門田充宏『追憶の杜』東京創元社

 

追憶の杜 風牙 (創元日本SF叢書)

追憶の杜 風牙 (創元日本SF叢書)

 

  前作『風牙』の続編。個人の記憶を他人が追体験できる記録データとして汎用化──抽出・翻訳──する技術を生み出した企業九龍と、このきわめて特殊な業務に携わる記憶翻訳者《インタープリタ》。そして、汎用化された記憶データを巡る三つの中編を収録した一冊。

 『追憶の杜』の英題が"MEMENTO MORI"なのが、追憶=過去を思い返す行為の意味と本作の主題と絡んでいて考えさせされる。メメント・モリ、死を思え。

 

「六花の標 Never, never forget me not」

 珊瑚が担当した汎用化記憶データが、依頼者の手によって情報流《ストリーム》に公開された事を端に発する小さなスキャンダルが「記憶のデータ化の是非」へと繋がり、九龍の立場を揺るがすものになっていく。

 情報流は、大雑把に言えば使用者の嗜好に合わせた情報を個人端末に収集する機能を備えたインターネットであり、情報の共有もしやすい。そうした技術進化の背景で扱う人間の中身はあんまり変わっていない様は、どれほど技術が進化しても根本は変わらないと描いているかのように思えた。

 それが悪意でも善意でも。

 ぶっちゃけ、人間だろうがAIだろうがこの辺は全く同意見なのだけど、犬というファクターについ注視してしまって、うっかりミスリードしそうになった。これって、実は犬の記憶なんじゃないの? と(苦笑)。

 珊瑚がプロ意識と個人の感情の板挟み間でどうにか事態を収拾しようとして空回りしては、カマラ女史に加え新たな上司ダンディこと団藤にフォローされる姿は前作を読んでいると年相応に危なっかしくて微笑ましい。個人的に25歳くらいが一番暴走しやすいんだよねー、などと思いつつ読んでいた。

 専門家ならでは視点が鍵になるのが、この作品と珊瑚というキャラクターに柔らかさと硬質さを併せ持たせているのだと思った。

 

「銀糸の先 I do not know whether it was good to know」

 香月《かづき》というフリーライターが珊瑚にインタビューをする過程をインタビュアー側(つまり香月の一人称)から描いていくのだが、記憶翻訳者《インタープリタ》や情報流《ストリーム》、トランキライザなどの技術が当然のようにある以外は生活様式などは現代とほぼ変わらない世界観の物語のためあっちこっちにミスリードを誘う仕掛けがある中編。

 これは、上記の世界観を生かした仕掛けで、現代にはない技術がある現代として作品世界を捉えられる描き方をしているため使える技だと思う。そのため、このシリーズは生活感が掴みやすく生々しい。

 「六花の標」の項で(ひとの)根本は変わらない、と書いた通りこの世界に生きる人間についても、読者である我々と同じ現代人として捉えられるためあらゆる情動や行動が近しく感じられる。

 珊瑚に対して結構な感情移入をしている読者としては、ストレスを感じるアプローチなのだが、これは香月がインタビュアーとして承知でやっていることなので、これを珊瑚がどうあしらうかが前半の見どころ。

 半ばからは急転直下の展開ではあるものの「ああ、そう来たか」と予測通りのところに落ち着いた。ミステリに馴染み深い人は、下手すると前半のかなり早い段階で真相に気付いてしまうかもしれない。
 物語の描き方が最も現代的な一編でもあり、SFに馴染みのない人も取っつきやすいと思う。そういう意味でSFへの入り口としては、非常に優れている作品だと思う。

 

「追憶の杜 Everyone has, but nobady is aware」

 こう書いたらネタバレかなぁ……という気がするのだけど、『電脳コイル』が好きな人は読むべし(笑)。

 社長の不二が他界した後の九龍は、その不在の大きさを埋めるかのようにサポートAI(今回は珊瑚のパートナーであるハリネズミイメージの孫子)に疑験空間のデザインさせるという新たな取り組みをはじめていた。同時に珊瑚をはじめとする記憶翻訳者の負担を減らす様々な新技術の開発と実装も行われていて、潜行している珊瑚と外との通信がスムーズなので技術屋のショージや団藤の登場頻度が上がっている。

 記憶へのアクセスはともかく擬験空間(『風牙』収録作の「閉鎖回廊」など)でも珊瑚と孫子だけだと、どうしても内省的な進行になるため作品としても進化を取り入れたのだと思う。

 収録作の中ではぶっちぎりでこの中編が好き。

 憔悴している珊瑚の荒れた生活空間(てか自室)がまざまざと浮かび上がってくるし、長い付き合いで気の利くショージと付き合いは短いが面倒見が良い団藤それぞれの気遣いに温もりを感じる。さらに、カマラ女史はオフの日に「子供が会いたがっている(!)」という口実で買い物に連れ出す……なんて最高に魅力的なキャリアウーマンの意外なプロフィールが明らかになったり、ろくな服がないことを気にする珊瑚が可愛い。

 そして、風牙から託されたバトンが本当の意味で珊瑚の手に渡る話でもあり、『風牙』に続く犬SFでもある。犬より猫派なのだが、年々犬派からの影響が強く受けるようになっていて、この調子だと犬派に転びそうである。

 ネタバレになるので詳しくは書かないが、終盤の夕焼けの描写が素晴らしかった。光景が鮮明に思い浮かぶほど、読者の記憶にある「そういう光景」を見事に引っ張り出してくる。控えめに言っても最高。

 

 そして、表紙のデザインや帯の惹句はこの3つの中編を経て大きな意味を持ってくる。日本語の題名は同じなのに、英題が異なるのは、単一の作品としての『追憶の杜』と中編集としての『追憶の杜』の違いを表しているように思えた。

 前作『風牙』は表紙(より正確にはカバーデザイン)初見のインパクトが強かったが、『追憶の杜』はまじまじと見たとき、なにより読み終えて見返したときに存在感が強い。

 前より少しだけ背が伸びた珊瑚が樹(歳月を経た存在)の前に、頼りなげにでもちゃんと自分の脚で立っている姿はこのシリーズを象徴していると思う。

 

 ところで、読了時に感想をブログに書くぞと心に決めておきんがら、半年(いやもっとか?)くらい経ってしまいましたorz

 そして昨日、この本が出てからちょうど一年が経過しました。引っ張っちゃてごめんなさい、と思うと同時にずっとこなせずにいた課題をようやく終わらせることができた心地です。

 

shisiki.hatenablog.com