ハイレゾ再生環境覚書

 前回の続きです。
 
 foobar2000を選択したのですが、その直後に「藤本健のDigital Audio Laboratory
第737回」を読んで、Sony | Music Centerを試してみました。
 

av.watch.impress.co.jp 

 設定をしていく中で「予想はしていたけど、ああ、やっぱり」と思ったのがこちらの画面です。

 

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 USB-DAC対応機器、ありません。
 Sonyじつにわかりやすい説明ページを設けているので、これからハイレゾを聴こうと考えている方は、Music Centerを使わなくともスピーカーの設定についてはたぶん他のサイトよりわかりやすいです。
 
 foobar2000導入時にスピーカー側の設定はしておいたので、まずはデフォルト設定とWASAPI排他で聞き比べてみます。
 
 うーむ、なんとなく、WASAPI排他の方がいいかな?
 
 そんなわけで、ひとまずWASAPI排他にしておくことにしました。
 Music Centerはウォークマンとの同期ソフトでもあるので、foobar2000より若干負荷が大きいのですが、その分安定して動きます。foobar2000は導入してからそれほど使っていないにもかかわらず、エラーを吐くことがあります。
 フリーウェアのSony製品なので、インターフェイスは当然日本語ですし、iThunesを使っていない/必要ない方ならハイレゾ再生まで視野に入れたとき、お勧めできるソフトではないかと思いました。
 私の場合、昔Sonic Stageを使っていたので、大体は勘でわかる部分がある、というのもありますが(苦笑)。
 
 図らずもここで、前回呈した疑問の解答が出ました。
 
 ハイレゾを十分に楽しむには、ハイレゾに対応した再生環境が必要である。
 
 これはもうスピーカーがどうのイヤホンやヘッドホンがどうのというお話しではなく、USB-DAC持ってこいってことです。少し突っ込んだ言い方をすると、オーディオインターフェイスやサウンドカード(っていまあえて増設するケースはあるのか?)が必要ってことですね。
 foobar2000について調べたときに、プラグインを導入して擬似的に再現するという方法を見つけたのですが、もとより安定性の低いソフトをさらに不安定にしかねないリスクがあるので、私はお勧めしません。
 
 さて、リトルグレイもどき……じゃなかったfoobar2000をアンインストールしようか。
 デフォルトでDAWっぽいスキンが選択できたり、シンプルにしようとすればとことんシンプルに出来るところなど気に入っていたところもあるんですけどね。
 
 ハイレゾの、いわゆる音の良さについては、USB-DACなどが揃ってなくとも上記の最低限の設定をすれば認識できます。
 
 かつて聴き専という言葉が「作る気もないのに、対応音源を本来の音で再生するためだけにハードシンセを買ってMIDIを聴く趣味人」を指したように、コンテンツが増えてくれば再生環境を整える動きは出て来ると思います。
 実際、二年ほど前から「ハイレゾ音源対応ノートPC」も売ってますしね。
 USB-DACにしても、数千円で買える世界ですから。
 これも恐ろしいほどに安くなりましたね。

 

sakidori.co

 

 でも、そこまで気にする人間ってどれくらいいるんだろう?
 ここは首を傾げずにはいられません。
 というのも、最も多い視聴環境であろう携帯プレーヤーが機能以前に容量的にハイレゾを聴くにはちょっと敷居が高いんですよね。
 
 それと、ファイル作成側の領域に立ち入ってしまいますが、FLACは楽曲情報(曲名、アーティスト名、作曲者、リリース年、アルバム名、ジャンルetc)を打ち込んでおく必要があります。
 なぜなら、mp3と異なり聴く側ではこの部分を直接いじれないからです。プレイヤーを介して楽曲のプロパティで変更することは可能と言えば可能ですが、Amazonのmp3やiThunsストア程度の情報を打ち込んでおく必要がありますね。
 CD由来のデータではないため、この辺の扱いが細かくならざる得ないと思います。
 意地悪な書き方ですが、ここでの扱い方で作品への愛情と手に取るひとのことを考えているか否かが試されると思います。

