『東京ラグーン』AMPERSAND YOU

東京ラグーン

東京ラグーン

えんけさんことnkさんとこの2ndアルバム。

いきなり白旗を揚げてしまうと、いいCDで他人にも勧めたい一枚なのだけど、具体的になにがどういいのか言語化できない。


このトレーラーを見たときは、東京が都市として保管されている未来を描いたものなのかなあ、と思った。ドーム都市で実際は水没しているのかなあ、と。
そうなると、空は海になり、到達限界高度(つまり天井)が存在する。
整備は行き届いているけれど、人の気配のない寂れたテーマパークのイメージ。
ふと、思い出したのは、休日のビジネス街。
仕事で日曜日の新宿副都心に行ったことがあるのだけど、三井住友ビルをはじめとしたオフィスビルの周囲は、閑散と言うほかなかった。
午前9時後でも、人の気配がなく晴天の中に静かに立つビルの足元を歩いていると、半分非現実の世界に足を踏み入れたようで楽しかった。

『東京ラグーン』はまさにこの「半分非現実の世界に足を踏み入れたよう」なところがあって、SF世界なのかと思いきやところどころに、生活感がにじみ出ている。
この感覚は、時計の振り子のように、行ったり来たりする。
いや、動き方はフーコーの振り子の方が近いかもしれない。

おおよそ、4時〜5時くらいの早朝か、日付が変わる頃の深夜に散歩をしてみると、こうした雰囲気を味わえる。ただ、後者は場所によっては、本当に恐いし危ないこともあるので、あまりお勧めはしない。

ごく個人的な意見だけれども、このCDを聞くときはイヤフォンやヘッドフォンではなく、スピーカーで聞いた方がいいと思う。
空間に広がる音を、周囲の雑音も含めて、聞くのが向いている気がする。
そういう意味ではラジオに近いかもしれない。

1stアルバムの『宙を巡る君へ』が短編集のように、一曲一曲にそれぞれ物語があって、独立していながら列なっていたのとは対照的だと思う。

『東京ラグーン』も当然ながら一曲一曲に物語はあるのだけれど、それらが全然別の話でありながら地続きに繋がっている感がある。このCDで語られている東京という場を、共有しているのかもしれない。

特徴的なのは、やはり茶太さんの朗読で、私の感覚からすると懐かしさを覚えた。
茶太さんの朗読を聞くのが下手すると十年以上ぶりだったことと、文体が音読されることを意識した小説に近く、S-neryの『東京星に行こう』を思い出したからである。
後者はリーディングストーリーと呼ばれていたもので、書いていたのは白倉由美。懐かしいね。


『東京ラグーン』
少し懐古的でいて、極めて身近な写実性を感じた。
他者の存在が稀薄なのに、鮮明に浮かび上がってくる人が住んでいる光景。
そこには、遠く薄青い空を眺めているような俯瞰と、
見慣れた自分の手の平が視界に入る近しさがあるようだった。
確かと不確かの境界が曖昧になり、束の間、記録と記憶が入り交じる。
現実の延長線上を見つめていたはずなのに、
いつしか幻想的な夢物語を見ていた。
静まった街から、車がアスファルトを駆ける音が聞こえ、遠ざかっていく。
ふと顔を上げると、時計の針が午前零時へ近付いていた。
夜はまだ終わらない。


この車は70年の東京モーターショーに「21世紀のスポーツカー」としてマツダが展示したコンセプトカー、マツダRX-500でレストアされて現在も走れる状態ある。
いまにして思えば、このアルバムに似合う車は日産R32スカイラインGT-Rだったかもしれない。
もっと似合いそうなのは、同じく日産のR31スカイラインGTパサージュだろう。

『Tone\bermei.inazawa collection』

Tone \ bermei.inazawa collection

Tone \ bermei.inazawa collection

 べるさんことbermei.inazwaさんの同人版のベスト集。
 『Chords\bermei.inazawa collection』の対になるアルバムですね。

 『Chords』がDisc1、2ごとにコンセプトが明確で、独立したアルバムとしての側面がやや強く出ていたのとは、好対照のベスト盤だと思いました。
 曲ごとにその時期の背景が見え隠れしているように感じられて、過去の足跡はいまに続いているのだなあ、と思った次第です。楽曲だけではなく、聴いている自分についても。
 なにかを作ることは、なにかを残すことでもあるということをごく自然に感じられました。

