『マフラーな彼女 - can't stop loving!! 2015年エイプリルフール企画「あるウソの話 - Crush On You! -」』/3 on 10 -サンオントウ-

 なぜだろう不意に『同棲』思い出す。
 いやあれは主人公が働き稼ぐ話だけどね。

 なんかこの二人の会話からにじみ出る雰囲気で「バイト」という単語を聞かされると、『同棲』のオープニング曲(バイト中のシーンにも流れる)を思い出してしまったんですよ。旧Tacticsの『MOON.』の前のゲームなんて、どれだけ知っている人がいるんでしょうねえ。
 そもそも『ONE〜輝く季節へ』より『MOON.』が好きだという時点で相当な少数派なんですけども。
 ぶっちゃけ、葉鍵系は『AIR』が気になって、周囲の鍵っ子らに過去のゲームを文字通り布教されて、2000年の夏に『AIR』が発売するまでの間に一気にプレイしました(苦笑)。
 つまり、『Kanon(1999)』、『ONE(1998)』、『MOON.(1997)』、『同棲』の四つのことです。

 さておいて、ヒモは男の浪漫です。
 いや、この主人公はヒモ以下ですが、なんだろう。ダメ人間なんだけど、クズって言えばクズなんだけど、憎めないところがあるのはなぜ。何気に彼女=まふらがしっかりしているから? まふら補正?
 ダメっぷりまふら補正で許される。
 そんなのありだろうか……現実の例を思い浮かべてみたら、凄惨なことになったので、今後は約束が果たされることを願います。
 プレイ時間は、正味二、三十分くらいでしょうか。
 さくっとプレイできます(ぽろりもあるよ)。
 先に『同棲』を引き合いに出しましたが、たまたま私が思い出したと言うだけであって、内容は基本的に『マフラーな彼女』本編と同じノリです。かすりもしませんので、そういう期待をしてプレイして私に石を投げないよう願います(笑)。

 なお、『マフラーな彼女 - can't stop loving!!』の感想はこちら

 いまのところ、3 on 10のキャラクターでは、
  1位:神様/『永遠に美しき冬よりも - It will be covered with the white.』
  2位:イチカ『メロウイヱロウ』
  3位:北山まふら/『マフラーな彼女 - can't stop loving!!』
 となっております。このサークルの場合、声の魅力比率がかなり大きいです。総合的にはイチカがいちばん好きなのですが、見ていると(聞いていると)楽しいという点では神様ですね。2位からは趣味がモロに現れています。
 まふらに「あなた変、好みがすごくおかしいの」とか言われそう。

 そういえば、めそさんが「七凪るとろさん(まふら役)が、自分ではとても言えないような台詞も見事に五七五で言ってくれるのでありがたすごい」みたいなことをツイートしていましたね。
 これですが、言うだけならまふらの口調を真似すれば大抵言えます。ゆっくりと韻を踏んで話すからです。
 このレビュー(?)にもいくつか五七五を含めましたが、考えるときにまふらの話し方を思い浮かべると、さらっと出てきます。

 また話が脱線しそうなのでこれくらいにします。

改磯風型突撃宇宙駆逐艦(宇宙戦艦ヤマト2199メカコレクション「ゆきかぜ」)

 リハビリ。いや、模型製作ではなくて文章の方です。サイトもブログもしばらく更新していなかったので、年始に作った模型の記事を書いてみることにしました。
 2199メカコレのゆきかぜを小改造して、塗装パターンを変えてみました。


 前回、あやなみを製作したとき、下地色の重要性を痛感したため、その反省から塗装しています。いつも通り、筆塗りです。


 初期案では別の三色使うつもりだったのですが、プラ板に大まかな図を書いて塗ってみたら悲惨な有り様になったので、思案したあげく『スタートレック』のエンタープライズB(エクセルシオール級)と『劇場版・機動戦艦ナデシコ』のナデシコBを参考にシンプルにまとめてみました。


 側面から見ると一目瞭然。白は二種類使っています。艦橋部分及び艦首の明るい白はガンダムカラー・MSホワイト(UG01)、艦中央から艦尾は城・漆喰色(CK1)です。


 製作中の図。なお、艦橋部分の上部をエポキシパテで塞いだ関係上、全体にサーフェイサー1500を吹いているため、これが下地色となっています。余ったパテは台座の裏に錘として貼り付けました。観察中のうちの神姫(ストラーフ1st)。


 エポパテ加工部分のアップ。砲塔裏の隙間とタンク型のパーツの裏側も埋めてあります。下からのあおりと、下部砲塔を旋回させたときその効果が表れます。


 艦首の墨入れは、エナメル塗料のフラットブラックを塗った後にうすめ液を染み込ませた綿棒ではみ出した部分を拭き取っています。


 厚ぼったく見えるのは、青に使ったガンダムカラー・MSブルー(UG13)がまるでプライマーを混入させたかのような状態で、定着させるのに難渋し、厚塗りになってしまったためです。


 後ハメ加工はしていないので、後ろから見ると接合部が丸見えです。ただ、ランナー切り離し跡を消す際に、フィニッシングペーパーで削りすぎてしまったためかもしれません。


 濃いグレーの部分はブラックグレー(116)です。タイヤブラック、エンジングレー、ファントムグレー、ジャーマングレー、ニュートラルグレーのどれにするか迷った末、この色に決めました。
 全体の墨入れにはガンダムマーカーの墨入れシャープペンを使っています。この商品、かなり使えます。細かい筋や隙間用としては、という注釈がつきますが。


