『7文字でつながる連作超短編を書こう! 2015』

この本について、サイトの方には結構長くトップに載せていたけれど、ブログには一切触れていなかったことにいまさら気づきました。

amazonの在庫もなくなっているし(2016.1/19時点)。

ごめんなさい。

画像を見ての通り、参加者がやたら多いです。総勢五十人です。
どこかで見た名前があるなー、と思ったらまず本人で間違いないでしょう。
主催は秋山真琴さん(雲上回廊)と加楽幽明さん(闇擽)の2サークルなんですが、参加者の中に個人サークルを運営しているひともいるので(私のように維持だけしているひとも含めて)、サークル数だけでも結構な数になりますね。

事の発端はおそらく、2015年を迎えるにあたって七年前(2008年)にやった七文字企画をやってみよう、という秋山さん(id:sinden)の思いつきでしょう。
2008年のときは、mixiでトピックを立てて参加者だけアクセスできるようにして、500文字の字数制限(超短篇の目安)と「前者の作品から任意の七文字を抜粋して使う」というルールで掲示板で書いたんです。

そういう企画の場に使うのには向いていましたね、mixi
いっぽうで、人を集めるならTwitterの方が早いですね。

話を戻すと、今回の人選は秋山さんと加楽さんが相談して声かけ(メール)して集めたそうです。
というわけで、自作について少し書きます。

参加表明をした後に「前の方にしてね(はあと)」みたいな希望を出したら、前回と同じく二番目に配置されました。
それから企画サイトができて、いよいよ最初の作品(秋山真琴著)が送られてきたとき、一読して「好きなものを書いたなー」というのと挑戦状を送りつけられた気分になりました。
というのも、第二走者(リレー小説なので)から見ると、七年前と同じような終わりかたをしていて、しかも今回は七年前より「七文字さえ継承すれば他に制限はなにもありません」というフリーダムっぷり。

どうしよう? いや、どうしてくれようか? というのが当時の本音です。

幸い次の葉原のぶよさんがなにを書いても適当(適切妥当)に書いてくれそうだったので、少しばかり暴走することにしました。
まず前回と同じくヒロインを出すことにしたのですが、秋山さんの好きなツーテールツインテール)のヘアスタイルは、前回そうとは知らずに出したので(しかも偶然、描いた特徴が微妙に初音ミクに似ていた)使えない。
そこで、ポニテにしたわけですよ。
本当は絵的(挿し絵ありませんけど)にうなじが見える髪型が良かったのですが、描写に字数を食うのでこれは止めました。

あとこれは私のごく個人的な主義なのですが、挿し絵があるにせよないにせよ極端な字数制限のない小説でキャラクター(=登場人物)の容姿を描かないことは手抜きに等しい、と思っているので情景描写の他に人物の描写に500文字程度しか使えないのに字数を割いています。
なぜって、それもキャラクターを構成する要素だからです。
私の場合、視覚情報を重視するので誰の視点で、どう見せるのかによって、このバランスは変わってきますが、今回は三人称のデフォルトやや控えめ(字数制限があるため)でやりました。
それから聴覚情報も大事にしているつもりなので、どういう声かを書くよりなんとなく聞こえそうな台詞回しにしてあります。まあ、こいつならこういう言い方するだろう、みたいな考えです。
いっぽうで、擬音語はいわばゲージ消費のため撃ちに等しい、と思っているため滅多に使いません。

もともと、サイバーパンクやSF寄りの人間なので、なんかメカ出したかったんですけどもさすがに字数が足りないので、DSR-1という知っている人は「ああ、あれか」という見た目がメカメカしいスナイパーライフルで我慢しました。

歴史やら仏教関連の知識は、最初の就職先で必要に迫られて覚えたことで、他はそこからの延長線上にある知識なので、芋づる式に得たもので専門ではありません。それらも、好きではありますけども。