 

 ……本当に意地が悪いですね(ごめんなさい)。


  

ハイレゾ再生環境についてのメモ

 じわりじわりとハイレゾ音源が浸透してきているこの頃、みなさん如何お過ごしでしょうか。

 

 私自身ハイレゾ音源については若干抵抗感がありまして、理由は以下の二点です。
 「人間の耳ってそこまで性能が良いのかしらん?」という疑問と「相応の再生環境が必要になるのでわ?」という不安。
 この二点です。

 前者に関しては、先入観が強く作用しやすいのと「実際に作っている人間は聞き分けられる」ということからして、その辺にちょいと置いておきます。
 そもそもこれは「CDよりも良い音質が未知の領域」であることも影響していると思います。サイバーパンク華やかなりし80年代風に書くと「未体験ゾーンへようこそ」なんですよね。
 同じひとが作った同じ楽曲で聞き比べれば、そりゃあ違いはわかるでしょうが、ハイレゾ一本に絞られた場合は、それで判断するしかありません。

 

 ここに絡んでくるのが二点目の不安です。

 

 私はPCの音楽再生環境にはそれなりに気を遣っていますが、ウーファーは配置していませんしオーディオインターフェイスも噛ましてません。スピーカーサイズも小さい方ですし、ヘッドホンもそこそこの品です。
 素人から見ればややお高めで、趣味人含む玄人から見れば安い環境だと思います。

 作詞をする分には支障がなく、「ここの音が聞こえないよ、なにやってんの!」とか「あー、低音に寄ってるよ」といった問題もないので現状維持していますが、ハイレゾ音源に対応できるかは甚だ疑問です。
 そもそもCDを再生したときだって、古いMDミニコンポのスピーカーの方が音が良いんですから。まあ、腐ってもオーディオ機器なので当然ですが。
 あと、これは個人的な好みですが、空間に響く音が好きなので、じつはあんまりヘッドホンを使うのが好きではないのです。それも完全な防音室などを求めるたちではなく、生活音などの雑音が多少あったくらいの方が自然でいい、というへんちくりんな人間なのです。
 だからmp3に変換してリッピングはしますが、結局のところお気に入りの音楽はCDを引っ張り出して、コンポに突っ込んで聴いています。自分が聴く程度の音量ならば、まずご近所迷惑は発生しません。ビバ田舎。というより、一軒挟んで目の前にある道路の存在や隣が駐車場という立地条件も関係していると思います。
 びっくりしたのは、集合住宅でもあんまり影響ないんですよね。単純に住人が少ないだけかもしれませんが。ザ・首都圏なのに田舎。

 

 えー、話が逸れましたが、そうした環境にいるので自宅で音楽を聴く場合、CDがあるものはなるべくCDで再生するようにしてきました。
 ここにきて「CDより音質の良いPCでの再生を前提とした音楽ファイル」が出てきたため、どうしよう? となってしまったわけです。
 音質がCDを上回るのに、再生環境が追いついていなかったら勿体ないじゃないですか。
 この先、HDDの大容量化と低価格化と同じことがSSDにも起きる可能性は十分ありますし、これによってリッピングの際に圧縮するということが「物量を持ち歩く以上に意味のない行為(音楽を聴くためではなく、音楽ライブラリを持ち運ぶためという意味)」となってしまったら、音楽再生環境の構成も見直さないとダメかなあ、と思ったわけです。
 翻って、いま現在の再生環境はハイレゾに対して十分なものか? という疑問が現れました。

 

 この辺は「どこまでこだわるか」ということにも繋がってくると思いますので、いまのところ結論を出すのは難しいでしょう。
 ただ、DL販売の敷居がぐんと下がったこの頃、ハイレゾ配信は拡大しても縮小はしないと思います。
 それでも通信速度やデバイスの性能向上に対して、いまひとつ動きが鈍いのは普及しているプレイヤーがハイレゾ非対応のため、聴く側の素地ができていないのでしょうね。