 ザ・裏側。タンク状のパーツは色分けを行っていません。代わりに、艦橋窓と同じくエナメル塗料のクロームシルバーとクリアグリーンの混色で、砲塔前の四角いモールドを塗ってあります。
 メイン色がラッカーの場合、こうした細かいところにはエナメル塗料を使うと便利です。はみ出してもエナメル溶液で拭き取れますからね。


 ここまでの写真で気づいている方はいると思いますが、艦橋窓以外の本体塗装を完了した後に、フラットベースのスプレーを吹いてあります。


 前回は色が落ち着きすぎると思ってやらなかったのですが、設定色のまま塗る場合でもやった方がいいと思います。かなり質感が異なります。


 ここで比較画像です。撮影者の腕も関係していますが、それを差し引いても全体的に落ち着いた印象があります。あやなみの方は塗装そのままで半光沢スプレーは使用していませんが、赤がかなり明るく見えます。元が半光沢の塗料は大体こんな感じなので、筆塗りの場合は作りたいイメージに合わせて最後にどのスプレー(つや消し、半光沢、光沢)を使うか選ぶとちょうど良いようです。


 そんなわけで、独自解釈による改磯風型突撃宇宙駆逐艦でした。
 困ったのは艦名で、既存のシールの切り貼りでは使える文字が限られるため、番号やUNの記章も含め今回は全く貼らないことにしました。

 あえて設定を付け足しておくなら、主機関の出力向上と艦内電子装備の強化による人員の削減。艦橋内部にスクリーンを設置することで上部を装甲化し、生存性を高めつつ機動力を増大させた改良型。
 主砲は主に艦載機や魚雷などの実体弾の迎撃用で、自らの攻撃は艦首の魚雷発射管にて行う。強行偵察及び、旗艦の直掩を任務とする高機動宇宙駆逐艦のテストベッドとして試作された。もしも、イズモ計画が実行に移されていたら、護衛艦として同行する予定だったフネ。
 ワープできないこの艦はお蔵入りとなり、ヤマトが波動エンジン始動前に主砲を撃つためのエネルギー供給源となり、最初で最後かもしれない役目を果たした。
 といったところでしょうか。


 ここからは余談なのですが、初代『宇宙戦艦ヤマト』から受け継がれている赤・白・黄の三色構成。自分でカラーバリエーションを考えてみて、2199で艦形を変えずにバリエーションを増やした苦心がようくわかりました。
 初代で色指定したひとは、シルエットと色のバランス感覚に秀でた人だったのでしょう。
 キットによって多少差異はあるのですが、この艦は単色で塗ると味気なくなり、あくまでも主観ですが黄色を嫌ってこの色を同色の白にすると悪い意味で地味になります。わざわざ二種類の白を使った理由はここにあります。
 オーソドックスなオリジナルカラーとしては、水上艦と同じ上下二色構成があるのですが、このキットの場合は各部のエッジが効いているのとマスキングが面倒なので、考えたあげくこうなりました。
 ぶっちゃけ、100系新幹線みたいですね。

 いまさらですが、ラッカー塗料はクレオス、エナメル塗料はタミヤです。二つの白のうち暗い方の漆喰色は、本来城郭プラモデル用ですが、これ白としては絶妙なバランスでして、下地色によって使い方の幅はかなり広がると思います。自分も全く違う用途に漆喰色を使っている作例を見て、この色を導入してみました。

 最後に無改造でかつ筆塗りでこのキットを作ろうとしている方は、下地にサーフェイサーは必要ないです。ただ、黄色については下地にサンディブラウンを塗ってからRLM04イエロー(113)を塗ることをお薦めします。ひと手間かかりますが、効果は大きいと思います。

『指輪をしたアンドロイド\観測者の歯車』AMPERSAND YOU

 nkさんとこの二枚目のCDです。

 実物はこんな感じ。小さな手はうちの神姫(ストラーフ1st)。詳細はこちら


「指輪をしたアンドロイド」

哀愁さえ感じる歌詞はやがて、きわめてシニカルな物語を顕わにする。

うっかり見逃すところだったのだけど、「君」がいったいどんな姿をした「ひと」なのか、合成樹脂の肌を持つなにかという事以外一切明記されていない。

人間から小さなブロックまで
感情があれば『ひと』とされるこの時代で

この前提があるので、上記に事に気づいてしまうと「君」の不明確さが少し恐い。
「合成樹脂」という音韻から個性重視という言葉を想起したのだけど、これは狙ったのだろうか。
「無個性な私〜どうかしてると思う」の部分こそ、この歌の視点である「私」の個性の表れだと思った。
さらに「愛らしいそばかすのある人間の少女」が「私」と「君」、それぞれの対比になっているので、「人間に模した姿」を持つ「私」の姿形さえおぼろげなものとなる。

このいまにも崩壊しそうな組み合わせを支えているのが、Annabelさんのボーカルで、逆にそれによって整合性が取れているので、上記のことに気づかないままでいたかもしれない。
それも、素直にアンドロイド=人間を模した姿の人工生命体と捉えた場合の話で「私はアンドロイド」と強調しているところから、アンドロイド=男性形/ガイノイド=女性形という見方から、女性視点ではなく男性視点ではないのかと思ってしまうと、さながら自分が読み落としたのではないかと本のページをめくるような思いに駆られる。
実にSF(アン・マキャフリィとかジェイムズ・ティプトリー・ジュニアとか)らしいシニカルさにあふれた歌だと思う。