秋山さんの作品が「そのまま続きを書けそう」な終わりかただったので、これをCDでいうところのイントロに見立てて、いきなり違う雰囲気の曲調にしてすぱっと終わるかたちにしました。FO(フェードアウト)ではないあるいは、ほとんどない感じにして「こっからが幕開けだー」とばかりに、最後の一行を書きました。
結果として、上手い具合に繋がったんじゃないかなあ、と思います。

葉原さんは超短篇界隈では有名なひとらしいのですが、上手く拾ってくれたなあ、と感謝しています。
秋山さんの作品が一人称で閉鎖的だったので、あえて領域が限定されているような閉鎖性を前面に出してから最後に開放するというやりかたで書いたのですが(夜なのも夜光色をイメージしたから)、葉原さんは色々な意味で明るい世界を描いていて、結果的に前後の作品との連携で成り立っていると思います、これ。

今回目指したのは、本来小説ではまず表現できないであろう映像/音楽におけるな表現されるものを書いてみることでした。
先に視点について書きましたが、この作品に関してはカメラがありカメラワークがあり、秒数と同期した曲の展開があります。作者的に。
でも、作詞するときに使っている部分は一切稼働させていなかったんですよね。

仰々しい題名はいわゆる外行き仕様で、核になっているのは『Passage(パサージュ)』です。

この『7文字でつながる連作超短編を書こう! 2015』は、基本的にどこから読んでも問題ない仕様ですが、大抵のひとは最初から読むと思うので先を読んでもらえるよう心がけました。
始まりから情報量が多い割りに、流しても構わんくらいな勢いで駆け抜けるように終わるのはそのためです。

在庫はまだあるのかな?
というより、何部刷ったのか私知りません。
フルカラーカバー付きで134ページ(表紙込み)で頒価が500円だから、完売で赤を出さない想定なら400部くらいかな。

ちなみに、頂いた著者献本はこういうところに置いてあります。

『第N無人居住区』個展(神保町・Art Space Sawa)

N区の個展に行ってきました。別の用件があったため、一時間ちょいで離脱しましたが、もっと長居したかったですね。他の日で彼岸の予定が入っていたこともあったのですが、天候が落ち着いた日に行けたので、まあ良かったのではないかと思います。
燈さんともようやくお会いする事ができました(‥/

うっかりデジカメを持っていくのを忘れてしまい携帯電話で撮るしかなかったのですが、撮影サイズが小さかったですね。
ついでに、撮影者の腕前もたかが知れています。
最初に白状しておくと、N区の中にスバル360のミニカーを紛れ込ませたのは私です。
鳥居の前に配置したり、シアターの前に配置したりして燈さんと遊んでいたら、今後も使えるんじゃないかこれ? と思ったので進呈してきました。

以前、Twitter経由でおおよそのサイズを訊いておいたので、縮尺は1/64くらいだと考えていたのですが、ジャストフィットしました。

この位置がいちばん違和感がないですね。
N区のデザイン上、もっと角張った車の方が似合うかと思っていたのですが、意外にもてんとうむし*1ははまりました。
全長が短く車高がそこそこある車なら、迷いこんだ感じと溶け込む感じの両方を出せると思います。
個人的なイチオシは、スズキクーペフロンテ(持っていけば良かった)、初代セルボです。


おや?


え、入っちゃうの?


ここはどこ?


なんてこと!


ひえー!


逃げます。

色々なアングルからN区を眺めて来ましたが、最上部が結構高いので、オペラグラスがあると深遠を覗き込めたかもしれません。
鳥居の奥は、闇でした。
あれは結界ですね。異界に通じてますね。