 たとえば、ハイレゾ音源と言えば大体「FLAC形式」ですが、このフォーマットはiThunesに対応していないため、iPadiPhoneとも相性がよろしくありません。
 普及率やiThune Storeの存在を考慮すると、「とっとと対応しろやAPPLE、いちいちALACに変換するのが面倒くさいんじゃ」という思いを抱いている人は少なくないかもしれません。

 

 Windowsの場合はVLCメディアプレイヤーで再生できるのですが、本来の主用途が映像再生なんですよね。
 それから、自分のようにWinampSonicStageSony)→iThunesといったプレイヤーを使ってきた人間からすると、もう少し音楽再生に特化したプレイヤーが欲しくなります。

 しかも、私は整理魔で図書館業務という仕事が半ば趣味と化していた人間なので、ファイルデータを細かく打ち込みます。大抵、ウェブ上から得た情報だと「全く足りない」ので自力で打ち込みます。それが楽しいので。
 よって、そういうことができないと愛着が沸かないという困った病気を発症します。

 

 まだまだハイレゾ音源が手元に少ない現状で、あえてそれだけのために新規にプレイヤーを導入するかとなると、あんまり食指が動きません。なお、私は現生人類なので触手は生えていません。

 

 FLACからALAC形式に変換することで、iThunesでハイレゾ音源を再生する方法もあるのですが、これについても「そこまでする必要があるんかなあ。もうCDでいいじゃん」という面倒くさがり屋がささやきかけてきます。
 これには元ファイルを保持すると、容量が二倍に増大し管理の手間も増えるというデメリットも存在します。
 同じ品質のものならフォーマットを統一する、ということは重要ですね。

 

 てなわけで、MediaMonkeyのフリー版を試しに入れてみたのですが、これiPhoneを接続すると自動起動するんですよねえ。そして、プレイヤー側のそれらしき設定を解除しても解決せず、調べてみたら「レジストリを 書き換える」などという不穏な言葉が出てきたので、アンインストールしました。

 iThunes万歳ではないのですが、ユーザーの意思が反映されないソフトウェアって大嫌いなのです。機械任せにするのなら、最初にその判断をこちらに選ばせるべき、というのが個人的な主義です。

 とすると、foobar2000を検討しますかねえ。

 

 なお、現状でiThunesは限界まで軽量化措置を施してあり、アップデートの際もパッケージを解凍ソフトで展開してiThunes本体のみをインストールするようにしてます。この方法は、余計なものを後から消すより楽です。

 古い記事ですが以下参考。

 歌うキツネ : Windows版 iTunes 12 を最小構成でインストールする

  

 とりあえず、メモ代わりに。

 

 8月29日追記

 アイコンがリトルグレイみたいなfoobar2000を導入してみました。

  日本語化パッチを適応させたのですが、なぜか反映されません。
 もっとも、プレイヤーとして使う分には英語でも問題ないので、しばらくこのまま使ってみるつもりです。当面は、FLAC専用プレイヤーかな。

 ところで、このプレイヤー「すごくwinampっぽい」です(笑)


 あと、ハイレゾ音源については「貧弱な視聴環境でも、音源の高音質によって聴かせる」狙いもあるのかな? ということに気づきました。
 高級魚を食べるのに高級な皿や箸を用意する必要がないように、あえて視聴環境を整えなくとも十分良い音が聴けるようにするための高音質という側面もあるのかなあ、などと思いました。
 実際、どうなのかはわかりませんよ。
 ポータブルデバイスにしても高品質のイヤホンを求めるひとはいるでしょうし、私みたいにポータブルだからと割り切ってあり合わせのものを使うひともいると思います。そのくせ、イヤホンジャックの性能がiPodの方がいいからとiPhone導入以降も頑なに使い続けていますが。

 このイヤホンについての割り切りっぷりが我ながらひどくて、カナル型だと耳が疲れてしまうということも相まって、AppleOEM生産品のイヤホンを使い続けていました。ぶっちゃけ安物なので、安物な音質でした。