「観測者の歯車」

存在が消え去ることそのものには、一瞬も途方もない時間の経過も変わりない、という結果のみ注視した事実と結果に至るまでの過程から思い知らされる現実の対比は、後者の尊さを強調するとともに残酷ですらある。

最初は比喩として出てきた言葉が、そのままの意味で出てきた際、君を思う視点となる誰かのことを思うとせつない。
さらに、茶太さんの歌声が消え入りそうな言葉に儚さを添えている。

「指輪をしたアンドロイド」に対して、こちらはストレートなので続けて聴くとさらに言葉が染み入る。



 息抜きに模型(HG モンテーロ)を作りながら流していたとき、思いついたことを書いてみただけだったりします。 とはいえ、書いている内容は真面目ですよ。
 一枚目の『宙を巡る君へ』は、本人に直接感想を話したので、あえて書くまでもないかなーというのは言い訳で機会を逸してしまっただけです、はい。
 何気に、昨年は余裕なしなしのぎりぎりかつかつで回していました。イベントに行っていた、と言うよりはイベントに逃げ込んでいた風情でした。
 今年はそうはならないようにしたいなあ。

『日本史C〜すごくあたらしい歴史教科書』史文庫/中世編〜近代編


 全一八篇の短編からなる歴史小説のアンソロジー集。この通りキャンパスノートと一緒に置いても違和感がありません。
 詳細はこちら
 前回も書きましたが、半分は私自身の思考メモなので、何様だお前は、というくらい容赦がないです。今回は中世編から最後の近代編までです。

 中世編より前はこちらにまとめて書いてあります。


・中世編(鎌倉時代〜戦国時代)

すと世界『業火に咲く花』
 本文中で結構丁寧に説明しているのだけど、これは無理、予備知識がないとその説明も入ってこない。たぶん、内容には入れずによくわからない、という人が多かったのではないかと思う。教科書としては優れているとは思うけれど、小説を読むつもりで読もうとすると理解は難しいとも思う。
 鎌倉幕府開幕より源頼朝が没してから北条時頼時宗の父)が執権になるまでの間、御家人同士の間で血みどろの争いが行われていたことは、あまり知られていない。なぜかというと、通常、日本史の授業では教えないから。
 まず頼朝から三代の源氏将軍が絶えるまでの間に起きた抗争があって、次に北条氏が実権を確立する過程で起きた抗争があるのだけど、今回の三浦光村の三浦氏は後者の方で、北条家にこれという人物がいない時期のためか非常にマイナー。
 私も学生時分に史学科の友人が多かったのと、教職を取る過程でたまたまその付近の知識を持っていたので読めた。読めたけど、読む態勢に入るまでがわりと時間がかかった(気分の問題)。
 驚いたのはページを繰っていて、突然の名言が現れたことだった。
 三浦光村が崇徳院崇徳上皇が流刑の後出家した際の名)と対峙した際の会話。地の文で、亡霊とも幻影とも正体を一切明言していないところも素晴らしい。

「恐れながら申し上げますれば、保元の戦は遥か昔、敵も味方も既にこの世になく、弟君でいらっしゃった後白河の仙洞(後白河法皇)も、亡き鎌倉の右大将(源頼朝)も、幾度もその御為に法要を行い、白峰(讃岐国白峰山=現香川県)に立派な御陵を建てられましても、まだその恨みは尽きぬというのでしょうか」
「補陀洛山(恐らく和歌山県補陀洛山寺)の蓮池のほとりで微笑むも朕、この世に仇なし、ぬしの前に現れるのも朕、現世の者たちがそう思う姿に朕は現れる」
「ならば、その御身は現世に生きる者どもの幻にすぎぬというのでしょうか。我らがその心を強く持てば霧になって消えるのではございまするか」

 (中略)

「笑わせるな、犬よ。怨霊、魔縁、鬼の類は人の宿業。人が生きる限り逃れることは出来ぬ」

  本文186、187ページ
   ※括弧内は引用者の補記。

 思わず笑った。それ書いた。私も書いた。鬼を描いた歌詞にそう書いた。
 ですよねー。姿が見えなくとも、行いは巡り巡って己の元へ返ってくる。それがどんな形であるにせよ。
 崇徳院が光村を犬と言っているのは、三浦氏の行いから「三浦の犬は友をも食らう(本文179ページより)」と言われていたことに起因します。別段、見下しているわけではなく、犬呼ばわりされることが光村ひいては三浦氏が負った業だと、遠回しに言っているわけです。
 現代社会では、なにかやらかすとすぐさま社会的制裁が機能するのですが(わかりやすい例では飲酒運転したら免停とか)、そういう社会が存在しなかった時代では、因果応報という言葉通りいつか報いを受ける日がやってくるわけですな。
 だから、宗教が必要だった。すがるなにかが必要だった。それを瞽女(ごぜ:盲御前(めくらごぜん)という敬称に由来する女性の盲人芸能者。本来は旅芸人)であり仏道に帰依したらんという女の存在と念仏によって描いていると思いました。
 あと、題名の『業火に咲く花』のですが、作中に火焔はほぼ出てこないのですが、業火の「火は非、音読みして罪科の科」、花は「浄土に咲く蓮の花、すなわち念仏」という解釈が成り立ちました。
 鎌倉時代が好きな方は四の五の言わず読むべしです。
 私が挫折した『吾妻鏡』を読了しているからは言わずもがなでしょう。


