霜月りつ『本屋のワラシさま』ハヤカワ文庫

 

本屋のワラシさま (ハヤカワ文庫JA)

本屋のワラシさま (ハヤカワ文庫JA)

 

「────その本はまだ置いておくとよいぞ」
 子供の声がした。はっとして声のしたほうに目をやって、
「うわあっ!」
 思わず叫んだ。レジ台の上に、今さっき片付けた筈の人形が座っていたからだ。
「失礼なやつだな。おれのような愛らしい童女を見て、うわあ、とは」
 人形は座ったまま赤い唇を開いた。いや、人形ではない。人形に衣装や髪型がそっくりの女の子だ。
「な、な、な、き、……だ、」
「なんだきみはだれだ、と言いたいのか?」
 少女は首を傾げる。真っ黒な髪がサラリと肩の上を滑った。啓はあごをコクコク引いてうなずいた。
「おれはワラシ。この水谷書店の座敷童ぞ。大切にするがよい」

 

   霜月りつ『本屋のワラシさま』ハヤカワ文庫 

 

 怪奇不思議や妖怪変化と古書店の組み合わせは数多くありますが、これは個人経営の書店に居着く座敷童と元大型書店の店員のお話しです。

 主人公の啓は以前の職場でのトラブルから、対人恐怖症を煩い本を読むことができなくなってしまった経験を持つ青年です。どちらも完治とは行かないまでも回復してきたため、入院した伯父に店主代理として一時的に店を任されることになります。ひとまず、過去の経験を頼りに──つまりは大型書店の価値基準でもって──棚整理を始めようとしたところ、レジ台の上に置いてあった人形が突然動き出ししゃべり出し……というのが引用した部分です。

 しかも、店主にしか見る(動いている姿を感知する)ことができないので、臨時とは言え店主代理となった啓はいきなり見えてしまい戸惑うばかり、というわけです。

 江戸時代の貸本屋の時分から守り神として、本屋に居着く座敷童。物言いは率直で、態度は傲岸不遜。暇があれば本を読んでいる。まあ、私なら惚れますな。

 1話完結型の短編を繋いでいって長編の体を成すかたちで、区切りよく読めてかつ全体の時間が進んでいきます。なんとなく続きが出そうな雰囲気がある本ですが、この1巻で完結します。

 実際、このフォーマットで何話も書けそうな気がしたのですが、この1冊で啓の抱えていた問題が解決するので(解決しないと話にならない)、ここでばしっと締めたのは潔いと思いました。物語としても美しい終わり方です。ぐっじょぶ!

 私のお気に入りは「三冊目 ローダンを待ちながら」ですね。本に対する思い入れを抱く人間の心境をわかっているなぁと思いますし、実はこのエピソードだけ話の大筋にワラシが干渉しないのです。ブックアドバイザーとしての能力は発揮しますが、それもたったひと言の助言のみ。

 その後は、ぜーんぶ人の行動と本との出会いによる偶然によるものです。

 あと、啓とワラシの関係が近しくなってきて、思わず「ふふっ」と笑ってしまうような場面が多々あります。

 啓がどうして今のようになってしまったのかも一つの問題に思われていたことが様々な要素が絡まった末のことだったりして、1冊を通しての大筋も面白いです。

 そうした啓の内面の変化に同調しているのか、元図書課員で本はなるべく書店で手に取って買いたい私としては、一冊目の彼にはイラッとする部分が多々ありました。また、それとは別に一冊目(一話)に関わるエピソードが個人的な経験に拠りすぎていて、ちょっと押し付けがましく感じます。人によっては四冊目(四話)で引っかかる率が高いかもしれません。

 つまり、良くも悪くも読者の感情を揺さぶる本であり、本が好きな人にお勧めできる一冊なのです。

 

 以下は余談なのですが、この本を手に入れるのには結構苦労しました。

 出先で唐突に読みたくなり、「確か刊行した頃にあの書店にあったよな」と立ち寄ってみたら、見事に売り切れ(当たり前だ、馬鹿者め)。この日は池袋を経由するため、まずくまざわ書店(規模は小さいものの応対が丁寧なので愛用している)で探して貰うとやはり売り切れ。

 リブロがなくなってしまったのが本当に痛いですね。

 池袋駅構内には他にも2店舗ほど書店はあるのですが、近年の私が良く読む早川書房東京創元社の本はあんまり置いてないんですよね。客層が違うわけですな。

 結果、合計5つの店舗を回り、旭屋書店の棚で発見しました。

 昔からそうなのですが、旭屋書店は入ると「ああ、書店だ。これこそ書店だ」的な安心感があります。広すぎず狭すぎずほどよい空間の作り方をしている気がします。郊外にはありませんけどー。

 ただ、ちょっと残念だったのは帯の背の部分がちょっと破れていて、新古書店にありそうな佇まいだったので、一応店員さんに確認しました。

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 この時点で「たぶん在庫ないだろうなー、そういう縁なんだろうなー」とは思っていたのですが、ここまで来て確しかめもせずに割り切ってしまうのはダメだろ、という思いから確認して貰いました。

 で、まあ、案の定、他に在庫は無かったわけです。

 忙しい最中に面倒を頼んでしまった店員さんには悪いとは思いましたが、この本にちょっとした思い出ができましたね。これでつまらなかったらどうしよう……という危惧もあったのですが、そうした思いは杞憂に終わりました。おそらくこの本はうちに居着くでしょう。

 というのが、今年の11月のハイライトでした。

 

 では、なぜそうまでして読みたがるような本を確保していなかったのか。
 理由は私の面倒な性分にあります。

 

 刊行時点(2019年5月)で情報は掴んでいたのですが、その時はあまり乗り気ではなかったため、メモだけしておいた「いつか読むつもりの本」のうちの1冊でした。

 そーゆー本が結構あります。なぜその時買っておかないのかというと、入手する所有欲と読書欲が一致しないときに買っても本棚の肥やしになるからです。
 本に限って言えば、この所有欲と読書欲の一致による反応が購買欲の正体だと思っています。食欲と似ています。飢えを感じるところなど。

 書店って難しい商売ですよね。商品は腐りはしないけど、新刊の鮮度が読者の食欲と一致するとは限りませんから。
 一時の話題性や注目を集めることで「その時は売れる本」というのはあるでしょうけど、実際のところ書店にとっての上客はちょくちょく本を買いに来る読書が好きな人間でしょうから。

 で、こういう客は好みが一定しないから、入荷する本をジャンル単位ですら絞れないので面倒くささがあると思います。なぜかというと、私がそうだからです。

 

  なお、今回から電子化されている本は、Kindleのリンクを貼ることにしました。Amazonリンクを使うならそっちの方がいいかな、と思った次第です。