2018年、個人的に印象に残ったアニメ10本

 ……というのをTwitterに投稿したのですが、引用リツイートで補足を書こうとしてスレッドごと削除してしまったため、ブログのネタにすることにしました。別途、メモは残してあったのですが、年も変わっていますし再投稿するのも興ざめものですから。

 あらためまして、あけましておめでとう御座います。

 ではでは、書いていきましょう。


・2018年、個人的に印象に残ったアニメ10選

 


 どう選んだのかというと、「印象に残った」という言葉そのままです。

 思い返して頭の中にパッと浮かんだ作品を書き出し、年度が間違ってないかだけ確認。その中でより好印象の作品に絞り、10本に絞り込む上で「見返したことはあるか」という条件を加えました。そうでもしないと切りが無いので(苦笑)
 そういう訳で、先に挙げた10本には好みも強く反映されています。おススメという意図もあんまりないです。

 加えて、遠慮なくネタバレしているのでご注意ください。
 以下の作品別コメントは、これまでの総括として書いてみました。

 


宇宙よりも遠い場所

 正直、舐めてました。なにかしら作品世界特有の制度でも持ち出して、わりとほいほい南極行っちゃうんだろうなー、なんて思ってました(ごめんなさい)。
 そんなことを思いつつ、1話からオンタイムで見ていたのはPVでの砕氷船しらせの描き込みが空中線に至るまで丁寧だったからです。
 南極……なかなか行かないんですよね。
 要約すると「主役女子高生四人に焦点を当てていって、こういう子たちがこんな風に知り合って、こういう縁と機会があって南極に行くのだよ」という流れを丁寧に描くのですね。1話Aパートでその事に気づき、私は思わず「やべぇ。ガチだ」と口走りました。
 南極については、現実に民間観測隊を南極に行ける状況があるとしたら、という背景から描いていますね。これも「やべぇ。ガチだ」でした。

 

 こっからは完全に未見の方置いてけぼりで行きます。

 

 この作品、台詞が多い(多すぎる)脚本という評があるらしいのですが、自分は特に気になりませんでした。
 言っちゃあなんですが、四人それぞれがめんどくさい部分を持っているので、この子はここで言うだろうなー、という言葉を言っていたからです。音響やコンテなどを含め演出に支えられていた部分は大きいと思いますが、やはり前半の尺を無駄なく活用してキマリはこういう子、報瀬はこういう子、日向はこういう子、結月はこういう子、というのをしっかり人物を描くことで物語で示していた構成があったからだと思っています。
 半ばからいわゆる大人組にも焦点が当たってきて、過去と現在の――特に報瀬や吟の気持ちの上での――距離が近づいてきて、それぞれの近しい人間(報瀬にとってはキマリ達三人)も外縁から内側へと引き込まれ12話の“あのシーン”に一端は集約されたのだと思います。
 当時、ノートPCを見る報瀬と、部屋の外で様子を見守るように伺っているキマリ、日向、結月の三人が映すシーンを「小説の間合いを映像でやってきた」と書いたことを覚えています。
 ここまで書いて思い出しましたが、間の取り方が独特でそれが印象に残った作品でした。台詞や動きの間にちらっと映る背景や物(最も印象的なのはラジオゾンデ)の見せ方が小説の情景描写に似た間合いがありました。


ゆるキャン△

 カレーメンが食べたくなります(笑)
 実際、作中の台詞でもありますが、なでしこは本当に美味しそうに食べますよね。
 この作品については、りんがスクーターを入手してからあちこち移動する話が増えてくるのですが、実はこの移動シーンがキャンプしているシーンより好きです。特になでしこが風邪っぴきで電話越しにナビをする回は好きです。
 人間関係の構築がちょっと変わっている点も印象的で、りんとなでしこの出会いから新学期の通学シーンで一端リセットされます。二人がストレートに友達になるのではなく、なでしこが野外活動サークルへ興味を持ち千明とあおいと知り合ってから、勢いで図書室にいたリンに声を掛けてしまうんですよね。この時、恵那もいるので1話アバンでちらっと見せた最終話のシーンが生きてきます。最終的にこの五人が一緒に行動することが、ここで提示されているのです。
 当時「(なでしこが)1クールかけてリンを攻略したか」とツイートしていた方がいましたが、どちらかというと攻略に手間取ったのは恵那の方ではないかと思います(笑)