最後に写真としては面白味に欠けますが全景は、こんな感じです。

なお、縮尺は統一されておらず、大きめと小さめの物件があります。小さめの方が1/64
で大きめの方が1/43ないし1/48くらいだと思います。1/35だとオーバーサイズではないかな、というのが私の所見です。
つまりですね。
この縮尺が頭に入っていれば、段ボール製作はできなくともこの背景とマッチするスケールモデルを作れば、もっと面白い画が取れると思うのです。
これから段ボールで模型を作ろうと思っている方/既に作っている方には、大きさを把握すると参考になるかも。
個人的な経験からして、縮尺を考えずに模型を作ると後から大変な事になります。燈さんは深く考えずに増築していると言っていましたが、それができるのは大きさを把握できる感覚を持っているからだと思います。
そして、そういう感覚はだれもが持っているものではないです。私は子供の頃から各種模型を作ったり、ミニカーを集めていたので、ある程度は想像できます。
ある程度は想像できますが、完全自作(フルスクラッチ)する場合は、最初にスケールを決めておかないと悪い意味でカオスな事になります。

話は逸れましたが、ミニフィギュアとか持ってきて記念撮影するのも良いですね。
ではここで、N区が気に入ったという方にお勧めの作品を幾つか紹介します。

福神町奇譚 (1)

福神町奇譚 (1)

最初はなんと言っても藤原カムイ『福神町綺譚』(全三巻)で決まりでしょう。

時代で言えば1970年代の東京といった様相を呈しているが…
それにしても無茶苦茶なパースペクティブを描いている。
まるで夢にでも出てきそうな町並みであった…。

CD『福神町綺譚音曲集 音福』では燈さんが「ねりみ哀歌」を歌っています。
幼虫社ファンも必聴の一枚です。


楽園通信社綺談 ビブリオテーク・リヴ

楽園通信社綺談 ビブリオテーク・リヴ

パラダイスバード (BUNCH COMICS)

パラダイスバード (BUNCH COMICS)

個人的には、町の放埒な増築ぶりが最も近いと感じました。前者は1980年代の作品
なので、入門としては『パラダイスバード』の方がいいかも。
あ、竹本泉作品が好きなひとなら『楽園通信社奇談』から言っても大丈夫かも知れず。
おや、佐藤明機「超」初期作品集『リプライズ』が十月発売? なんの躊躇もなく予約っと。


ハクメイとミコチ 1巻 (ビームコミックス)

ハクメイとミコチ 1巻 (ビームコミックス)

『ハクメイとミコチ』は、現在イチ押しの作品なのですが1巻第6話「舟場の市場」にセットバック形式のごちゃっとした賑わう町が出てきます。


てるみな 1―東京猫耳巡礼記

てるみな 1―東京猫耳巡礼記

廃虚好きで知られるkashimirさんの作品からは『てるみな』ですね。鉄道が絡みますがカオスな町並みを最も堪能できる作品だと思っています。


あと、音楽についてはmuzieに公開されている曲以外では、幼虫社の曲、それからライアーソフトの『Forest』の曲が恋しくなります。
ぶっちゃけ、椎名治美さんの曲です。
11年前の作品ですが、Win7以降でもできるのかしらん?

ところで、いま自分の本棚を曝した気分になっています。


ちなみに、今月頭の麦酒夜宴に行くつもりで予定に組み込んでおいたのに、行けなくなった苦い経験をしたばかりだったので、行けるときに行って正解でした。
案の定、実質今夜と明日しか動けない状態になってやんの。

Do you remenber the twenty-first night of September ?

     Earth Wind&Fire「Septenber」

*1:スバル360の愛称

『東京ラグーン』AMPERSAND YOU

東京ラグーン

東京ラグーン

えんけさんことnkさんとこの2ndアルバム。

いきなり白旗を揚げてしまうと、いいCDで他人にも勧めたい一枚なのだけど、具体的になにがどういいのか言語化できない。


このトレーラーを見たときは、東京が都市として保管されている未来を描いたものなのかなあ、と思った。ドーム都市で実際は水没しているのかなあ、と。
そうなると、空は海になり、到達限界高度(つまり天井)が存在する。
整備は行き届いているけれど、人の気配のない寂れたテーマパークのイメージ。
ふと、思い出したのは、休日のビジネス街。
仕事で日曜日の新宿副都心に行ったことがあるのだけど、三井住友ビルをはじめとしたオフィスビルの周囲は、閑散と言うほかなかった。
午前9時後でも、人の気配がなく晴天の中に静かに立つビルの足元を歩いていると、半分非現実の世界に足を踏み入れたようで楽しかった。