向日葵塚ひなた『歌え、連ねよ花の笠』
 南北朝統一後の室町時代初期、農民一揆が多発した時代。解説にもあったとおり、一揆というと貧困の末ににっちもさっちもいかず年貢が納められないばかりか借金返済もままならない状態で村落全体が共謀して起こす暴動という先入観が強く、実際私もこの先入観に囚われていた。高校までの日本史では、一味神水血判状のごとく書かれているので、そうした先入観を持たせやすい。
 ところが、実際読んでみると、一揆の本来の意味に遡って一蓮托生覚悟の一致団結、村の再建のために方針を定め協力する人々の姿が描かれていて、非常に勉強になった。考えてみれば、この時代は武士も農民と同居していた(早い話が用心棒である)時代なので、総じて識字率や学識が高いレベルにあった時代でもある。

 一味神水の項目に、そもそもの謂われを記すべきだと思いました。どんだけ左寄りなんでしょね、日本の歴史教育は。貧困に虐げられる持たざる人々が搾取する持つ人へ反旗を翻す(うぇー)。こういうのを美談じみて語る教育を白い目で受けていたので、なんというか救われた思いがしました。
 この話では村の財源である温泉(道後温泉)の源泉が枯れたことに端を発し、年貢を取り立てに来た武士と交渉をする場面も出てくる。悪い意味で泥臭く血生臭い一揆の印象は全くなく、神泉が絡んでいるためか見苦しい内輪もめも出てこない。それどころか、年貢を取り立てに来た武士と交渉する場面すらある。あと、村の権力者(正確には立場的なものであって、権力をふるっているわけではない)も村の一員として描かれているのが好印象で、最後のシーンでそれがはっきりと伝わってきました。
 折しも、東日本大震災の復興の最中(いまもですが)に、芸予地震(これは頻発しています)が起きたた時期で、解説にもありましたが人々の繋がりや協力することで生まれる強い力が描かれていました。
 あと、読み始めたときにこの流れなら、歌が入っているといいなあ、と思ったら……。
 まあそういうことです。良い意味で予想を裏切られて楽しんで読めました。


上住断靱『銀蛇』
 時代は織田信長が台頭し天下人への道を歩き始めた頃。忍者で有名な伊賀が舞台。なんというか、歴史小説らしい話だった。解説にもあったとおり、諸説諸々あり真偽定かならぬ部分も多々ある人物を取り上げているためか、「銀蛇」こと百地三太夫が出てくるとどうにも作り物くさい感じがする。実際、忍術(策、軍略のたぐい)を使っているので、登場人物が状況を作っているので間違いではないのだが、いまひとつ腑に落ちなかった。

 内乱の最中にある伊賀十二家がひそかに手を結び、討つ敵は織田信長の三男・悪銭《びだせん》という不名誉なあだ名を持つ信雄とその腹心達。実際、信長の死後のお家騒動でも、家康を味方に引き入れながら結局のところ秀吉の懐柔策に乗ってしまう……担ぎがいのない神輿という認識があったので、信雄勢のチョロさ加減は「戦乱の世を甘く見てんじゃねーよ(全国各地より)」といった風情で滑稽です。
 しかし、終盤の合戦が序盤のそれと比べると、いかにも芝居くさく感じられてしまうのは否めませんでした。ただこれは最後に付記された百地三太夫という人物の不明確さ。専門の歴史学者も判断に迷うという記録を逆手にとって、忍術(オカルトめいた意味での)を演出してしまう作りは面白かったです。


・近世編(江戸時代)

狩野みくず『奥州女仇討異聞』
 下敷きになっているのは『碁太平記白石噺(ごたいへいきしろいしばなし)』で作中にもあるとおり、文楽や歌舞伎の演目にもなっているが、それらは浄瑠璃の「碁太平記白石噺」からの派生らしい(調べた)。
 江戸時代初期、三代将軍家光の治世で、武力を背景にした武断政治が行われており、お家取り潰しなども珍しくなく浪人の数が増加していた時代である。
 浪人の増加はこれ以前の慶長(大坂夏の陣のあった頃)、寛永の頃(宮本武蔵が流派を確立した頃)から起きているのだけど、治安に関してはその専制政治ゆえに比較的良かった時代でもある。他にも島原の乱を受けてのキリシタン弾圧の強化や鎖国の徹底化と、より日本が閉鎖的になっていった時代であり、役職に就いている武士はふんぞり返って「切り捨て御免の無礼うち」がまかり通っていた。そんな背景を舞台にした物語。
 なのだけど、あえて言葉を選ばず言ってしまうと竜頭蛇尾
 姉妹のうち姉が動作を通じて魅力を描きだしていて、期待が最高潮に高まったところで、小説としてのお話しは終わってしまう。正直なところ、なにを伝えようとして、なにを描こうとしていたのかがわからなかった。