スロウスタート

 タイトル通り3話くらいから動き出す作品。そうした事もあってか、常に一歩引いたところに視点を置いて見ていました。これはまさしくぱっと思いついた作品なのですが、一体どこに惹かれたのかが思い出せません(笑)
 メインキャラ四人のうちでは、「君は本当に高校生か?」みたいな天然のたらし栄依子ちゃんが観ていて面白かったのですが、個人的には榎並先生(CV:沼倉愛美)最高! でありました。
 この年から沼倉愛美さんが大好きなことを自覚してアニメを観るようになったので、Twitterでは「ぬーぬー(沼倉愛美さんの愛称)」うるさかった年だと思います。※

※きっかけは、過去に見た作品の中で「なぜ自分が最後まで見ていたのかわからない」作品がいくつかありまして、この“なぜ”に該当する作品には全て沼倉愛美が出ていたという偶然なのか必然なのかわからんちんな事実に直面したからでした。
 いまのところ、桐(『このはな綺譚』)がいちばん好きな役ですが、大野アシュリー(『妹さえいればいい。』)も捨てがたい、比良坂夜露(『アリス・ギア・アイギス』も好きですし、いやいややっぱり井口さん(『SHIROBAKO』)か……(以下略)

 


BEATLESS

 たまたまYouTubeにサジェストされていたPVのサムネイルに表示されていたスノウドロップに“引っかかり”を覚えて再生してみたら、『BEATLESS』のアニメ化告知だったので思わず苦笑いしました。
 この時点で「人間の姿をしているのに、明らかに人間ではない」とわかる映像表現には目を見張りました。アンドロイドやガイノイドは、多くのアニメで描かれてきましたが、それらはどれも顔立ちを人間のキャラと微妙に変えてあったり、外見的特徴があったりそうと知らなければ全く区別が着かない見かけだったものが多数を占めていたからです。
 この驚きは『宝石の国』によって覆されましたが、対比となる人間が金剛先生しか出てこないため、『BEATLESS』は「人間の姿をした人間ではないものがいる社会」を描いた作品だと思います。
 また、長谷敏司さんはデビュー当時から一部を除いて著作を読んでいる作家でして、『BEATLESS』原作単行本は当時積んでいました。
 積んでいたらアニメが始まってしまい2話まで見たときに、「いますぐ原作を読まなければならない!」と放映と並行して読み始め、半ば頃に読み終えました。結果として、原作単行本は付箋だらけになりました。※
 読了後の視聴で注目していたのがアナログハックの表現で、原作だと地の文で「~はレイシアのアナログハックだ」のように明言されている部分が結構あります。ところが、アニメ場合は画面からそれを絵解きする必要があるため、この見極めが完全に視聴者に委ねられるからです。
 特にレイシア級の場合は、目指すところへ対象者(レイシアならばアラト)を誘導するためアナログハックと、hIEがAASC(行動適応基準)に従って用いる通常のアナログハックの二種類が混在するため、より難易度が上がりました。
 後者はモブhIEも行う営業スマイルや世間話の中での愛想笑い。レイシア級では、紅霞が去り際に笑ってみせるなどと言った「その人間が望んでいるであろうふるまい」が主になるのですが、レイシアの場合はアラトの好感度を維持したまま自分の行動を承諾させる必要があるためすっごく難しいのです。
 この“相手に望んでいるであろう対応をする”ことは、人間が普段から行っていることなのですが、アニメでも原作でもこの点に全く言及しないところが意地が悪いですね。親近感すら湧きます(マテ)
 途中、万策尽きてしまったのは残念でしたが、間が空いても最終話まできっちりやってくれたことは嬉しかったですね。ぶっちゃけ、ラストのスノウドロップをいい加減な描き方したら「水島精二監督作品は二度と見ない」くらいの覚悟で視聴に臨んでました。つまり、信じていたわけです。

※特番でこの三倍くらい付箋が貼ってある原作単行本を、レイシア役の東山奈央さんが取り出したときはぶったまげました。


アンゴルモア 元寇合戦記

 原作未読。2018年最初の伏兵でした。
 元寇を扱った映像作品はいくつかあるのですが、あえて対馬の戦いに視点を置くところからして驚きでしたし、様子見のつもりが1話からほどよい時代考証、クセの強いキャラクター、見せる殺陣、歴史好きの期待を裏切らない拡大解釈、大仰な身振りによる画面をいっぱいに使った演出に引き込まれました。
 個人的に嬉しかったのは、推測で「原作ではこうだと思うが、映像化するにあたって展開やときには言葉一つでわかるであろう部分は流れを重視して端折ったと思われる」といったことをツイートしたら、原作ファンの方から引用RTで「そう、その通り原作を上手くアレンジしている」といったコメントを頂いた時ですね。
 また、OP曲が非常に好きでして配信と同時に購入した作品は、今期ではストレイテナーの『Braver』だけです。