『東京ラグーン』はまさにこの「半分非現実の世界に足を踏み入れたよう」なところがあって、SF世界なのかと思いきやところどころに、生活感がにじみ出ている。
この感覚は、時計の振り子のように、行ったり来たりする。
いや、動き方はフーコーの振り子の方が近いかもしれない。

おおよそ、4時〜5時くらいの早朝か、日付が変わる頃の深夜に散歩をしてみると、こうした雰囲気を味わえる。ただ、後者は場所によっては、本当に恐いし危ないこともあるので、あまりお勧めはしない。

ごく個人的な意見だけれども、このCDを聞くときはイヤフォンやヘッドフォンではなく、スピーカーで聞いた方がいいと思う。
空間に広がる音を、周囲の雑音も含めて、聞くのが向いている気がする。
そういう意味ではラジオに近いかもしれない。

1stアルバムの『宙を巡る君へ』が短編集のように、一曲一曲にそれぞれ物語があって、独立していながら列なっていたのとは対照的だと思う。

『東京ラグーン』も当然ながら一曲一曲に物語はあるのだけれど、それらが全然別の話でありながら地続きに繋がっている感がある。このCDで語られている東京という場を、共有しているのかもしれない。

特徴的なのは、やはり茶太さんの朗読で、私の感覚からすると懐かしさを覚えた。
茶太さんの朗読を聞くのが下手すると十年以上ぶりだったことと、文体が音読されることを意識した小説に近く、S-neryの『東京星に行こう』を思い出したからである。
後者はリーディングストーリーと呼ばれていたもので、書いていたのは白倉由美。懐かしいね。


『東京ラグーン』
少し懐古的でいて、極めて身近な写実性を感じた。
他者の存在が稀薄なのに、鮮明に浮かび上がってくる人が住んでいる光景。
そこには、遠く薄青い空を眺めているような俯瞰と、
見慣れた自分の手の平が視界に入る近しさがあるようだった。
確かと不確かの境界が曖昧になり、束の間、記録と記憶が入り交じる。
現実の延長線上を見つめていたはずなのに、
いつしか幻想的な夢物語を見ていた。
静まった街から、車がアスファルトを駆ける音が聞こえ、遠ざかっていく。
ふと顔を上げると、時計の針が午前零時へ近付いていた。
夜はまだ終わらない。


この車は70年の東京モーターショーに「21世紀のスポーツカー」としてマツダが展示したコンセプトカー、マツダRX-500でレストアされて現在も走れる状態ある。
いまにして思えば、このアルバムに似合う車は日産R32スカイラインGT-Rだったかもしれない。
もっと似合いそうなのは、同じく日産のR31スカイラインGTパサージュだろう。

『Tone\bermei.inazawa collection』

Tone \ bermei.inazawa collection

Tone \ bermei.inazawa collection

 べるさんことbermei.inazwaさんの同人版のベスト集。
 『Chords\bermei.inazawa collection』の対になるアルバムですね。

 『Chords』がDisc1、2ごとにコンセプトが明確で、独立したアルバムとしての側面がやや強く出ていたのとは、好対照のベスト盤だと思いました。
 曲ごとにその時期の背景が見え隠れしているように感じられて、過去の足跡はいまに続いているのだなあ、と思った次第です。楽曲だけではなく、聴いている自分についても。
 なにかを作ることは、なにかを残すことでもあるということをごく自然に感じられました。

 全体から受ける印象は「優しい」このひと言に尽きます。
 個人的には、行間を読む余地が広い、という表現がしっくりきます。
 そういう部分が良い意味で緩やかさを象っているのだと思います。