 起承転結なら起から承に入ったところで終わっていて、序破急ならば序だけといった風情で、主要登場人物の特徴や性質が見えてきたところで、いきなり解説文調になり、そのまま終わってしまいました。
 このお話しで出てくる最大の著名人は、由井正雪なのですが名前とやったことが解説文のような内容で、期待してしまっただけに残念でした。べつに殺陣などがなくても、由井正雪と姉妹を直接会話させるだけでも十分面白いと思いました。由井正雪も色々といわくつきの人物なのだけど、それだけではなくて複雑な家庭内の事情抱えているなど、通常の歴史教育では教えない人間味の多い部分を持ち合わせていたりします。
 奥州に関しては伊達家、その他真田や風魔の血といった美味しい要素を含ませながらも、ほとんどチラ見せで終わってしまいます。
 なんらかの事情で、本来の完成形まで描けず、著者としては未完成ながらも完成作品として収録できるかたちにした、というのであれば理解はできますが、読者としては残念の一言に尽きる一作でした。


庭鳥『白い脚』
 多くの人が江戸時代と聞いて想起するものの多くは、この元禄年間に集約されている、と言っても過言ではないと思う。徳川将軍家の治政が盤石のものとなり、町人文化が花開いた時代。日本史ではなく現国の文学史にしても、江戸期の作品はおおよそこの時代のものが多い。
 心中事件、物書きの門左先生、浄瑠璃……とくれば、これが『曽根崎心中』、近松門左衛門を描いたのものであることは自ずとわかる。
 その描き方、見せ方がおそろしいほどに巧い。
 知っているあるいは憶えている人間なら連想ですぐ気づくだろうし、知らないあるいは忘れている人間にも、遜色なく伝わると思う。そしてなにより、知っていても新鮮に感じられるところが、先述した巧さ。
 共感しやすく、時代背景がそのまま背景として入ってくるので、歴史物と構える必要がない。
 なにより重要なのは、現在上演されている『曽根崎心中(の底本)』と原作には大きな相違点があることを小説のかたちで自然に伝えたことだと思う。

 さて、作者の庭鳥さんは、あとがきで「関東出身のため、上方の言葉になじみがなく、作中の会話がおかしな言葉遣いになっていますことお許しください」と書かれているのですが、これはむしろ正解だと思いました。
 関西の言葉遣いにするだけならともかく、この内容ならば我々が普段用いている言葉に近いこのかたちの方が伝わりやすいです。
 近松門左衛門をこれほど身近な存在に描けているのも、そうした会話における言葉遣いにあると思います。
 あと題名の付け方が巧妙です。まさかこういう内容だとは想像もつかないような言葉で、しかも内容とは無縁ではない、素晴らしい一作でした。


巫夏奇『二刀流の提灯男』
 時代は八代将軍吉宗の治政。享保の改革が軌道に乗り始めた時期。講談のような前口上があり、そこから物語始まる。……のだが、作者の意図がどこにあるのかがいまひとつ見えなかった。
 要するに『暴れん坊将軍』の時代なのだけど、この時代からしばらく大飢饉が続き、人々は自然の猛威と戦っていた時代でもある。だから、こうした荒唐無稽な話が語られていた、ということを描いたというのなら、なるほどとは思う。作品から時代背景が全く見えてこない。登場人物から地の文がほぼ完全に現代の一般小説で、時代小説風でもない。
 ただ、提灯男の正体とその出没背景は、浮き世の無情さを雄弁に語っていた。

 ぶっちゃけ、妖刀・雪斬の存在がなく十兵衛が源蔵から聞いた話から、事の背景を見抜いていくという筋だったなら、感想はかなり違ったと思います。提灯男についても荒唐無稽ではあるのですが、ことさらに存在感を強調していないので『番長更屋敷』の如き怪談話の雰囲気は感じました。
 言うなれば、雪斬はデウス・エクス・マキナです。
 それから言葉足らずのところが所々あって、娘と男が相思相愛の関係だったことが明記されておらず、いきなり実はそうだったという描き方をしているので、少々混乱しました。
 それから、二刀流はいずこに?


鋼雅暁『異国の風』
 黒船来航により鎖国の終わり、そして江戸時代の終わりの波を感じさせられた。文体も時代小説・歴史小説の雰囲気を残しつつ、現代の小説の文章に近い微妙なバランスの上に成り立っており、必要な情報を適宜出しつつテンポ良く進む展開も含め、作品全体から時代の風を感じられた。
 全体の分量は少ないため、物足りなく思う読者もいると思う。しかし、これまで約三百年間もの間、鎖国を続けて世界から引き籠もっていた日本が、否応なしにしかも性急に外の世界へと目を向けなければならなくなったのがこの時代。
 事情通の太一郎にしても状況を完全に把握しているわけではなく、一刀流免許皆伝の腕を買われてオランダ人警護の助太刀を頼まれた英次郎に至っては、なにがなにやらわからない。
 京都では尊王攘夷派と佐幕派が血みどろの争いを繰り広げ、江戸でも安政の大獄吉田松陰をはじめとする多くの志(それが正しいかどうかはさておいて)ある人々が圧殺されているのだが、戊辰戦争慶喜が大坂(この時代は大阪ではない)脱出するまでは、言葉は悪いが関東は世間知らずの人々の方が多かった時代でもある。黒船来航時に描かれたペリーの絵がいい証拠である。
 英次郎はそうした一般の視点を表し、かつ純粋な好奇心を持つ若者として描かれており、もしかしたらこの時期に外国へ渡航した武士を意識したのではないか、と思わされた。
 結末は吉田松陰(※)が果たせなかった外国への渡航の可能性を示唆しているようでもあり面白い。

