3 on 10『永遠に美しき冬よりも - It will be covered with the white.』レビューみたいなの巻

 機を逸してしまった感は否めませんが、『永遠に美しき冬よりも - It will be covered with the white.』(以下『とわうま』)の感想あるいはレビューです。

 夏に入手し、秋から冬にかけてプレイして、現在に至ります。
 あーた、体験版をあれだけプッシュしておいていまさらかい、というツッコミは甘んじて受けますので、したいひとはどうぞ(汗)。
 めそさん(3 on 10)のサイトはこちら
 
 普段ちまちま書いている読書ノートのテキストにあるのですが、これにはノベルゲームの感想も書くこともあります。以下は、ルートごとに書いていた感想を抜粋して、くっつけて、修正したものです*1
 前置きはここまで。


 現在「神様ルートまるっと体験版」が公開されているので、神様ルートを主体にして、進めていきましょうか。
 前半のユーモアあふれる流れが、テンポ良く話を読み進めさせてくれるので、序破急の展開に思ったのですが、実は起承転結だったと最後になって気づきました。
 神様がとっても面白く緩急のバランスが取れているので、シリアスに切り替わったときに違和感を覚えません。真面目な話をするとき、こじつけでしかなくても(この物語の現実では)そういうものなのだと素直に受け止められます。

 最初のエンディング(ここでは神様ルートのこと)では、伏線があちこちに散らばったままで、描かれないのですが、ユキオ=語り部=主人公はわかっている。わかっているからあえて語る必要がないので、地の文にはでてこない。そう思われる部分が多々あります。
 いっぽうで、このエンディングに至る展開は、いまひとつしっくり来ないところがありました。ゲーム後半で全体的にパワーダウンする気がしました。特に濡れ場(言葉を選びました)での一人称がやけに淡泊で、話の流れが強引に思えます。

 エンディング自体はすっきりしているのですが、どうしてこうなるの? という引っかかりがどこかにあったからです。
 もっとも、これはそういう選択をしたユキオにしても、そうだったのではないのかな、と思えるようにはなっていました。
 少し見方を変えると、ユキオは最後まで状況に流されているように思えます。本人の判断、行動選択は、選択肢とは別の部分でも出てきますが、神様と出会って無視できなくなってからは、最終的には手玉に取られています。

 言うなれば、神様は意思疎通が可能な現象です。
 そして固有の意志も持っている現象でもあります。

 神様がどういう存在なのかは、神様なりに説明してはくれますが、結局のところは、目の前の状況をどう捉えるかということではないでしょうか。
 もっとも、細かいことを気にせず楽しむが吉、と思います。
 いつも思うことなのですが、使い方次第で音楽(=BGM)はすさまじい効果を発揮しますね。たとえば、この神様ルートのラストシーンで流れる曲(おそらく「かみさまのうた。」)は、油断していたので完全にやられました。
 歌のハミング版と確信していたので、歌声が聞けないことに悶えました。
 なお、この話は後々まで引きずります。


 プレイ時間は計算していませんが、1ルートにつき正味2時間弱でしょうか。それほど時間はかからず、イベントCGのある濡れ場は見られます。シーンの長さもCG枚数も差分を含めてそれ相応にあります。
 初回プレイでは、選べる選択肢が限られるため、ルートがほぼ固定なのですが、個人的にはこういう形式の方が好みですね。
 複数のヒロインがいて、複数のエンドがあっても、それが物語である限りは最低限プレイヤーがこれと思えるエンディングが欲しいのです。
 これは、いわゆるトゥルーエンドが欲しいというのではなくて、ヒロインごとのエンドのみなら特定のヒロインのエンディングを迎えた場合、他のヒロインとも齟齬が生じない結末にして欲しいという意味です。
 もちろん、ごく個人的な見解です。