 全体から受ける印象は「優しい」このひと言に尽きます。
 個人的には、行間を読む余地が広い、という表現がしっくりきます。
 そういう部分が良い意味で緩やかさを象っているのだと思います。

 『Chords\』が曲同士の調和に重きを置いたのアルバムだとしたら、『Tone\』は曲ごとが持っている個の性質に比重を置いたアルバムだと思いました。
 実を言うと、私は収録曲の全部は知りません。
 よって、初めて聞く曲もあるのですが、それでも「この曲は大体あの頃の曲なのかな?」といった類推はできました。同時にそういう背景って作品に表れるものなのかな、と考えたり出典を見て納得したりしていました。

 また、anNinaが発足した頃の曲はその存在を明確に感じました。
 死生観──生と隣り合わせの死、死と隣り合わせの生──がどこかに潜んでいるイメージ。意識しなければ気にならないのですが、気づいてしまうと井戸の底を覗き込むような気分になります。
 途方もなく、底が見えない。
 やはり、anNinaの存在は大きいですね。

 リマスタリングによる音の変化は、全体的に柔らかな質感になったように思いました。
 たとえば「Ourania - ウラニア」は、一聴すると変わりないように思えるのですが、言うなれば角が取れて面構成がなめらかになっているようでした。
 おそらくこれが一枚のアルバムとして通して聞ける/聞きやすいものにしているのではないでしょうか。

 もちろんこれは完全に私の主観です。

 大きく印象が変わったように思えたのは、「琥珀のゆめ」で『Ancient Colors Infinity』の要素が入ってきたようでした。
 祭りから祀りへ、そして奉りへ。
 より味わい深い歌になっていました。

 初めて聞いた曲の中で、印象的だったのは「今際」ですね。
 ずばりこの曲、恐い、です。
 淡々とした哀しさや寂しさから感じる恐さ。それは、生きている限り絶対逃れられない恐さです。
 そういうところに気づかなければ、さらっと聞けるのですが、気づいてしまうともう無視できません。
 本当にこれ、終わりを意識させられる曲なんです。
 べるさんは選曲の時点で「死ぬ準備をしているような気分」と書いていましたが、この言葉を聴く側に感じさせる曲だと思います。

 このCDについて語る上で絶対に外せないのが、M04とM13。「tameiki.(brazilian.ad.jp)」と「輝く季節へ」ですね。
 私がこの二つのアレンジを知ったのは、収録されたCDではなくて、かつてべるさんがサイトにmp3をアップしていた時期にDLして知りました。
 「tameiki.(brazilian.ad.jp)」は以前から歓声が入っていて、意図して荒削りな部分を残した印象がある曲でした。この印象を残して、他の曲と干渉せず溶け込んでいました。

 「輝く季節」は唯一の90年代の曲*1ですが、当時のmp3を聞いてもいまリマスタリングされたものを聞いても色褪せないアレンジですね。

 私は2000年頃にオリジナルの側から同人音楽を知って、聴く側だったのがいつの間にか関わるようになったので、同時期の人達の中でもおそらく変わり種でしょう。
 このため、アレンジ曲を聞くときも、原曲にはないアレンジならではその人のやりかたに注目するようになっていました。
 当時ここまで思い切ったアレンジをするひとは、ほとんどいなかったこともあるのですが、アレンジの方向性が聴く側からもわかることを強く思い知らされたのでした。

 そうした曲を作るときに方向性をしっかり決める/自分の中に持つという姿勢は、『Real Season』の頃からあって、いまに繋がっているんだなあ……としみじみ感じつつ聞いていました。

 原曲の「輝く季節へ」は、ゲーム『ONE〜輝く季節へ』のエンディング曲であり、主人公が自分の居場所=在り方を自覚して大切な人と共に歩んでいくテーマで、少しせつないメロディなんですが、前向きな曲なんですよね。
 元のアレンジでもこの部分は、べるさんの解釈=アレンジで表現されていましたが、この『Tone\』版では(聴く側にとっても)自分や自分の周りの人々の存在をより強く感じさせるアレンジになっていると思いました。
 『Tone\』版の方が控えめなんですが、時間や空間的な奥行きが大きくなっていて、アルバム全体をしめやかにまとめていると思いました。