※実はこの人、ペリー来航時に黒船に潜り込んで密航しようとして、本人と談判するところまで行ったものの、両国間の関係が極めて微妙である状況を重視した米国側の判断で送り返されている。この後、吉田松陰と同行した弟子は投獄され、後に松陰は松下村塾を開く。なお、ペリー本人は松陰の心意気を高く評価していたらしい。
 ちなみに、幕末の人物ならば高杉晋作がいちばん好きです。

 いささか時代遅れとなりつつある侍の気風を持った御家人次男英次郎と、昨今の事情に通じたやくざのふとっちょの親分太一郎のでこぼこコンビの関係が見ていて滑稽で微笑ましかったです。話の進み方が私の大好きな池波正太郎先生の『剣客商売』を彷彿させるところがあり、そこも非常に好みでした。
 あと、端役で出てくる英次郎の母親お絹をはじめとする人物がしっかり描かれていて、登場人物に人間味を感じられます。御家人の家である英次郎の自宅に畑があり、鶏を飼っているというのも、この時代の下級武士の生活を反映していますね。これもただあるとかいると書くのではなく、鶏が太一郎に懐いている描写があるなど、生活感がにじみ出ており好感が持てます。
 剣戟の場面があっさりしているのは、むしろこの人が上手い証拠で、実力が拮抗していない限り、立ち合いは一瞬で決まるものだからです。この交錯をいかに少ない言葉でかつ適切に、勝者の強さを表せるかは殺陣を描く上での大きなポイントだと思っています。
 いよいよもって、自分達の生きている時代に直結する過去を描かれている感触があり、楽しく読めました。


・近代編(明治〜昭和)

なぎさ『海より深く空より青く』
 日本最大の内戦である戊辰戦争の最中、彰義隊で知られる上野戦争から始まり、新撰組十番隊隊長原田左之助馬賊伝説を絡めたお話し。大筋はこの通りなのだが、わけがわかならないまま話が進んでしまう。
 視点が柚子という武家の娘の一人称で、周辺事情を京都で新撰組隊士と交流があっという兄から聞いた話以外ほとんど知らない。そのため、わけもわからないまま否応なしに、時代の波に翻弄される状態を体感させられた気がした。

 これ、まずもって上野戦争原田左之助について知らないと、完全に読者は置いてけぼりになります。そして、永倉新八戊辰戦争後の来歴を知らなければ最後の最後までわけがわかりません。難易度が高すぎます。
 また柚子の一人称であるにもかかわらず、その心情が読み取りにくく、行動原理がいまひとつ見えてこないんですね。どうしてそこでそういう行動を取るのか、というごく単純な動機が稀薄でした。
 いっぽうで話の筋ははっきりしているため、物語を進行させるために登場人物を作者が動かしているような気がして、最後まで一切の共感ができませんでした。
 ただ一点。歴史を描いた作品としては、わけもわからず流されるしかない状況とはどんなものなのかは良く伝わってきました。


アルト『沼辺に佇む』
 明治が終わり、元号が大正へと変わった頃。元老という権威的な印象の強い西園寺公望の政治家でも公家の末裔でもない姿を描いた作品。会話の相手である原は立憲政友会原敬。本文には日清・日露とまとめて書いてあるが、陸軍が強気になったのは日露戦争での大陸進出成功が起因している。
 ぶっちゃけ、これが災厄のはじまりで、日華事変(日中戦争)や太平洋戦争も全部ここに繋がっていると言っても過言ではないと思う。というより、アメリカの外交戦略を抜きにしても、近現代日本のターニング・ポイントは日露戦争にある、という話を学生時代に歴史好きの友人と良く話したものだった。
 本文にある陸相の辞任は、当時の内閣にとって大打撃であり、第二次西園寺内閣は相当追いつめられた状況にあったのだけど、ここで内閣総辞職を行ったため、陸軍は支持を失い後に大正デモクラシーと呼ばれる波がやってくる。
 この間隙をさらっと描いた短い作品。

 やっと文明の香りがしてきて、主催の唐橋さんに「その時代がお好きなら是非に」と薦められた理由がわかりました。明治の終わりから大正の初めの戦争がない時期は、混沌としていて非常に興味深いのです。この作品の時代なら、浅草には十二階こと凌雲閣があり、数年後には東京大正博が開かれます。
 しかし、その背景はきな臭く、人々はこれから来る嵐の前の静けさを感じ取っていたのかいないのか、様々な文化が花開きます。
 実は私、大正浪漫という表現が好みではありません。なぜかというと、歴史を都合の良く見ているような、綺麗な部分にだけ目を向けているような気がするからです。
 先に日露戦争が日本の近現代史におけるターニング・ポイントと書きましたが、二つ目がすぐ後に来ます。第一次世界大戦が終わり、一時期好景気へ向かい始めた日本に第二のターニング・ポイントである関東大震災が襲いかかるわけです。
 作品に話を戻すと、短いわりに骨太の内容で作中で西園寺や原が吸っている時代の空気を感じさせられました。西園寺と明治天皇の良い意味での親しい間柄が見え隠れする発言や、良く物忘れをするとか原に「細かいことは言いたくはありませんが」と前置きされた上で「あなた使っているのは、私の万年筆です」と苦言を呈されるのは微笑ましくすらありました。しかもこの万年筆のくだりはただの雑談ではなく、明治二年に西園寺が官位(公家出身の華族のため官位を持っている)を返上して望一郎と名乗ったことに繋げている辺りもおいしいです。もっともこれは知らなかったので、調べたのですが調べてみたいと興味をそそられる内容でした。
 最後に趣味の話をちょっと書かせて貰うと、海軍が主張していた戦艦三隻の建造とは、おそらく金剛型(この時点で金剛はすでに起工しているため)の比叡、榛名、霧島、のことではないかと思われます。