 さて、この作品では、神様という存在が大きく、目の前にいる神様を存在させている要因と向き合い、どの様な形であれ終止符を打たなければ、永遠に終わらない、と思いました。
しかし、その理由はプレイしていくと判明します。
 ネタバレにつき詳しくは書けませんが、これこそあえてルートを分けた理由だと思います。
 それぞれの過程を見た上で話の核が出てくる、といったところでしょうか。それは、語り部である主人公が自分自身と向き合っていく、というでもあります。
 これは、ヒロインより主人公をしっかり描かないければならないことを意味しています。しかも、そうしないと物語が成立しないという構造を持っています。

 物語の登場人物であるユキオと千春は、それぞれの心情や過去を知っていて当たり前ですが、読む側は知らないのが当たり前ですから。
 ひとつひとつわだかまりを解きほぐしていって、核心に辿り着くお話しです。無理に一本にまとめたら、逆に訳がわからなくなるでしょう。
 これは、ゲームじゃないと絶対にできないなあ、と思ったところです。

 どうにかしようとしたところで、どうにもならないことはある。
 でも、そういう過去を受けとめた上でなら、その先はどうにかできる。
 そして、未来がどうなるかなんてわからない。

 これが、『とわうま』の根底にあることだと思います。
 過去の出来事が作品内でのキーとなるとき、過去は過去として扱い、過去と現在と未来は繋がっている、とも言い換えられます。
 そして、そこが気に入ってます。
 
 それから、この物語は迷子の話であるとも思います。人間なら誰しもあることなのですが、自分がどこに行けばいいのかわからなくなったり、このまま進んでいいのか迷ったり……。と生きていれば、あるいは生きているからこそ抱く迷いですね(そんなものがなかったら、極端な例ですが転職なんてする人はいない)。そして、それだけではなく、観念的な意味で迷子に見つけて、道を示す話でもあります。
 少なくとも、私はそう思いました。
 そうした末に、提示された選択肢をどう捉えるかはプレイヤーそれぞれなのでしょうが、そこに至るまでのそれぞれの葛藤が全部描かれた上で提示されたものなので納得しています。
 
 スタッフロール後のラストシーン。そこに至った理由と意味を当事者である登場人物らの間で、しっかり定められているということ。これを重要視しています。こういう終わり方をする物語は、いくつもありますが、そこへ至るまでのことが語られている物語は、意外なほど少ないのです。単純に、私の引きが悪いだけなのかもしれませんが(‥;
 この上で、神様ルートで神様が話した神様の定義があるので、この世界では?そういうこと?もあり得ると受け止められました。
 上記のスタッフロールで歌が流れるのですが、ここはこうだろうなと思ったフレーズがそのままで苦笑しました。
 なあんだ、予想していただけじゃん、と。
 でも、名前には正直やられたと思いました。

 プレイ中、何度か目にすることになるこのアイキャッチですが、これが全てを示唆している、といっても過言ではないです。
 プレイした方は、にやりとしてください(にやり)。


 声については体験版の際にも書きましたが、これは無ければ成立しないゲームだと思いました。
 貴坂さんの演じる神様の印象が強いのですが、個人的にJOYさんが演じるユキオのあの声があったことで、フルボイスであったことの意義が強まったと思います。
 ユキオの声は、訥々としていて無感動であるがために、感情豊かな他の登場人物の声が言葉として生きてくるのだと思いました。当然、ユキオが感情をあらわにする部分も印象が強かったですし。
 そうした視点から見たとき、印象的だったのは渡会さんと涼貴さんが演じたキャラが発した言葉でした。言葉は声に出して言われるとやっぱり強いよなあ、と思うのでした。
 もちろん、メッセージウィンドウと立ち絵という表現方法があってこそ、成立しているものですが、だからこそ様々な表現方法が同時存在できるのでしょうね。
 声の演技もアニメ、ゲーム、ボイスドラマ(ラジオドラマ)と多岐に渡りますし、一概にこれとは言えないのです。
 言葉、文章についても然りです。

 などと綺麗にまとめてみたり、れりぺろ。


関連:■『とわうま・さっくり体験版』のレビューみたいなの巻

*1:この時期に書いているのは、各ルートをプレイした間隔が開いているためです。