『SSSS.GRIDMAN』

 今期後半の本命、BABY DAN DAN DAN!
 と言いつつ、実は直前まで見る気はなかったのです。ところが番組表を確認したらほどよい時間帯に放送していたので、試しに1話を見てみたら好きな演出の連続でどはまりしました。この直後、原作である特撮版『電光超人グリッドマン』の存在を知り、AmazonPraimVideoで見てみたら、こっちはこっちで面白く、少し無理をして全話見ました。
 3話辺り。ネット上でも明らかに注目されてきた頃に、ちょっとした考察じみたテキストを書いてしまったのですが、ブログに掲載するかぎりぎりまで迷って結局お蔵入りにしたこともあります。この時点では、アカネがあの世界の創造神だとまだ提示されてなかったので正解でした。
 ラストシーンの解釈で考察が飛び交っているようですが、そんな難しく考えなくても良いんじゃないかな、というのが私の見解です。私は端的にグロブロー(『要塞シリーズ(荒巻義雄著)』の舞台となる架空天体の名前)と書きましたが、「『永久帰還装置』だ、神林長平だ」と書いている人がいました。
 ここは、特撮版におけるコンピュータ・ワールドという概念を知っているか、架空世界を扱った作品に親しんできた経験が無いとわかりにくい部分だと思います。
 この作品が提示したのは「あなた達は自分が現実だと信じているその“現実”は、その“いま・ここ”は相当曖昧なものですよ」と訴えかけていると思います。私は変な人間なので、自分が現実だと思っている“いま・ここ”が誰かの夢ではないか、と疑ったこともありますし、自分の存在を規定するものは他者の存在があってこそだとも考えています。
 大石昌良さん(OxT)が放送終了後に「【後日談】OP歌詞のリテイク等でネタバレに慎重だった雨宮監督が、「君を退屈から救いに来たんだ」のところでグリッドマンをアカネのところに窓ガラスばりーんってよこした時には「おい!あんたが一番ネタバレしてんじゃねーか笑!」って最高にエモかったです笑。」とツイートしていたように、あのOPが全てを語っていると思います。

 「僕らの世界」の「僕ら」というのは、裕太や六花、内海達のことで創造主=神様であるアカネに「目を覚ませ!」と言っているわけですね。侵略者とはアレクシスのことであり、このイレギュラーを排除しに来たエージェントがグリッドマンなわけですね。
 ラストシーンは実写(≒現実)に切り替わりタイトルが被って終わりますが、「この映像を見ているあなた方視聴者を誰かが同じように画面で見ていない、と言い切れますか?」という製作側の問いかけでもあると思うのです。


『アニマエール!』

 原作未読。2018年最後の伏兵でした。
 当初はニコ動で見ていたのですが、3話を見たらときの次の期待度が一気に高まったため、以降はTV視聴に切り替えました。
 主人公・こはねがチアリーディングに憧れを抱いて、幼馴染みの宇希の助けを借りつつひづめを動かす過程は丁寧な分焦れったくもありました。いまにして思えば、この部分は助走であって、中盤以降加速していく物語を支える足場になっていたんですね。こはね、宇希、ひづめ、こてっちゃん虎徹)、花和、の五人は皆それぞれ強い個性の持ち主なので、短期間にまとまっていくには強い核が必要だからです。まず、こはねとひづめの双方を見守るかたちで距離を置いていた宇希という三角関係。宇希が積極的に関わるようになったところでそこにこてっちゃんが加わり四人になり、グループとして動き出したところにひづめの延長線上にいた花和が飛び込んでくるかたち。導入がどれも体当たり気味で、毎度わちゃわちゃしている様が見ていて和みました。
 チアが主題なだけあって、経験者であるひづめの発声は、画面からも空気の振幅を感じ取れるような絵作りがされていたと思います。実際、全編に渡ってキャラがきびきび動きますし、日常場面ではキャラの動きを追うようなカメラワークが実写っぽくてそれが臨場感を出していたと思います。ディフォルメキャラの場面との切り替えも自然な出入りで、ここではこてっちゃんが大活躍でしたね(笑)
 メインキャストの演技が光る作品でもありました。
 ひづめのアップダウンが激しさを自然に表現した山田唯菜さん、宇希の極めて常識的な部分とそこから逸脱する部分を見事に演じた井澤美香子さん、こてっちゃんのほんわかしたところと微妙に黒いところを可愛らしく演じた楠木ともりさん(そして『GGO』のレンを微塵も感じさせなかった!)、花和の真っ直ぐなゆえに不器用な性分をめんどくさいと感じる前に微笑ましく感じさせた白石晴香さん。
 そして、この作品の見どころの一つとも言えるのが、こはねの前向きゆえに空回りしてしまうところや天然のはげまし気質をチアの習熟過程とリンクするかのように役をものにしていった尾崎由香さんの演技でした。
 気づけば軽い気持ちで見始めたら見ていると気持ちが軽くなる作品になっていて、終わったときのロス感が自分でもどうしようってくらい強かったです。