 ところで、『ゆる本Vol.18』に出した拙作『眩窓純喫茶一九一三』をこの後に置いても違和感がないと思うのですが、それは私の思い上がりでしょうか?(苦笑)


保田嵩史『端倪すべからず』
 説教強盗? 知らないなあ……と調べてみたら、説教強盗・妻木松吉事件なる人物が見つかった。作中の登場人物の一人東朝新聞(東京朝日新聞)の記者である三浦守は実在の人物で、作家三角寛と同一人物なのだそうだ。
 この説教強盗の手口については、作中に描かれていたのでわかったのだけど、そんなものが実在したのか気になったので調べてみたら出てきたのが刑事記録。大正末期、昭和改元頃まで来ると、事実をもとにした小説を書くにもどの程度、どの様に脚色するかが肝になってくるのだが、これは一本取られた。
 最初は関東大震災から復興しつつある東京で起きていた知られざる犯罪を描いた物と思いきや推理小説の色を帯びていき、作中にある「謎」は前提の決めつけから盲点となっていた事実だった。
 これは時代を反映していて、あの職業はそういう目で見られることもあったのかと思わされ、三浦守らがカフェ深読みしているところにあの人物を出したのは恐ろしい手管だった。

 この作品、とんでもない人物が出てきます。登場するなりわかります。私は思わず噴き出しそうになりました。その時代にいる人間なのだから、状況さえ揃えばひょいと出しても不思議ではないのですよね。なにを書いてもネタバレにしかならないのですが、要素の組み合わせ方が非常に上手いです。そこにあるものをとことん活用する手腕が悔しいくらいに巧いです。特に桜の……あー、あー(書けない)。
 いっぽうでアカ狩り(共産主義者弾圧)や復興景気はあったものの、そんなの焼け石に水でしかない、という時代背景もしっかり書いてあり隙がないところも好感触でした。
 いよいよ時代は激動の昭和へ突入する、その直前を捉えた良作でした。


 以上にて『日本史C』、読了しました。
 歯に衣着せぬ物言いで好き勝手書きましたが、ぶっちゃけ本当に興味が持てない、つまらない話には、なにも書きようがないのです。いちゃもん付けているように見えても、じつはそれだけ物申すと思わされるだけの力が作品にあったから書いてしまっただけです。
 突っ込みどころがある作品でも、突っ込むだけの気が向かなければ何も描きません。
 そんなの時間と心の無駄遣いだからです。
 これは、自分が言われる立場になった際はなにを言われても構わない、ただし悪口雑言は別にして。という私のスタンスから来ています。
 だから、私の作品に対しても――とくにお金払って買った物なら(合同誌やCDの歌詞含む)――好き勝手言ってくださいませ。


 この『日本史C』に参加された方にお薦めなのは、拙サイトにある『誰かあの鬼を知らないか』という東方プロジェクトの二次創作小説です。二次創作小説ですが、原作を全く知らなくても読めます。
 鬼、妖怪、巫女、五行思想、言葉遊び……そういうものが好きな方には、全般的にお薦めできます。

あやなみ・磯風型突撃宇宙駆逐艦綾波(宇宙戦艦ヤマト2199メカコレクション)

 先に書いておきますと、本体は素組みで、表面処理と塗装をしただけです。



 デカールに「あやなみ」の艦名板を見つけたので、雪風ではなくあえて綾波を作る辺りがひねくれています。ちなみに、本編のどのシーンで出てきた艦かというと、第一話のメ号作戦で陣形を組む地球艦隊の旗艦きりしまの右舷から前へ出て行くゆきかぜと同じカラーリングの艦がそうです。同型艦の中では最も艦橋部分が外観からアップで映った艦でもあります。



 こんな感じですね。本編をよく観察しているとゆきかぜ同じカラーリングの艦で艦名がわかるのはしまかぜなのですが、艦橋の後ろの部分はモールド表示なのに対して、あやなみだけは一色なんですよ。モデルになった帝国海軍の白露型駆逐艦綾波も好きな艦だということもあります。



 右舷側から。劇中では艦橋上部のアンテナはもっと細いのですが、いずれにせよ正面が主砲の死角になるという設計はどうかと長年思っていたのですが……(続く)。



 左舷側から。(続き)実際これを作ってみると砲身がない砲塔なので、下手に底上げするとバランスが崩れて美しくないのですよね。



 艦尾。設定だとY軸の安定翼(?)の長さが上が短く、下が長いらしいのですが、このスタイルでも十分格好良いので気にしません。



 艦上面。突起物が多いように思えて、非常にすっきりしたシルエットを持っています。アニメ側のデザインが多少リファインされたこともありますが、昔作った旧メカコレの古代艦と比較すると艦体と砲塔のバランスが良くなったように思えます。