 現在使っているはなにかに付属していたSonyのイヤホンで、間に合わせのつもりで繋いでみたら悪い冗談のように良い音を発したのでびびりました。新たに買う必要がなくなるほどで、なんでこれを放置していたのか謎です。
 

 

 

本棚にSFコーナーを作ろうとした直後に挫折した話

 自室の本棚は、基本的に版型で分けているのですが、ふとSF棚を作ってみようと思い立ち、四冊の本を手に取った直後に挫折しました。

 アン・マキャフリー『歌う船』創元SF文庫(文庫)
 佐藤大輔地球連邦の興亡徳間書店(新書)
 イアン・ワトスンオルガスマシンコアマガジン(四六判)
 『戦闘妖精・雪風~解析マニュアル』早川書房(A4版)

 

 そして、私は著者順に並べています。

 

 もうおわかりかと思いますが、これで著者順に並べた場合、すさまじい凸凹ができあがってしますことになります。

 無理! そんなの入らないから!

 いまですら溢れそうなのに!

 

 文庫のみでSF棚を形成しようすると、やっぱり一ヶ所に納まらないということになります。納まる場所はあるにはあるのですが、しょっちゅう手に取る本が取り出しにくくなるので、結局現状維持という結論に至りました。

 ちなみに、国内作家と海外作家を分けているため、運良くハヤカワと創元で「ほとんどSF棚」があるので、いまさら感があったこともあります。

 

 

 

 

はじめてのハヤカワ文庫フェア『戦闘妖精・雪風』に寄せて

承前

 早川書房さんが六月二日より開催している「早川書房フォロワー5万人が選ぶ! はじめてのハヤカワ文庫フェア」において、神林長平先生の『戦闘妖精・雪風』の帯に私が書いた推薦文が採用されました。

 当時は「Twitterフォロワー5万人突破記念」と題して、「あなたが『最初のハヤカワ文庫』を人におすすめするなら、どの作品ですか…?」という主旨で「#早川書房5万」というハッシュタグを使ったごく単純な推薦アンケートでした。
 この際に、早川書房公式アカウントがリツイートをすることはあっても、こうしたフェアがあるということは知らされていませんでした。少なくとも、私は全く知らずに『戦闘妖精・雪風』を薦めるツイートを書いただけです。ちなみに、当時は特に反応が無かったので、「ですよねー」と思ってました(笑)。

 神林長平先生の、しかもあの『戦闘妖精・雪風』の帯に自分の文章が掲載されることは、後にも先にもこれが最初で最後でしょう。一期一会を噛みしめつつ、読者献本は保存用として保管し、戴いたブックカバーは有難く活用しております。

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 このような感じです。

 アカウント名は無記名も選択できたのですが、文責という意味合いを込めて記名に同意しました。
 相変わらず、こういうところはお堅い私です。
 もっとも、黒子として文章を書いてン年が経過していることもあり、自分自身の名を出す必要があるかないかで判断するようになっていることもあります。

 それはさておきまして、ブログならではの長文で、『戦闘妖精・雪風』との出会いについて書いてみたいと思います。ちなみに、この承前の文章、下記の本文を書いてから説明がないことに気づいて後から書いたものだったりします(苦笑)。

 

 その名は「雪風

  はたして、あの時の自分が中学生だったのか高校生だったのか、よく覚えていない。夏か冬かも覚えていないが、その名をはじめて知ったのはコミケ会場だった。
 コミケには中学二年くらいから友人の誘いで行くようになり、その後M3やコミティアと行動範囲は拡大していったのだが、それはまあさておいておこう。
 あの頃、十代の自分にとってのコミケというイベントは「TVでも漫画でも見たことのない素敵なメカが描かれた本を売っているお祭りみたいな場所」という認識だった。
 冗談ではない、本当である。
 実際、オリジナルのメカ本は多くあって、その中でジャンルは多岐に渡った。必然的に、そうしたメカや特撮、ミリタリー、SF関係の同人誌を扱ったブースを多く回って、二次創作と知るやサークルの人に知らないロボットのことを聞いたり(ガーランドとかゼオライマーとかレガシアムとか)、「アートミックってなんですか?」などと無知丸出しの質問を投げかけていた。
 困ったガキである。
 そんな時、あるブースに飾られていたジェット戦闘機の模型が目に留まった。あのサイズなら、おそらく1/144であろう。当時の印象は良く覚えている。

