助言者

 

 これを書いたとき「助言者」というキーワードが出てきたのは、何気にそういう本を結構読んできたからなのかもしれない。

 迷える主人公に対して助言者となる存在が出てきて、同時にキーパーソンにもなる話の代表格は、『かもめのジョナサン』だろう。そうした助言者が、実は自身に内在するものあるいは自分自身であるとする作品もあり、バックは『イリュージョン』でそれを示唆していた。

 
かもめのジョナサン 完成版 (新潮文庫)

かもめのジョナサン 完成版 (新潮文庫)

 
イリュージョン (集英社文庫)

イリュージョン (集英社文庫)

 

 ここから自分と世界の関わり方について掘り下げていくと、 スピリチュアルな方向に進んでいくのはあちらの人間にとって「神」とか「救世主」といった見立てを用いず語ろうとすると、古代から連綿と受け継がれてきた信仰対象とは異なる神秘に至るからなのかもしれない。
 『アルケミスト』、『聖なる予言』などがこれに該当すると思う。

アルケミスト 夢を旅した少年 (角川文庫)

アルケミスト 夢を旅した少年 (角川文庫)

 
聖なる予言 (角川文庫―角川文庫ソフィア)

聖なる予言 (角川文庫―角川文庫ソフィア)

 

  関連商品で『星の王子さま』が出てきたのでついでに貼っておくけど、この作品もまあそうかもしれない。

星の王子さま (新潮文庫)

星の王子さま (新潮文庫)

 

 こうしていくつか挙げたところで、それっぽい和書が出てこないのは、私の勉強不足をさて置けば、日本列島が元来多神教の風土だからだろう。信徒ではない限りキリスト教観に基づく神の感覚は合わないと思う。
 たとえば、ニーチェを引き合いに出すとき、生活風俗と技術産業の比較を添えないと話がわかりにくいのもたぶんそれが原因ではないだろうか(そういう小説がある)。作者は説得力を持たせたようでも、読者には衒学的で胡乱な話にしか思えない。衒学的になるのを狙って書いているだろう西尾維新のような作者は例外だけども。

 あ、天沢退二郎の著書は助言者こそ出てこないものの、ちょっとそれっぽいところはあるかも。 

詩はどこに住んでいるか

詩はどこに住んでいるか

 

 これとか。