門田充宏『蒼衣の末姫』創元推理文庫

 

 一気に読んだ方が良さそうな気がしたので、最近の自分にしては珍しく一日で読み終えました(台風による雨で気分が憂鬱で仕方なかったこともありました)。
 個人的に、80ページくらいまで一気に読むことをお勧めします。
 ロースタートの物語ということもありますが、構造的にその世界でなにが起きているかを把握するのに少し時間がかかるためです。

 

 Web上のあとがきのよれば、原型はかなり昔に書かれた作品なのですが、偶然の働きなのか、感染症危機にさらされている現在の時勢を想起させるところがあります。
 得体の知れない化け物による脅威にさらされている人々、わずかな対抗手段と変異する敵、最前線とそれを支える後方との敵に対する認識の差、本人ではどうにもできない生まれに由来する他者との差異……ざっと拾い上げてもこれだけ出てきます。
 あとがきはこちら。

 

Webミステリーズ! : 門田充宏『蒼衣の末姫』(創元推理文庫)ここだけのあとがき

 

 読む前は「『空色勾玉』の大陸風版かな?」とか「冴木忍初期作品(『風の歌、星の道』)と同じにおいがする」などと考えていました。
 実際に読んでみると、後者の予想はそこそこ近かったものの、作風は当たり前ですが『記憶翻訳者』の流れを汲むもので、ボーイ・ミーツ・ガールの王道を行く筋立てながら群像劇の趣を持った作品でした。


 表紙の印象にたがわず、中国大陸や中央アジアの雰囲気がある世界と、とらえやすい部分がやや強調された向きのある人物の描き方は、金庸作品などの中国武侠小説に近い読み味があります。

 ボーイ・ミーツ・ガールと書いたとおり、Twitterでは『天空の城ラピュタ』を例に挙げる感想もありましたが、そうした一般受けしやすい側面に関しては「鬼と人との比率が逆転した『鬼滅の刃』ではないかな……」などと思いながら読んでいました。

 ただ私、そういした一般受けしやすい——実際に受けている(実績のある)——作品って、どういうわけか楽しめても熱中できないことが多いのです。
 昔はそれがコンプレックスであえてひねくれたり、大真面目に悩んだりしましたが、いまでは単純に〝そういう嗜好〟なのだろう、と割り切りました。
 楽しめない(皆が楽しんでいる気持ちがわからない)のだったら問題ですが、楽しめてはいるので開き直ったわけです。

 もちろん開き直るからには良いこともあるからでして、登場人物に過度に感情移入することになく一歩距離を置いて——少し冷めた目で——物語全体を見ることができるからです。
 とはいえ、面倒くさい質《たち》なので苦労もしますが……。

 

 帯の背に「何者でもない少女と少年の物語」という惹句《じゃっく》は、物語の核心を要約した言葉だと思いました。
 私なりに言い換えますと、世の人すべてではなく声の大きい誰かによって、それぞれ「役立たず」と決めつけられた少女と少年が出会い、一度ひとりになることでまだ何者でもない自分になる物語、となります。
 一度ひとりにになる、というのは、孤独という意味ではなくて、これまでの環境や周囲にいた人々から心的に離れるという意味です。
 キサと生《いくる》は、その出会いによって——全く未知の相手との関係を構築するうちに——それぞれ自分以外の誰かの価値観ではなく自分自身の価値観だけで自分を省みるときが訪れます。

 こうした内省的な部分は『記憶翻訳者』でも見られましたが、キサと生が触れてきた世界が狭く——得られる情報がきわめて限られている——既存の知識を借りることもできないため、より切実なものになっています。

 

 上記の面倒くさい質ゆえに、作者の意図まで読んでしまって、たとえばクライマックスで必死に奮闘する生の心の声は「こちらの感情を揺さぶろうとしているな」などと構えてしまうのですが……。
 クライマックスまで来ると、この作品に含まれている要素——登場してきた様々な物や登場人物の背景にあるこれまでの人生——に、なにひとつとして無駄がないことを気づかされるので、深読みはしつつもわりと夢中で読んでいる自分がいました。

 これは、本当に上手いと思うところでして、限られた条件で限られた時間(この場合は分量の意味)の中で、なにを見せてどう扱うかが明確で、かつ人物の動きに作為が見られず、状況もまた必然のものだったからです。

 

 強い個性を持つサブキャラクターが登場するのも本作の魅力のひとつでして、中でもサイとトー(サイトーさん?)と朱炉《しゅろ》と亦駈《またく》の掛け合いは、なんてことはないやり取りから重要な話に発展することがあり、作品の雰囲気を保ったままコミカルな面を出していたと思います。

 逆に少し残念な扱いだったのが、キサの歳の離れた実兄ナギトでして、本文の中で明確に「兄」という記述がないのです。このため、〝蒼衣筆頭(冥凮《みょうふ》に対する人類の切り札にして一族の長)〟だとか、〝過去から伝わるすべての蒼衣よりも強大な力を持つひと〟といった立場や評価に人柄が埋もれてしまっていて、対応するキサの持つ側面が〝蒼衣の力をほとんど使えない役立たずの捨姫《すてひめ》〟だけになってしまうため、ナギトがどういった心境で実際的な話に徹しているのかがわからないのです。

 地の文で書く代わりに説明台詞を話しているように覚えて、「誰だっけ?」とカバーの折り返し部分にある登場人物一覧を見たら、「キサの兄」と書いてあったので、上記のような疑問だけが残りました。