 最初に優しいアルバムです。と書いたのは、つまるところ「輝く季節へ」で書いたようなことが、全体の方向性になって導いていると思ったからです。
 個の性質に比重を置いたアルバムでありながら、ゆるぎないひとつのかたちを持っていると思いました。

 なんでもそうだと思うのですが、私はなにかを続けてやっているとどこかであえてふりだしに戻してみるときがあると思っています。
 原点回帰と似ているようで違うそれは、自分の根幹に根ざすものを確かめる行為だと思うんですよね。

 曲順という点でも「輝く季節へ」がラストにあるのは、そういうことなのかも……というのが私の感想です。

 ところで、帯に「常に、終わっている。」書いてありましたが、「常に、始まりがある。」ということでもありますよね。

 終始繰り返して、生きているんだなあ……などと思ったりしました。

 長々と書きましたが、純粋に好きなアルバムです。

*1:注:アレンジ曲の制作年

『マフラーな彼女 - can't stop loving!! 2015年エイプリルフール企画「あるウソの話 - Crush On You! -」』/3 on 10 -サンオントウ-

 なぜだろう不意に『同棲』思い出す。
 いやあれは主人公が働き稼ぐ話だけどね。

 なんかこの二人の会話からにじみ出る雰囲気で「バイト」という単語を聞かされると、『同棲』のオープニング曲(バイト中のシーンにも流れる)を思い出してしまったんですよ。旧Tacticsの『MOON.』の前のゲームなんて、どれだけ知っている人がいるんでしょうねえ。
 そもそも『ONE〜輝く季節へ』より『MOON.』が好きだという時点で相当な少数派なんですけども。
 ぶっちゃけ、葉鍵系は『AIR』が気になって、周囲の鍵っ子らに過去のゲームを文字通り布教されて、2000年の夏に『AIR』が発売するまでの間に一気にプレイしました(苦笑)。
 つまり、『Kanon(1999)』、『ONE(1998)』、『MOON.(1997)』、『同棲』の四つのことです。

 さておいて、ヒモは男の浪漫です。
 いや、この主人公はヒモ以下ですが、なんだろう。ダメ人間なんだけど、クズって言えばクズなんだけど、憎めないところがあるのはなぜ。何気に彼女=まふらがしっかりしているから? まふら補正?
 ダメっぷりまふら補正で許される。
 そんなのありだろうか……現実の例を思い浮かべてみたら、凄惨なことになったので、今後は約束が果たされることを願います。
 プレイ時間は、正味二、三十分くらいでしょうか。
 さくっとプレイできます(ぽろりもあるよ)。
 先に『同棲』を引き合いに出しましたが、たまたま私が思い出したと言うだけであって、内容は基本的に『マフラーな彼女』本編と同じノリです。かすりもしませんので、そういう期待をしてプレイして私に石を投げないよう願います(笑)。

 なお、『マフラーな彼女 - can't stop loving!!』の感想はこちら

 いまのところ、3 on 10のキャラクターでは、
  1位:神様/『永遠に美しき冬よりも - It will be covered with the white.』
  2位:イチカ『メロウイヱロウ』
  3位:北山まふら/『マフラーな彼女 - can't stop loving!!』
 となっております。このサークルの場合、声の魅力比率がかなり大きいです。総合的にはイチカがいちばん好きなのですが、見ていると(聞いていると)楽しいという点では神様ですね。2位からは趣味がモロに現れています。
 まふらに「あなた変、好みがすごくおかしいの」とか言われそう。

 そういえば、めそさんが「七凪るとろさん(まふら役)が、自分ではとても言えないような台詞も見事に五七五で言ってくれるのでありがたすごい」みたいなことをツイートしていましたね。
 これですが、言うだけならまふらの口調を真似すれば大抵言えます。ゆっくりと韻を踏んで話すからです。
 このレビュー(?)にもいくつか五七五を含めましたが、考えるときにまふらの話し方を思い浮かべると、さらっと出てきます。

 また話が脱線しそうなのでこれくらいにします。

改磯風型突撃宇宙駆逐艦(宇宙戦艦ヤマト2199メカコレクション「ゆきかぜ」)

 リハビリ。いや、模型製作ではなくて文章の方です。サイトもブログもしばらく更新していなかったので、年始に作った模型の記事を書いてみることにしました。
 2199メカコレのゆきかぜを小改造して、塗装パターンを変えてみました。


