宮川道人、難波優輝、大澤博隆『SFプロトタイピング SFからイノベーションを生み出す新戦略』早川書房

 

 

 『SFプロトタイピング』に興味を惹かれたのは東洋経済オンラインに引用されていた冒頭部のシンギュラリティについての一節。買う決め手となったのは、既に購読していた人がアップロードしていた「SFプロトタイピングに役立つフィクション」の図に、『接続された女』と『電脳コイル』があったからだ。

 前者については、

  より最近では、人工知能(AI)の技術的特異点(シンギュラリティ)の概念が好例である。シンギュラリティとは、AIが発展して賢くなり、技術やサイエンスの担い手が人間からAIになると、技術の発展に不連続で予測不可能な段階が出るという考え方で、未来学者(フューチャリスト)のレイ・カーツワイルが唱えて一躍有名になった。しかしこれはカーツワイルが単独で考えたわけではなくヴァーナー・ヴィンジというSF作家と共同で作った概念である。

 

 宮川道人、難波優輝、大澤博隆『SFプロトタイピング SFからイノベーションを生み出す新戦略』早川書房

 この部分のことである。

 シンギュラリティ。技術的特異点

 私の不勉強さはさておいても、この言葉を用いたSF作品で「シンギュラリティとはどういう概念なのか」を言葉で明確に示した作品に出会ったことがない。

 どういう現象なのか? という描き方はしていても、説明はない。いやまあ、小説であれ漫画であれ映像作品であれ、娯楽作品で考証をうだうだ語る必要はないのだけれども。

 たとえば、先日最終回を迎えた『Vivy -Fluorite Eye's Song-』のシンギュラリティ計画のように象徴的な名称として冠するのなら後は行動で示せば良いし、少し前のキズナアイの歌詞にあるような「ふわっとした理解」を逆手に取った使い方ならミスリードされてもさしたる問題ではない。

 重要なのは、それらを捉える側であるところの私がこうした専門用語を理解しているかどうか(その理解の裏付けが取れているかどうか)である。

 シンギュラリティは一例だが、そうした専門用語を明確かつ端的に解説できている本を見つけたのだから読んだ方が良い、と思ったのである。

 

 後者について。『接続された女』はジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの短編で、『愛はさだめ、さだめは死(早川文庫)』に収録されている。この本、現在では絶版であり電子化もされていないのに、あえて出してくるかー、と思わされたからだ。

 東洋経済オンラインの記事を読むと『攻殻機動隊』か『イノセンス』あたりを取り上げそうな論調なのに、あえて『電脳コイル』を挙げてくるところに視野の広さを感じたのである。

  そのようなわけで、気づいたときにはおそらく人生ではじめて積極的にビジネス書を買って読んでいた。

 

 この本は、5つの座談と4つの論考(序論を除く)からなる3章で構成されている。
 座談は、それぞれゲストを2人(座談5のみ3人)に対して、執筆陣(宮本道人さん、難波優輝さん、大澤博隆さん)が聞き手となって話しを進める。
 話題は、ゲストの専門分野を軸にSFプロトタイピングあるいはSF作品との関わり方(過去から現在、将来の目測)で、最後にまとめとしての論考が入る。

 

 Twitterにも書いた通り、まず興味を惹かれたのが「第1章 座談1 未来のつくり方」だ。
 ゲストは、佐宗邦威さん(株式会社BIOTOPE代表/チーフ・ストラテジック・デザイナー)と、藤本敦也さん(三菱総合研究所経営イノベーション本部シニアプロデューサー)。
 どちらも普段なじみのない業界の方が普段から接している分野(SF)について話しているためか、ゲストのお二人がSF(とSFプロトタイピング)に興味津々なためか、この部分はアンダーライン(マークアップ)だらけになってしまった。

 

 Kindleのメモを見返すと座談2にも結構マークアップがあって、これはゲストの岡島礼奈さん(株式会社ALE代表取締役社長/CEO)と、羽生雄毅さん(インテグリカルチャー 株式会社代表取締役社長/CEO)が、それぞれの専門分野についての話よりもそこからSFをからめて未来の日常を考える重要性を語っていたからだと思う。

 

岡島   今日みなさんと話をして思ったのは、SFプロトタイピングができるモデレーターがいるなかで、めちゃくちゃ専門の違う異業種の人たちが集まって、とにかく未来の 日常をちゃんと考えていかなければいけないということ。そうしたことが、どの業界でも大事になってくるんだろうなと思いました。(後略)

 

  宮本 道人; 難波 優輝; 大澤 博隆. 『SFプロトタイピング SFからイノベーションを生み出す新戦略 (Kindle の位置No.968-970).』 株式会社 早川書房. Kindle 版. 