 また、サブキャラクター達は、主人公達の変化に強く関わっています。


 キサは、自分を護る末姫衆とはぐれて一人になり、もともと最前線の戦場にいた経験も相まって、生《いくる》に助けられてからは生きることに前向きなっていきます。変化の呼び水になっているのが、生と同じいわゆる捨て子である幼い紗麦《さむぎ》の存在でした。


 生《いくる》は、キサと出会う以前は利他的なあやうさがあるのですが、育ての親であり医師でもある老婆・恙《うれい》が強烈な生の印象を与える人物でして、これが前半では彼のあやうさを補い、後半では独り立ちする助けになっていました。


 個人的に好きなキャラクターは、ノエと出番は少ないのですが護峰《ごほう》です。

 ノエは、末姫衆の見届け役(情報収集)にしてキサの近衛役で、その役目ときわめて理性的で現実的な物の見方から「あんたは特殊戦か(『戦闘妖精・雪風』)」と突っ込みを入れていたら、とんでもない女傑であることが判明してたまげました。

 護峰《ごほう》は、卓越した知略という異能を発現したがゆえに、幼いながらも今回の主な舞台となる三ノ宮を構成する五つの町のうち三つを任されている基地司令のような役目を任されている女性です。

 私は面倒くさい質を持つがゆえに、己の嗜好には正直です。

 

 この世界には、我々の知っている人間と動物などの他に、冥凮《みょうふ》とも異なる仔凮《つあいふ》という異形の生き物がいます。仔凮は例えば動物みたいな種の総称でして、そこかららさらに様々な能力を持つ種に分かれ、人間に飼い慣らされ家畜や道具のように使われている生き物です(ただし、有り様としては共生と言うほうが近い)。
 外見上の最大の特徴が「陶器のような白い体表」を持つことと、同じくどの種に共通する「二つの真円の黒い目と小さな丸い口(感覚器)」です。
 強引に文字で表すと「(・.・)」な感じでしょうか?
 これが、伝書鳩の役割を果たす小さな飛信《ふぇいしん》から、さながら飛行船のように巨大な空に浮かぶクジラのごときタイクーンにも共通するわけですから、冥凮《みょうふ》の脅威にさらされているヒリヒリとした世界なのに、どこか間の抜けた絵面がアンバランスで面白いです。

 

 造語が多い作品でもあるため解説がTwitterにアップされていますが、その漢字の読みが日本語だったり中国語だったりして一定していないのもこの作品の特徴です。
 同じ言葉を話して同じ文字を使っているのにちぐはぐなところがあるのは、秦による天下統一前の春秋戦国時代、六国ごとに字体が異なっていた——中には一国の中で19の字体がある例まで存在した——中国のようです。

 というのも、冥凮《みょうふ》の脅威に立ち向かうため、人々が軍事、工業、商業、漁業、農業・畜産業、学術研究、と大きく分けて六つの分野に特化しつつ、その力を一点に集約するために結束している世界なので、結束はできたが無理矢理すり合わせた部分があるのだと思います。
 もしも、人類が一致団結できたとしたら……と考えたとき、多数決的あるいは勢力比的に完全な言語統一がされるよりはるかに現実味があります。これをあえてそうとは語らないところに、現実味が出ているのだと思います。
 ただ、読者としては造語に加えて日本語読みと中国語読みが混在するので、節ごとではなくもう少し頻繁にルビを振って欲しかったところはあります。

 

 地図が載っていないこともありますが、位置関係が掴みにくいところがあります。ただこれは、北方に冥凮《みょうふ》の領域である骸の森があり、凮川《ふうちゅあん》という大陸全土——少なくとも本編で登場する範囲全て——に渡っている大河の流れが西から東ではなく東から西とあり、さらに南方に海がある地形(それも島ではない)に馴染みが薄いためだと思います。
 実際、読んでいて世界の全貌が見えてこなかったのですが、「南方に海がある」という記述を見たとき「インド北部やパキスタン付近の地形を想定すればいいのか」と気づいて、そこからようやく現実味が感じられるようになりました。
 つい先日、作者の門田さんがアップした『蒼衣の末姫』に登場する主な地域の地図を見ると、この想定でほぼ間違いなさそうです。

 

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 最後まで引っかかったまますっきりしなかったことが、ひとつだけあります。
 それは、「廣《ひろ》」という長さの基本単位です。
 現代日本人の感覚で言うところのメートルに相当する使われ方をされているため、表現や描写から割り出すのが極めて困難で、どの程度の長さなのか掴めません。
 本編1ページ目から出てくるため、ここで引っかかってしまうと(詰まってしまうと)物語に入りにくくなり、個人的にはかなり厄介な言葉でした。

 読みながら調べたところ、廣という単位はコトバンクweblio国語辞典、WikipediaGoogleのいずれでもヒットせず(iPhoneに入れてあるアプリ)、代わりに「尋《ひろ》/1尋=約 1.818メートル」という旧尺貫法の単位がサジェストされました。

 しかし、造語が多いだけに「廣=尋《ひろ》」なのか判然せず、距離の単位として「里《り》」が出てきて、この里と同じように距離にも適応されるためでした。

 ここが曖昧だと「1尋=約 1.818メートル」という認識が弱くなり、結果として知識のロードと想像のスピードが合わず、読書のリズムが崩されてしまいます。

 そこで、提示される数値よりも感覚でとらえらえる部分以外は、やむなく「1廣=1メートル」と雑に換算して読んでいました。作品に対して失礼なので、誉められたやりかたではないのですが……。

 『記憶翻訳者』では不鮮明さを覚える部分はあっても、それが原因で引っかかることはなく、引っかかる場合は必ずなんらかの意味があったので、ちょっとすっきりないところでした。