 ひっくり返すとこんな感じです。タンクの塗装が汚いのは後述しますが、この部分の塗装はかなり難しいです。下手にマスキングすると、境界面に塗料が溜まるからです。



 艦首から。艦橋の窓を塗るのには苦労しました。



 真っ正面。厚すぎもせず、薄すぎもせず、良いバランスですね。素組みででもこれくらいのシルエットは出せます。



 砲戦開始。高さが足りないのでガラス製文鎮を台にしました。



 艦尾から。劇中では描かれませんでしたが、やはりかの鬼神綾波のようにゆきかぜに負けず劣らずの戦いぶりをしたのでしょうか。



 さて、以下は製作過程です。
 ランナーからパーツを切り離し、タミヤ・フィニッシングペーパー(模型用紙やすりです)、600、800、1000、1200、1500、2000番を使い分けつつ切り取り跡を消します。
 最も良く使うのは1000番で、タミヤ精密ニッパーで切り離す限りは、これと2000番で足りるんじゃないでしょうか。2000番は最後のならしに使います。やらなくても大丈夫だと思いますが、自分はほぼ筆塗りのみで塗装するため、表面はなるべく均一の方がいいのです。



 サーフェイサー1500を噴いてから、塗装に入りました(じつはこれが今回最初にして最大の失敗)。
 最初に白(Mrカラー・漆喰色)と、一部をマスキングして黄色(Mrカラー・RLM04イエロー)を塗ります。このタンク部のマスキングこそが失敗その2です。



 黄色がなかなか乗らず悪戦苦闘しているところです。タンクのマスキングテープは、持ち手の固定も兼ねていたのですがそれだけで十分だと後から思い知ることになります。マスキングテープとの境界面に塗料が溜まってしまいもこもこになってしまったのです。
 しかも、サフを噴いてしまったために下手に溶剤で色を落としてやり直ししようとすると、艦本体と色合いが変わってしまうためにっちもっさっちも行かなくなったところです。結果、今回は強行することにしました。



 今回の失敗その3。艦橋の窓を塗る際に、ガンダムマーカーのメタリックグリーンが良いとあったのですが、同じラッカー系塗料なので塗装皿に出して筆塗りすると(直接は無理です)、色が乗らずに負けるんですね、下地になっている色に。その上、修正しようと溶剤を使う(綿棒に含ませて拭き取ります)と窓周辺も巻き込むという大惨事。
 艦首上部全体を塗り直す羽目になりました。そして四つ目の失敗を犯します。艦橋アンテナ部分と色合いが異なってしまったのです。同じ手順で塗装しているはずなのに、どうしても合わない。そこで、この後溶剤で本体の色を薄めつつ、ガンダムカラーのMSホワイト(UG01)をうすーく塗って誤魔化しました。
 この結果、完成写真のようにウェザリングをしていないのに汚しをかけたような色合いになりました。



 気を取り直して、エナメル塗料のクリアグリーンとクロームシルバーを混色して塗り直します。周辺のマスキングはきっちり。
 はみ出したところをエナメル溶剤で拭き取っても、これなら下のラッカーと干渉しません。最初からこうすれば良かった。というより、なぜガンダムマーカーを使ったのかといいますと、別のキット(大物と言うこともありいまだ未完成)を買った際に細部のこうした塗装にガンダムマーカーがいい、と某模型専門店の店員に勧められたからです。しかし、考えてもみれば、ラッカーとラッカーなのでこうなるのは目に見えていますね。最初に自分は「全て筆塗りでやる」と言ったにも関わらず……。



 気を取り直して赤を塗ります。これは比較的楽でした。使用したのは手元に残っていたガンダムカラーのレッド1。ガンキャノンの指定色と同じなので、いまは別名で売っていると思います。



 最後に墨入れをして付属のシールを貼ります(シールの位置決めがかなり難しく、やり直しが利かないので慎重に)。試しに買っていたガンダム墨入れペン・シャープというシャープペンシル式のものを使ったのですが、これが思っていたよりもはるかに使いやすく驚きました。なお、艦首装甲甲板(赤い部分)の先端部は、通常の黒の墨入れペンで行っています。当初は筆塗りをするつもりだったのですが、思っていた以上に細かかったのと艦体の白い部分の汚しっぽい塗装と併せるため、こちらを使用しました。



 書くのを忘れていました。あやなみの特徴である艦橋後部は、黒鉄色(エナメル)で塗装しています。
 また、最終的に半光沢かつや消しをスプレーするつもりだったのですが、思っていたより照り返しは強くなく、これ以上手を加えてまた修正点が出ると嫌なので止めました。
 撮影者の腕がないため、結構反射してしまっていますが、実際の照り返しは、強い光を当てない限りは目立ちません。



 いつもながら本当に黄色塗装は難しいです。というより、黄色って溶剤を使ってもなかなか筆から落ちないので嫌いなんですよね。
 しかし、この磯風型突撃駆逐艦なのですが、配色が絶妙なんです。劇中では三パターンの塗装が出てきましたが、色指定をした人は苦労したと思います。
 この艦は色が少ないと味気なく感じられ、悪い意味で地味な印象を与えてしまうからです。恐ろしいと感じたのは、初代宇宙戦艦ヤマトからの赤白黄色のトリコロールで、ハデといえばハデなのですがこの艦のシルエットにはマッチしていると思います。
 設定色以外で塗装する場合、小改造して多少ディテールを変えた方が良いと思っています。
 機会があったらゆきかぜでリベンジしたいですね。じつはオリジナルカラーで塗ることを想定して、すでにもう一個買ってあり多少出来ティールのいじってあるのですが、そっちはパーツを足すかもしれないのでゆるゆる作ります。
 ゆきかぜは、作るとしたら贈呈用かなあ。

 おそまつさまでした。