 『Chords\』が曲同士の調和に重きを置いたのアルバムだとしたら、『Tone\』は曲ごとが持っている個の性質に比重を置いたアルバムだと思いました。
 実を言うと、私は収録曲の全部は知りません。
 よって、初めて聞く曲もあるのですが、それでも「この曲は大体あの頃の曲なのかな?」といった類推はできました。同時にそういう背景って作品に表れるものなのかな、と考えたり出典を見て納得したりしていました。

 また、anNinaが発足した頃の曲はその存在を明確に感じました。
 死生観──生と隣り合わせの死、死と隣り合わせの生──がどこかに潜んでいるイメージ。意識しなければ気にならないのですが、気づいてしまうと井戸の底を覗き込むような気分になります。
 途方もなく、底が見えない。
 やはり、anNinaの存在は大きいですね。

 リマスタリングによる音の変化は、全体的に柔らかな質感になったように思いました。
 たとえば「Ourania - ウラニア」は、一聴すると変わりないように思えるのですが、言うなれば角が取れて面構成がなめらかになっているようでした。
 おそらくこれが一枚のアルバムとして通して聞ける/聞きやすいものにしているのではないでしょうか。

 もちろんこれは完全に私の主観です。

 大きく印象が変わったように思えたのは、「琥珀のゆめ」で『Ancient Colors Infinity』の要素が入ってきたようでした。
 祭りから祀りへ、そして奉りへ。
 より味わい深い歌になっていました。

 初めて聞いた曲の中で、印象的だったのは「今際」ですね。
 ずばりこの曲、恐い、です。
 淡々とした哀しさや寂しさから感じる恐さ。それは、生きている限り絶対逃れられない恐さです。
 そういうところに気づかなければ、さらっと聞けるのですが、気づいてしまうともう無視できません。
 本当にこれ、終わりを意識させられる曲なんです。
 べるさんは選曲の時点で「死ぬ準備をしているような気分」と書いていましたが、この言葉を聴く側に感じさせる曲だと思います。

 このCDについて語る上で絶対に外せないのが、M04とM13。「tameiki.(brazilian.ad.jp)」と「輝く季節へ」ですね。
 私がこの二つのアレンジを知ったのは、収録されたCDではなくて、かつてべるさんがサイトにmp3をアップしていた時期にDLして知りました。
 「tameiki.(brazilian.ad.jp)」は以前から歓声が入っていて、意図して荒削りな部分を残した印象がある曲でした。この印象を残して、他の曲と干渉せず溶け込んでいました。

 「輝く季節」は唯一の90年代の曲*1ですが、当時のmp3を聞いてもいまリマスタリングされたものを聞いても色褪せないアレンジですね。

 私は2000年頃にオリジナルの側から同人音楽を知って、聴く側だったのがいつの間にか関わるようになったので、同時期の人達の中でもおそらく変わり種でしょう。
 このため、アレンジ曲を聞くときも、原曲にはないアレンジならではその人のやりかたに注目するようになっていました。
 当時ここまで思い切ったアレンジをするひとは、ほとんどいなかったこともあるのですが、アレンジの方向性が聴く側からもわかることを強く思い知らされたのでした。

 そうした曲を作るときに方向性をしっかり決める/自分の中に持つという姿勢は、『Real Season』の頃からあって、いまに繋がっているんだなあ……としみじみ感じつつ聞いていました。

 原曲の「輝く季節へ」は、ゲーム『ONE〜輝く季節へ』のエンディング曲であり、主人公が自分の居場所=在り方を自覚して大切な人と共に歩んでいくテーマで、少しせつないメロディなんですが、前向きな曲なんですよね。
 元のアレンジでもこの部分は、べるさんの解釈=アレンジで表現されていましたが、この『Tone\』版では(聴く側にとっても)自分や自分の周りの人々の存在をより強く感じさせるアレンジになっていると思いました。
 『Tone\』版の方が控えめなんですが、時間や空間的な奥行きが大きくなっていて、アルバム全体をしめやかにまとめていると思いました。