ゾンビランドサガ』

 話題になる前から注目されていることは気づいていたのですが、『電光超人グリッドマン』を見始めてしまったために、リアタイ視聴の機会を逸してしまった作品です。放映期間に一切ツイートがないのはそういうわけです。
 配信で追いかけることは十分可能だったのですが、あえて途中から乗らずに関連ツイートを全て流して放送終了直後くらいに見始めました。
 毎回こちらの感性へダイレクトに訴えてくる全力投球。イロモノのふりをした堅実な作品で、フランシュシュがゾンビであることを除けばわりと正統派のアイドルものなんですよね。
 上手いなと思ったのは、ゾンビであるためオフのときは完全に世間から切り離されてしまい、アイドルものでは縁が切れない業界のしがらみに主人公達がほとんど関わらない(関わりようがない)という作りにしてあることでした。そのため、1クールアニメでありながらメンバー7人のうち5人までそれぞれの過去と現在を結びつけたエピソードを入れても密度は高まりこそすれ、話の展開に無理がないのですね。ゆうぎりとたえがそれぞれ生きていた時代からの乖離の長さと意識が戻っていない、という点から外側からメンバーを支える形になっていたので、それによってキャラに深みが出ていたと思います。個人的に好きなのは、ゾンビ2号です。二階堂サキです、夜露死苦
 メンバー内でのジェネレーションギャップがポイントになる作品でもありますが、面白いのはフランシュシュの楽曲はおおよそ80年代半ば~ゼロ年代までの様々な楽曲の特性が取り入れられており、これを2018年現在の音楽としてまとめているところでした。ここそれっぽいと思ったら、術中にはまった証拠だと思います。
 作っている側は狙ってやっているはずですが(それでもコケることはある)、今期の大穴・大当たりだったような気がします。

 


『メルクストーリア-無気力少年と瓶の中の少女-』

 YouTubeでサジェストされていたPVが好印象だったので見始めたら、これが今期の和み枠になりました。
 1話ないし前後編2話完結のオムニバス形式で進むため、エピソードごとのゲストキャラクターやその地域と種族についてしっかり掘り下げて描いてあり、こうしたバラバラの視点から作品世界全体を描き出す方式は、モンスターを倒すのではなく鎮める(癒す)という作風とマッチしていたと思います。
 これといって突出した部分はないのですが、丁寧に作っているのが見ていて伝わってくる作品でした。個人的に好きなのは、妖精の国のお話と死者の国のお話しでした。あ、何気にどちらも、春と冬、光と闇、過去と現在、表と裏、現実と夢、生と死と言った鏡映しになるテーマを扱っているエピソードですね。
 本やゲームなどを通して定着した「ふわっとしたファンタジー感」を上手く活用した作品でもあり、各地域と各種属を小規模商隊の交易で結びつけることで消極的な強調による他種族共存世界を描き出すことに成功していたと思います。
 文化と生活風俗の違いを強調することで、文明レベルに差異が生じないようにしていて、あんまり深いことを考えずに物語を楽しめました。この作りを補強するために、各地でのカルチャーショックがたびたび描かれていたのも好印象です。
 1話と最終話が対の構造になっていて、最後までゆったり楽しむことができました。でもこの作品、評価している人が少なくて淋しいです。『デュープリズム』の世界が好きな人は、好きになれる作品だと思うんですけどねえ。※

※ていうか、『デュープリズム』自体が結構マニアック。


BANANA FISH

 これは以前ツイートしたことそのままです。
 原作未読。途中、あまりの胸くその悪さにリタイアしかけましたが、最後まで見ていて良かったです。後半は知らずマックスとブランカの視点を意識しており、二人にとってまたアッシュにとって互いがどういう存在なのかが見えてきて、殺伐さを極めていく中で自分なりの楽しみ方を見出せました。
 視聴を断念しかけたときTLに現れた「この作品はアッシュに色んな人間が裸の感情をぶつけていく物語なんだよ(大体こんな意味)」という一文に、見逃していた物の見方を教えられた気がします。どこの誰とも知らない貴方に感謝します。
 ラストシーンを「美しい」としか表現できない映像作品にひさしぶりに出会いました。それまで散々醜い面を見せてきただけに、この絵がものすごく綺麗で美しさが際立つのです。これは完全に予想外でした。

 

 以上です。ブログの記事にすると決めた時点で、それなりの量を書くつもりでいましたが、結構な分量になってしまいました。