「なんだろう? このF-14F-15の合わせたような格好良い戦闘機は?」

 F-15Eを知らなかったこともあるが、機首やエアインテーク周りの形状とミサイルの取りつけ位置からF-14を想起したのだと思う。

 

 双発複座、クリップドデルタの主翼カナード水平尾翼のスリーサーフィス、双垂直尾翼ベントラルフィンにベクターノズル、機首に小さく雪風の文字。

 

 そんな言葉は当時は知らないのでF-15F-14かと思いながらも、なんだこいつは? の一言に尽きた。
 携帯電話なんか持っていないから、サークルの人にお願いしてじっくり見させてもらった後、ただひと言聞いた。

 

「この戦闘機はなんですか?」
「ああ。これは『戦闘妖精・雪風』という小説に出てくる雪風という戦闘偵察機フルスクラッチで作ったんですよ」

 

 その人は、スーパーシルフともシルフィードとも言わなかった。
 ただ、「雪風」と言った。

 しかも、私がある程度、模型についての知識を持っていることを知った上での発言なので、フルスクラッチという言葉が出ているが、雪風については端的かつ正確に戦闘偵察機としか言っていない。

 

 端的でありながら淡泊ではなく、要点を正確に押さえた言葉。

 

 私はその時、フェアリィ星人に会ったのかもしれない。あるいは、FAF広報部コミケット特派員だったのかも。

 さて、この結果どういうことになったかと言えば、雪風の存在はその模型のシルエットとともにあり続けた。
 残念ながら、ハヤカワ文庫や創元SF文庫に手を出すのは二十代になってからのことで、十代の頃は本屋の棚から消滅寸前の朝日ソノラマを好んで読んでいた。というより、もうあちこちで姿を消し始めていた。
 そもそも架空戦記からSFへ移行していったので、必然的に徳間や中央公論が並ぶ棚をさまよっていた。航空小説も大好きだったので、集英社講談社、光文社辺りの棚をうろついており、なかなか早川書房の棚に辿り着けなった。


戦闘妖精との邂逅

 きっかけは些細なことだった。
 時折、読んでいる作品の中に出て来るSFの名著の数々がわからない。読んだことがない。どこにある、と探した。そして、ハヤカワ文庫に辿り着いた。

 Twitterにも書いたが、最初に読んだハヤカワ文庫は、PKディックだったのか、ティプトリーだったのか、はたまたハインラインだったのか……「(苦笑いで)覚えてない」と答えるしかない。
 ただ、最初に読んだ神林長平作品は『戦闘妖精・雪風』である。
 時期としては、OVAが発売される直前くらいだろうか。
 表紙のスーパシルフ・雪風横山宏版から長谷川正治版になり、『戦闘妖精・雪風〈改〉』として再版された頃である。
 あれだけ思わせぶりなことを書いておいて申し訳ないが、ここに至るまでの間が全くの空白で存在すら忘れていたのである。
 しかし、当時の記憶はしっかり残っていて、読んでいる間に脳裏を飛翔していたのは、あの時見た模型をそのまま実機にしたような雪風だった。
 特に「フェアリィ・冬」のラストではこのイメージが強く、「浮け、雪風」のシーンで『レドームが突き抜けた空間』は、“どの視点”から見てもあの雪風以外に考えられない。
 これは、後にOVAで動的な絵として強烈な印象を焼きつけられた山下いくと版スーパーシルフが現れてもなお揺るぎない。その代わり、FRX-99(レイフ)と次の『グッドラック 戦闘妖精・雪風』で出てくる特殊戦七番機ランヴァボンは、山下版スーパーシルフになっているが。