 前回、あやなみを製作したとき、下地色の重要性を痛感したため、その反省から塗装しています。いつも通り、筆塗りです。


 初期案では別の三色使うつもりだったのですが、プラ板に大まかな図を書いて塗ってみたら悲惨な有り様になったので、思案したあげく『スタートレック』のエンタープライズB(エクセルシオール級)と『劇場版・機動戦艦ナデシコ』のナデシコBを参考にシンプルにまとめてみました。


 側面から見ると一目瞭然。白は二種類使っています。艦橋部分及び艦首の明るい白はガンダムカラー・MSホワイト(UG01)、艦中央から艦尾は城・漆喰色(CK1)です。


 製作中の図。なお、艦橋部分の上部をエポキシパテで塞いだ関係上、全体にサーフェイサー1500を吹いているため、これが下地色となっています。余ったパテは台座の裏に錘として貼り付けました。観察中のうちの神姫(ストラーフ1st)。


 エポパテ加工部分のアップ。砲塔裏の隙間とタンク型のパーツの裏側も埋めてあります。下からのあおりと、下部砲塔を旋回させたときその効果が表れます。


 艦首の墨入れは、エナメル塗料のフラットブラックを塗った後にうすめ液を染み込ませた綿棒ではみ出した部分を拭き取っています。


 厚ぼったく見えるのは、青に使ったガンダムカラー・MSブルー(UG13)がまるでプライマーを混入させたかのような状態で、定着させるのに難渋し、厚塗りになってしまったためです。


 後ハメ加工はしていないので、後ろから見ると接合部が丸見えです。ただ、ランナー切り離し跡を消す際に、フィニッシングペーパーで削りすぎてしまったためかもしれません。


 濃いグレーの部分はブラックグレー(116)です。タイヤブラック、エンジングレー、ファントムグレー、ジャーマングレー、ニュートラルグレーのどれにするか迷った末、この色に決めました。
 全体の墨入れにはガンダムマーカーの墨入れシャープペンを使っています。この商品、かなり使えます。細かい筋や隙間用としては、という注釈がつきますが。


 ザ・裏側。タンク状のパーツは色分けを行っていません。代わりに、艦橋窓と同じくエナメル塗料のクロームシルバーとクリアグリーンの混色で、砲塔前の四角いモールドを塗ってあります。
 メイン色がラッカーの場合、こうした細かいところにはエナメル塗料を使うと便利です。はみ出してもエナメル溶液で拭き取れますからね。


 ここまでの写真で気づいている方はいると思いますが、艦橋窓以外の本体塗装を完了した後に、フラットベースのスプレーを吹いてあります。


 前回は色が落ち着きすぎると思ってやらなかったのですが、設定色のまま塗る場合でもやった方がいいと思います。かなり質感が異なります。


 ここで比較画像です。撮影者の腕も関係していますが、それを差し引いても全体的に落ち着いた印象があります。あやなみの方は塗装そのままで半光沢スプレーは使用していませんが、赤がかなり明るく見えます。元が半光沢の塗料は大体こんな感じなので、筆塗りの場合は作りたいイメージに合わせて最後にどのスプレー(つや消し、半光沢、光沢)を使うか選ぶとちょうど良いようです。


 そんなわけで、独自解釈による改磯風型突撃宇宙駆逐艦でした。
 困ったのは艦名で、既存のシールの切り貼りでは使える文字が限られるため、番号やUNの記章も含め今回は全く貼らないことにしました。

 あえて設定を付け足しておくなら、主機関の出力向上と艦内電子装備の強化による人員の削減。艦橋内部にスクリーンを設置することで上部を装甲化し、生存性を高めつつ機動力を増大させた改良型。
 主砲は主に艦載機や魚雷などの実体弾の迎撃用で、自らの攻撃は艦首の魚雷発射管にて行う。強行偵察及び、旗艦の直掩を任務とする高機動宇宙駆逐艦のテストベッドとして試作された。もしも、イズモ計画が実行に移されていたら、護衛艦として同行する予定だったフネ。
 ワープできないこの艦はお蔵入りとなり、ヤマトが波動エンジン始動前に主砲を撃つためのエネルギー供給源となり、最初で最後かもしれない役目を果たした。
 といったところでしょうか。


