知識がなどなくても十分読み取れるので、こうしたギャップがなければ読了後の印象は大きく変わったと思う。

 話の舞台は太宰府なのですが、葛井親王は太宰師《だざいのそち》として赴任するところから物語ははじまります。しかし、平安時代太宰府と聞いてまず思い浮かべるのは左遷の地でしょう。少し調べてみたところ、平安時代になって太宰府の長官である太宰師は、親王が任命されるものの実際は現地に赴くことは稀な例だったことが判明しました。
 これは歴史の知識が多少あっても、調べないとまずわかりません。大学の史学科でも選考している時代が違えば知らないレベルじゃないのでしょうか。そのため、葛井親王を知る以前に、混乱と謎を作ってしまいます。太宰府は、学校の歴史教育及び国語教育(古典)で菅原道真公左遷の地として、強調されていることもあります。
 教えてません。疑問を増やしているだけです。
 これは、作者の斎藤流軌さんがあとがきで「誰も知らない歴史、教えます――」というキャッチコピーを引き合いに出していたため、あえて突っ込ませて貰いました。
 ところで、各作者は自由に題材を選んでいるにもかかわらず、関連性が表れるところにもあると思う。『楽土の幻(藤原不比等)』、『闇衣(薬子の変)』、『賭射(葛井親王)』の三つは、藤原氏坂上田村麻呂という共通項を持ち合わせています。
 歴史は複数の誰かによって残された過去帳ですが、それでも過去と現在=その時は繋がっているという事実を示しているようでした。
 ちなみに、このお話しは『鬼の橋』という児童文学を読んでいると、さらに楽しめます。


翁納葵『祈りの焔立つ時〜俊寛異聞〜』
 仏教的な視点からすると、という枕詞を置いた上で、日本における罪と罰の捉え方、因果応報、代償と救済……そういったものがどう現れるのかを描き出した作品。
 しかし、俊寛についてろくすっぽ知らないので、話しについて行けなかった感は否めない。

 時代は一気に二二〇年近く飛んで、『平家物語』の時代に突入します。
 俊寛ありき、で物語が作られているため、俊寛を知らないとどうにもなりません。鹿ヶ谷事件は、平清盛後白河法皇などが関わってくるのですが、終始視点が特定の主観なので、当然ながら視野が限られます。
 ここまで読んできた中で、時代の繋がりを見出せませんでした。
 仏教的にはうんぬんというのは、仏教大学の図書館に勤めていたことがあるので、捉え方や考え方はおおよそながらわかるのです。ですから、そういう眼鏡をかけて見れば変わってくるのですが、それ以外の読み方は私にはできませんでした。


緑川出口『おやこ六弥太』
 小平六と六弥太のやり取り自体と、徐々に見えてくる二人の背景は面白いのだけど、あまりにも周辺事情を置き去りにしているのが残念。平清盛が世を去り、公家社会から武家社会へ移り変わりつつある時代。その後より強くなる「一族の血を絶やすわけにはいかない」という意識は、このお話しでは飛鳥時代の豪族のそれに近い感じがした。だからこそ、祈祷やら儀式やらを行った云々の部分が面白いのだけど、背景を描いて欲しかった。
 この時代の武蔵国(東京と埼玉)を描く上で、しかも猪俣党が主役なのに、どうして武蔵七党についての言及がないのかが疑問だった。
 六弥太がさらっと流したように、平清盛の死より、それによる源氏の動向や隣接する多党(武蔵七党の他の六党)反応が気になるはず。


 猪俣党……つまり武蔵七党を出す場合、遡ると平将門まで辿り着きます。もっと遡ると氷川神社の地位確立まで行くのですが、それはさておきまして。
 この当時、七党と書いたように武蔵国(東京と埼玉)には、七つの武士団が存在しており、それぞれの勢力圏がありました。そして、この時代だと最も微妙なバランスで成り立っているので、党首たる一族の血を守ることには、一族内だけの問題では済まない重大なことなんですね。
 どこかの党内でのお家騒動なんぞあった日には、武蔵国全体のパワーバランスが崩れるほどのものなんです。この前提があってこそ、六弥太の伝承(これは知りませんでした)も生きてくるのではないでしょうか。


 この後の中世以降はこちらです。

*1:冗談で「予約konozamaになるかも」とツイートしたら実際そうなった(笑)、

麦酒夜宴第十夜

 麦酒夜宴 第10夜 specialに行ってきました。
 諸々の事情が被って、参加できたのはラスト2時間だけでしたが、腹八分と言いますし、十分楽しめました。
 会場は荻窪ルースター・ノースサイド(Rooster NorthSide)で、杉並公会堂が目印です。お店のサイトにある地図がいちばんわかりやすいです。

 手前のカウンター席でとりあえず呑んでいると、すでに出来上がっているひと達が気さくに乾杯を求めてきて、すんなり“入れた”のは嬉しかったですね。
 今回、友人知人が「主催者側にしかいない」という状況だったのですが、酒と音楽と会話を堪能してきました。あと、はじっこのテーブル席ではボドゲが盛り上がっていました。
 次は秋山くん(id:sinden)を引っ張っていったら、面白いかもしれない。彼ならほったらかしにしても大丈夫だし、初心者に優しいボドゲも持ってるだろうし。
 あ、だとしたら、私がまずミスボドに行くのが筋か。むーん。

 それはさておき。

 麦酒夜宴(第十夜)について、きわめて雑な表現を用いると。
 DJが流す音楽空間で、音楽を聴きながら酒を呑みつつ語らったり、酔った勢いに任せてライブ気分で音楽に乗ってみたり、酒を片手にボドゲをしたりする時間でした。
 
 酒、酒と書きましたが、その時間をどう楽しむかがポイントなので、酔っぱらいになる必要はありません。
 音楽が好きだけど、ライブハウスに行くほどでは……くらいのひとには、うってつけかも。
 もっとも私は今回の第十夜にしてようやくスケジュールが噛み合ったので、参加できたので過去の9回は良く知りません。ただ、第一夜から参加しているひとの話よれば、今回はライブハウスでの開催ではなかったこともあったのためか、後半になってもラウンジ風の良いまったり感がだったそうです。
 実際、居心地は良かったです。

 あと個人的に、月半ば辺りしかも土曜開催はありがたいですね。月末は予定が集中しやすいので、大体このくらいの時期だとスケジュールの調整がしやすいですね(同意見多数)。

 そんなこんなで、第十回にしてようやく参加できた麦酒夜宴でした。