 

 座談1、3、4、5についても通底している考え方(こうした課題を踏まえて話しているという意味)だと思い、引用した。

 

 以下、感想と言うよりは個人的なメモ代わりに記す。

 

 SFプロトタイピングは、ある事業目的に至るプロセスにSF的思考を絡めて模索するアプローチだと思った。

 叩き台を作って検討していく考え方の提案なので、クライアントと作家(一例)の双方がこの前提を踏まえていないといけない。どちらが持ちかけた話にせよ、双方に当事者意識が求められる、とも言えるかもしれない。

 

 ビジネスの舞台では、具体的な提案(提言)はできるが、即物的な要求には応えかねるのがSFプロトタイピングの立ち位置だろうか。

 書ける(描ける)けれど、思考/試行としての有意性はなく、ただ消費されてしまう、という危惧は座談3でも語られていた。

 座談3のゲストは、小谷知也さん(「WIRED Sci‐Fi プロトタイピング研究所」所長)と、樋口恭介さん(SF作家、コンサルタント)で、SFプロトタイピングについて実践した際の課題や今後出て来るであろう問題点まで掘り下げられている。

 

 この本は、SFプロトタイピングを推奨しながら、つねにその取り扱いについては警鐘を鳴らしているとも思う。

 

 例えば、直近の問題をそのまま延長して扱ってしまうと、思考のジャンプがないし、時間的な未来へのマージンが取れないので、SFプロトタイピングという手段が目的になってしまう。

 問題がより具体的に見えるようになるかもしれないけれど、問題解決にはつながらない。

 

 30年とか50年とか、事業計画としては長すぎるスパンで考えるのは、そうした意味もある。この時間軸の長い捉え方にマッチするのがSF的思考で、取り扱う問題がそうではないのならわざわざSFプロトタイピングを用いなくともよい、という含みすらあったように思えた。

 

 実際やるとなると、SFプロトタイピングで作られた作品は、ほぼ表に出てこなくなる気はする。
 でも、その方がいいと思う。そうした方が作家もSFプロトタイピングに集中できるし、そこでの仕事にペイしてもらえばいい。

 個人的に重要になってくると感じたのは、SFプロトタイピングを行った後のことだ。

クライアントは、SFプロトタイピングで得られた経験(もしかしたら実利をともなう成果)を十分に活用すればいいし、組織の力でもってアーカイブにも利用できる。

 

 おおよそ個人であるところの作家は、SFプロトタイピングで得た知見とそこで作成したものから、娯楽作品としての作品を再構築して帳尻を合わせる、というのがいまのところの解だろうか(正解ではない)。

 つぎ込んだあらゆるコストを、新作にスピンアウトするかたちで出す、というやり方ができると思う。当然、これは独立した作品として扱えるように最初からそういう契約を紙にしておくべきだろう。

 

 以上。大体2章を読んでいる途中で思いついたメモを手直ししたものなのだが、3章の終わりとあとがきで、同様のことが語られていた。

 少なくとも誤読はしていなかった様子。

 

 

 興味があるなら、いま読むべき本である。

 なぜなら、この本は感染症下の世界で書かれた本であり、2021年6月現在ワクチン接種がはじまり世界は感染症下の世界の次の世界が見えそうなところまで来ている。下手すると、半年かそこらでまた価値観が大きく変わる可能性が非常に高いからだ。

 この本は、いわばSFプロトタイピングの入門書なので、時間が経ってもある程度は通用すると思うが、人間が書いた物なので価値観も背景社会とは無縁でいられない。その点が最も良い意味で作用するのはいまだからだ。

 後々、新たなSFプロトタイピングの入門書が出てきたときでも、いまこの本を読んでおけば入りやすい、とも思う。