 ここからは余談なのですが、初代『宇宙戦艦ヤマト』から受け継がれている赤・白・黄の三色構成。自分でカラーバリエーションを考えてみて、2199で艦形を変えずにバリエーションを増やした苦心がようくわかりました。
 初代で色指定したひとは、シルエットと色のバランス感覚に秀でた人だったのでしょう。
 キットによって多少差異はあるのですが、この艦は単色で塗ると味気なくなり、あくまでも主観ですが黄色を嫌ってこの色を同色の白にすると悪い意味で地味になります。わざわざ二種類の白を使った理由はここにあります。
 オーソドックスなオリジナルカラーとしては、水上艦と同じ上下二色構成があるのですが、このキットの場合は各部のエッジが効いているのとマスキングが面倒なので、考えたあげくこうなりました。
 ぶっちゃけ、100系新幹線みたいですね。

 いまさらですが、ラッカー塗料はクレオス、エナメル塗料はタミヤです。二つの白のうち暗い方の漆喰色は、本来城郭プラモデル用ですが、これ白としては絶妙なバランスでして、下地色によって使い方の幅はかなり広がると思います。自分も全く違う用途に漆喰色を使っている作例を見て、この色を導入してみました。

 最後に無改造でかつ筆塗りでこのキットを作ろうとしている方は、下地にサーフェイサーは必要ないです。ただ、黄色については下地にサンディブラウンを塗ってからRLM04イエロー(113)を塗ることをお薦めします。ひと手間かかりますが、効果は大きいと思います。

『指輪をしたアンドロイド\観測者の歯車』AMPERSAND YOU

 nkさんとこの二枚目のCDです。

 実物はこんな感じ。小さな手はうちの神姫(ストラーフ1st)。詳細はこちら


「指輪をしたアンドロイド」

哀愁さえ感じる歌詞はやがて、きわめてシニカルな物語を顕わにする。

うっかり見逃すところだったのだけど、「君」がいったいどんな姿をした「ひと」なのか、合成樹脂の肌を持つなにかという事以外一切明記されていない。

人間から小さなブロックまで
感情があれば『ひと』とされるこの時代で

この前提があるので、上記に事に気づいてしまうと「君」の不明確さが少し恐い。
「合成樹脂」という音韻から個性重視という言葉を想起したのだけど、これは狙ったのだろうか。
「無個性な私〜どうかしてると思う」の部分こそ、この歌の視点である「私」の個性の表れだと思った。
さらに「愛らしいそばかすのある人間の少女」が「私」と「君」、それぞれの対比になっているので、「人間に模した姿」を持つ「私」の姿形さえおぼろげなものとなる。

このいまにも崩壊しそうな組み合わせを支えているのが、Annabelさんのボーカルで、逆にそれによって整合性が取れているので、上記のことに気づかないままでいたかもしれない。
それも、素直にアンドロイド=人間を模した姿の人工生命体と捉えた場合の話で「私はアンドロイド」と強調しているところから、アンドロイド=男性形/ガイノイド=女性形という見方から、女性視点ではなく男性視点ではないのかと思ってしまうと、さながら自分が読み落としたのではないかと本のページをめくるような思いに駆られる。
実にSF(アン・マキャフリィとかジェイムズ・ティプトリー・ジュニアとか)らしいシニカルさにあふれた歌だと思う。


「観測者の歯車」

存在が消え去ることそのものには、一瞬も途方もない時間の経過も変わりない、という結果のみ注視した事実と結果に至るまでの過程から思い知らされる現実の対比は、後者の尊さを強調するとともに残酷ですらある。

最初は比喩として出てきた言葉が、そのままの意味で出てきた際、君を思う視点となる誰かのことを思うとせつない。
さらに、茶太さんの歌声が消え入りそうな言葉に儚さを添えている。

「指輪をしたアンドロイド」に対して、こちらはストレートなので続けて聴くとさらに言葉が染み入る。



 息抜きに模型(HG モンテーロ)を作りながら流していたとき、思いついたことを書いてみただけだったりします。 とはいえ、書いている内容は真面目ですよ。
 一枚目の『宙を巡る君へ』は、本人に直接感想を話したので、あえて書くまでもないかなーというのは言い訳で機会を逸してしまっただけです、はい。
 何気に、昨年は余裕なしなしのぎりぎりかつかつで回していました。イベントに行っていた、と言うよりはイベントに逃げ込んでいた風情でした。
 今年はそうはならないようにしたいなあ。