 最初に優しいアルバムです。と書いたのは、つまるところ「輝く季節へ」で書いたようなことが、全体の方向性になって導いていると思ったからです。
 個の性質に比重を置いたアルバムでありながら、ゆるぎないひとつのかたちを持っていると思いました。

 なんでもそうだと思うのですが、私はなにかを続けてやっているとどこかであえてふりだしに戻してみるときがあると思っています。
 原点回帰と似ているようで違うそれは、自分の根幹に根ざすものを確かめる行為だと思うんですよね。

 曲順という点でも「輝く季節へ」がラストにあるのは、そういうことなのかも……というのが私の感想です。

 ところで、帯に「常に、終わっている。」書いてありましたが、「常に、始まりがある。」ということでもありますよね。

 終始繰り返して、生きているんだなあ……などと思ったりしました。

 長々と書きましたが、純粋に好きなアルバムです。

*1:注:アレンジ曲の制作年

『マフラーな彼女 - can't stop loving!! 2015年エイプリルフール企画「あるウソの話 - Crush On You! -」』/3 on 10 -サンオントウ-

 なぜだろう不意に『同棲』思い出す。
 いやあれは主人公が働き稼ぐ話だけどね。

 なんかこの二人の会話からにじみ出る雰囲気で「バイト」という単語を聞かされると、『同棲』のオープニング曲(バイト中のシーンにも流れる)を思い出してしまったんですよ。旧Tacticsの『MOON.』の前のゲームなんて、どれだけ知っている人がいるんでしょうねえ。
 そもそも『ONE〜輝く季節へ』より『MOON.』が好きだという時点で相当な少数派なんですけども。
 ぶっちゃけ、葉鍵系は『AIR』が気になって、周囲の鍵っ子らに過去のゲームを文字通り布教されて、2000年の夏に『AIR』が発売するまでの間に一気にプレイしました(苦笑)。
 つまり、『Kanon(1999)』、『ONE(1998)』、『MOON.(1997)』、『同棲』の四つのことです。

 さておいて、ヒモは男の浪漫です。
 いや、この主人公はヒモ以下ですが、なんだろう。ダメ人間なんだけど、クズって言えばクズなんだけど、憎めないところがあるのはなぜ。何気に彼女=まふらがしっかりしているから? まふら補正?
 ダメっぷりまふら補正で許される。
 そんなのありだろうか……現実の例を思い浮かべてみたら、凄惨なことになったので、今後は約束が果たされることを願います。
 プレイ時間は、正味二、三十分くらいでしょうか。
 さくっとプレイできます(ぽろりもあるよ)。
 先に『同棲』を引き合いに出しましたが、たまたま私が思い出したと言うだけであって、内容は基本的に『マフラーな彼女』本編と同じノリです。かすりもしませんので、そういう期待をしてプレイして私に石を投げないよう願います(笑)。

 なお、『マフラーな彼女 - can't stop loving!!』の感想はこちら

 いまのところ、3 on 10のキャラクターでは、
  1位:神様/『永遠に美しき冬よりも - It will be covered with the white.』
  2位:イチカ『メロウイヱロウ』
  3位:北山まふら/『マフラーな彼女 - can't stop loving!!』
 となっております。このサークルの場合、声の魅力比率がかなり大きいです。総合的にはイチカがいちばん好きなのですが、見ていると(聞いていると)楽しいという点では神様ですね。2位からは趣味がモロに現れています。
 まふらに「あなた変、好みがすごくおかしいの」とか言われそう。

 そういえば、めそさんが「七凪るとろさん(まふら役)が、自分ではとても言えないような台詞も見事に五七五で言ってくれるのでありがたすごい」みたいなことをツイートしていましたね。
 これですが、言うだけならまふらの口調を真似すれば大抵言えます。ゆっくりと韻を踏んで話すからです。
 このレビュー(?)にもいくつか五七五を含めましたが、考えるときにまふらの話し方を思い浮かべると、さらっと出てきます。

 また話が脱線しそうなのでこれくらいにします。