 そこにあったのはまさしく「端的でありながら淡泊ではなく、要点を正確に押さえた言葉の群れ」に他ならなかった。

 いまに至るまで、何度も何度も読み返している。最も多く読んでいる神林作品であり、最も多く読んでいるハヤカワ文庫である。
 この特徴的な文体がその後、ファンの間で神林言語と呼ばれていることを知るのだが、実のところ「それがどうした」というブーメラン戦士じみた不遜なひと言が私の回答でもある。
 『雪風』は『雪風』ではないか、と。

 

対比意識

 『戦闘妖精・雪風』においては、様々な地球製コンピュータが機械知性体と総称されることがある。地球製とあるのは、フェアリィ星は物語の舞台であると同時に地球人類であるFAF(フェアリィ空軍)と謎の異星体ジャムとの戦場でもあるためである。

 地球製とは言うが、正確には人類製(対義語はジャム製)とした方が適当なのかもしれない。
 この世界において、仮にフェアリィ製なるものがあるとしたら、それはFAFの人間が作ったものではないか、と思うからだ。

 通路と呼ばれる超空間通路によって、地球の南極がフェアリィ星に接続されてしまった世界。人類は初期の抵抗でジャムを通路の向こう側にあるフェアリィ星に押し込み、基地を築き地球への侵攻を阻んでいる。それから三十年、ジャムとの戦いは続いている。
 これが『戦闘妖精・雪風』の物語の背景だが、三十年も経てばフェアリィ星での出来事は地球の人々にとって対岸の火事になってしまう。
 『戦闘妖精・雪風』の序章にある架空の書籍『ジ・インベーダー』において、「いつの時代のものでもよい、世界地図を広げたとき、そのどこにも戦争、紛争、対立の示されていない世界地図など例外中の例外である」とこの本の著者リン・ジャクスン(『雪風』の登場人物)は書いている。そして、それは『雪風』が最初に発行された当時の冷戦構造下にあった世界情勢を暗に示しているのだと思う。
 ちなみに、この見解は2002年に発行された『戦闘妖精・雪風解析マニュアル』(早川書房)に掲載された東浩紀のコラムにも書いてあるが、私の見解は少し異なっている。『グッドラック 戦闘妖精・雪風』が刊行された当時も冷戦構造というわかりやすい対立がなくなっただけで、リン・ジャクスンの言葉に込められていた『戦闘妖精・雪風』の背景に潜んでいるものは、『グッドラック 戦闘妖精・雪風』でも変わっていないと思う。
 むしろ、前述したように「世界のあちこちで紛争や対立が絶えないのに、そうしたいさかいとは無縁な場所においては対岸の火事と化している」という警鐘を『戦士の休暇(グッドラック収録)』で鳴らしているように思えてならない。

 とまれ、『戦闘妖精・雪風』を読んでいると こうした現実の合わせ鏡を見ているような思いに駆られることはある。また、人間と機械、受容と拒絶、共生と対立、生と死、理解し合おうとすることと理解し得ないもの、といった対比が多く出てくるし、読んでいるうちにそうした対比を意識することが多々ある。

 対比と言えば、帯に採用された一文は、漢字とひらがなが混在している。

 ほとんど無意識だったのだが、この一文をそのまま使うことで対比の意識を含めることができると気づかされ、早川書房のセンスに「さすが」と思った。
 連絡を受けた際に修正しようかと悩んだ末、このまま使ってもらうことにしたのは、おそらく当時の自分が無意識のうちに漢字とひらがなの混在をそのままにしたのだろう、と考えたからだった。
 『戦闘妖精・雪風』という作品には、そう思わされてしまうところもある。面白い。


妖精の虚像

 そもそも「ハヤカワ文庫で誰かに最初に薦めるとしたら何か?」というお題に対して、『たったひとつの冴えたやりかた』でも『冷たい方程式』でも『夏への扉』でも『華氏四五一度』でも『MOUSE(マウス)』でも『スワロウテイル』でもなく『戦闘妖精・雪風』が思い浮かんだのは、空戦ものとして読んでしまっても良いし、人間模様を読み込んでも良いし、物語全体を捉えて思考にふけるのも良い……そういう多様な読み方が出来ると思ったからだった。
 そして、そういう多様な読み方を年月の経過とともに、読んだ人が自分の中でできると思ったからだった。

 読みやすさという部分も当然考えていて、『戦闘妖精・雪風』は短編の集合体が結果として長編になっている小説なので、一気に読まなくとも良いという部分も大きかった。

 本に限らず、ある作品を誰かに薦めるという行為は、きわめて難しいことだと思っている。
 単純に気に入ったものを「これ面白かったよー」と報告と共感を求めて、話題に出すなら細かいことは考えなくてもいい。相手が興味を抱いてくれればしめたものだし、共感が得られなければそれまでだからだ。

 しかし、本気で作品を薦めるとなると、相手が誰であれ難易度はぐんと上がる。
 どの作品を、なんと言って、どう薦めるか。
 猛烈に悩む。

 大体からして、感想を書くのだって難しいのである。
 もっとも、感想については「自分が恥ずかしくなければ、思いの丈をぶちまければ良い」と思っているのだけど、その思いをどう言葉にするかが難しいのである。

 そういった自分自身の内心の葛藤も含めた上で、『戦闘妖精・雪風』についての言葉は簡潔に出てきた。そして、その事にあまり驚かなかった。もっとも、早川書房から連絡が来たときは仰天したが。
 いきなり操縦席に放り込まれて、目の前のディスプレイでやり取りを始めたような心地だった。

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 この画像はTwitterで告知するからには、少しは宣伝らしくしようと思って作ったものだが、連絡を受けた私自身の心象風景でもある。

 『戦闘妖精・雪風』シリーズは、現在『戦闘妖精・雪風〈改〉』、『グッドラック 戦闘妖精・雪風』、『アンブロークンアロー 戦闘妖精・雪風』が全てハヤカワ文庫(ハヤカワJA)から刊行されている。どれも好きだが何度も読み返してしまうのは、やはり『戦闘妖精・雪風〈改〉』である。


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  この『雪風』を読むとき、私の脳裏にはいつもあの時見た模型そのままの実機がフェアリィ星の空を飛んでいる。

 

※文中、一部敬称略とさせていただきました。


 

www.hayakawa-online.co.jp

はじめてのハヤカワ文庫フェア (詳細)

 

はてなブログに移行しました。

はてなダイアリーからはてなブログ

 正直、ブログに関しては「もうなくても良いかもしれない」くらいに思っていました。いまのところあえて削除する必然性も見当たらないので、現状維持という名の放置状態のままにしていた、というのが本当のところです。
 サイトの方は存在そのものに意味があるのと、最近「私の情報を更新しないまま、過去の私の情報で第三者に話すひと」がいることを知り、頭を抱える事態がありAboutを修正しました。


 これも最近のことなのですが、「相手の考えを変えるより自分のやりかた変えた方が早いし楽(ただし、相手に考えをあらためて貰う必要がある場合は除く)」という思考に至りました。

 上記の問題ついては、サイトなりTwitter(目につきやすい)のプロフィールをちゃんと書いておけば、どっちが正しいかは一目瞭然ですよね。実際に会う場合は、私本人が話せば良いわけですし。
 というわけで、比較的緩めに──有り体に言えばいい加減に──書いていたAbout部分もそれなりに真面目に書き直したのでした。この名義でやってないことも絡めて書いたため、いわゆるお仕事履歴は書いてないんですけどね。
 これは、あのサイトに関してはプライベート寄りにしておきたい、という思いがあります。
 もっとも、インターネットという場に公開している以上、ある程度の公共性を帯びることは避けられないですけども。
 心持ちの問題です。

 

 そもそもなぜこの時期に移行したのか

  文芸同人界隈(正確には文芸に留まらない)でなにかと縁のある秋山真琴くんが「ありがとうダイアリー、よろしくブログ - 雲上四季」という記事を書いてまして、有料サービスの終了がはじまったことを知りました。
 これは、遠からずはてなダイアリーのサービスそのものが終了する可能性が出てきたのではあるまいか?
 実際問題としては、その時に考えれば良いですが、当面はサイトの維持が必要と判明し、移転作業に思いのほか手間取ったため、こちらも移転してしまおうと思った次第です。
 サービスが終了したら終了したで、「まあ仕方ないね」と流すのもありかと思ったのですが、ここでひねくれ者根性が顔を出しました。

 自分の意志で削除するのは構わないが、「サービス終了のお知らせ」で削除されてしまうのは気に入らない。

 それでも割り切らないといけないことはあるのですが、現状で選択肢があって、しかもその選択肢を先送りできる手段があるのなら、選んだ方がイイデショ? みたいなささやきに従ってみました。
 ささやきの主が天使なのか、悪魔なのか、ジャム*1なのか、ゴースト*2なのかはわかりませんが(苦笑)。

 

移行してみて

 ぶっちゃけ、はてなダイアリーに慣れていると「UIが使いにくい」の一言に尽きます。

 中でも、画像のアップロード機能周りがイマイチ……と思ったのですが*3
 画面解像度の向上に伴って、ブログに画像をアップすると主張がすさまじいのです。
 これは、どういう画像をアップするか、そも画像を掲載する目的は何か、によって変わってくる部分です。
 そこで閲覧者の立場に移動してみると、あえて必要がなければ文字だけで“も”いいじゃん、という結論に至りました。
 結局ここも心持ち次第だなあ、と一時は不満を抱いたものの思い直しました。


 今後どこまでブログを活用していくのか?
 ある日突然「ブログは終了しました」とサイトに書く日が来るのではないのか?


 こうした疑問が自分の中にある時点で、気にするほどのことでもないかー、となりました。


はてなだったわけ

 ついでに舞台裏のお話を一つ。
 もともと、はてなダイアリーを使おうと思ったのは、その当時はてなキーワードの利便性が高かったからです。これのいいところは、記事を書いている人にとっては周知の事実でも読んでいる側からすれば「なんぞ?」と首を傾げてしまう単語をブログ側の機能で補えるところにありました。
 しかし、近年はキーワードを編集する人が少なくなってきて、あんまり役に立ってないという思いを抱いていたからです(私自身も久しく書いていません)。それに、私の場合は自力で調べた方が早いからです。

 あんたといっしょにするな。


 もちろん、承知しております。
 大体からして、私が書く内容で補う必要のある言葉は、極度に専門性が高いか(大抵は図書館関連か模型関連)、ニッチな趣味(何とは言いませんが)だったりするので、どのみち補註を書くことになるからです。
 あとは、端から「わかる人だけわかっていただければ良いです」と思っている内容、つまり読者層を限定しているケースですね。
 サポート対象外です、と言われるケースですね(なんと嫌なたとえだろう!)。


とりあえずのブログの立ち位置

 サイトトップに書くには情報量が多すぎる事柄や逆にサイトトップに書くほどのことでもない徒然、機会と余裕があれば音楽や本のレビュー、模型雑記などを掲載する場所としたいと考えています。
 あと、万が一サイトを更新できなくったときの避難所としての使うことですね。
 正直なところ、古い記事はとことん古いので恥ずかしいのですが、アーカイブの存在が信頼性に繋がることはありますからね。
 これは、自分自身が実感していることなので、いまのところは残しておきます。
 

 

 

*1:神林長平戦闘妖精・雪風』(ハヤカワ文庫)に出てくる異星体の名前。

*2:士郎正宗攻殻機動隊』(講談社)に出てくる概念

*3:見たままモードだとなぜか横長の写真が自動で縦長になる